第58話 エルフの少女 3 ―― 星巡りの詩
「……あなたのお母さんも、銀狼に殺されたの?」
「あなたもって、君も?」
「そう。わたしのお母さんも」
それきり、レンドルは何も付け足さなかった。
言葉を重ねる必要がないことを、分かっていた。
沈黙の代わりに、時折吹く風が、コルタナ要塞の壁に当たり、不規則な旋律が流れる。
「そういえば、どうして、君はここに?」
沈黙に耐え切れず、レンドルは口を開いた。
「わたし? なんでだっけ」
「なんでって……」
少女は、少し首を傾けた。
「あれ、わたし、あなたと会ったこと、あったかも」
――なんだこの子、記憶が。
「……覚えてないの?」
「覚えてないっていうか、思い出そうとすると、何を思い出そうとしているのか、分からなくなるっていうか……」
彼女はそう言うと不安げな顔になった。
誰だってそうなる。どうして記憶が曖昧になるのか、彼女は知っているのだろうか。
と、尋ねようとしたときだった。
「なんか、前に頭を強く打って、怪我をしたらしいの。そのせいなんだと思う」
過去に大怪我をしたということなのか。
確かに頭を負傷すると、記憶が飛んだりすることはある。
レンドルも訓練中に投げ落とされて、その時間のことが分からなくなったことがあった。
「なら、無理に思い出さなくてもいいよ。今日初めて会ったでいい」
「いいの? ありがとう」
「お礼を言われるのも、ちょっと違うけど……誰かと一緒に来た?」
「えっと……ラクロアン?」
「送ろうか。心配してるかもしれない」
「ううん。戻りたくないんだ。なんでか分からないけど」
おかしい。
記憶が曖昧なうえに、一緒に来たラクロアン軍に戻りたくないなんて。
まさか暴力を受けているとか。でもそんな風にも見えない。
彼女の顔は美しく、身体に何かされているような素振りもない。
もちろん、その服の下がどうなっているかなんて、考えても仕方がないことだが、何かにおびえている様子もなかった。
もう、十分体も休むことが出来た。サナロアたちのところに戻っても良かった。
だけど、気になってしまった。この子を一人だけにするなんて、放っておけないと思った。
彼女は、ぼんやりとした目で遠くを見ている。
まるで、自分がここにいないようだった。
「ならさ、さっきの詩を教えてくれないか」
「あ。うん。いいけど。心配してくれた?」
「ちょっとね。だめかな」
「……ううん」
少女は、少しだけ声の調子を変えた。
「青き月から星が下り、命が巡る」
「青き月へと星は上り、世界を巡る」
子どもに語り聞かせるような、柔らかい声だった。
レンドルは目をつむり、その歌を聞いていた。心地よかった。
「命が世界に流れると、魂が青き月に還るの。そして、いろいろな世界に、また降りていく。……わかる?」
目を開けた。
「えーと。死んだら青き月に行って、また戻ってくる、ってことか」
「うーん。夜空にある星には、何があると思う?」
「あの、沢山ある星に? 考えたこともないな」
「なら、こう考えてみて。夜空の星々には、あなたや私のような、色んな種族の人たちが暮らしている世界があると」
レンドルは頷いた。あの星に暮らす人々がいる。もし、本当にそうなのだとしたら、レンドルたちのいるような世界が、数えられないほど空に広がっていることになる。空ってなんなんだろう。なんで青き月や太陽は空にあり、落ちてこないのだろう。
「その空にある星は、私たちからは見えないよね。行くこともできない」
その通りだ。誰も行くことなんてできない。レンドルは続けて頷いた。
「じゃあ、空にある星から、私たちの星は見えるかな」
「俺たちが見ている星は、光ってるな。なら光ってる星に住む人たちからも、俺たちのいる星は光ってるはずだ」
「そう、光ってるだけ。どうやって行こうか」
どうやって行くって、無理だ。いや違う。
「そうか。死んだら、魂が青き月に行って、そこから他の星に行けるってことか」
「そうそう。死んだら魂が青き月に上る。それは記憶や願いや意思と一緒に上るものだと、そう伝えられている」
少女は、月のある方角――まだ陽が居座る空の、その先を指した。
「それが、魂と一緒にある《人の星》ね。それが青き月に還る。そして、別の星に下りて、また命を貰って生まれる」
命が無くなっても別の星で生まれ変わる。彼女の話はそういうことだった。
「えっと、人が暮らしている《星》と、空の星だけど、なんで同じ言い方をするんだ」
「あの空に浮かぶ星は、無くなることがある」
「そうなのか!?」
レンドルは思わず空を見上げた。何も浮かんでいない、ただ青い夕暮れの色だけがある。
「だから、人々が生きている《世界の星》にも寿命がある。その大きな星も、青き月に還る」
「あの大きい星が、青き月に戻ったら、いずれは星は無くなるんじゃないか」
「ううん、世界の星も増えてるの。だから、人の星はずっと世界の星を巡ることができる。そういう考え方」
簡単には飲み込めなかった。それでも、何かが胸の奥に、ゆっくりと染み込んでいくのが分かった。
「……すごいな。エルフは、あの星をそんな風に見ていたのか」
「色々な星で、同じように生まれて死ぬ。そして、また青き月に還る。その繰り返し、それが《星巡り》」
彼女の教えてくれる世界の話は、どの冒険譚よりも壮大だった。
終わりのない旅、命と魂が巡る世界の物語だった。
「そういう考え方が、詩にあって、歌われているの」
「すごいな……」
「そして、どこかの星でね、出会うの。大切な人や愛した人と」
「……星なんて無数にある、けど――」
レンドルの言葉を紡ぐように、彼女が続きを語った。
「うん。きっと魂が惹かれ合う。だから会える」
そう言うと、両手の開いた指同士が彼女の顔の前で交差した。
その手は祈るような形になる。優しい眼でそれを見つめている。
多分、星と星が出会ったことを表しているんだと思った。
初めて感じた感覚だった。心を動かされた気がした。
「素敵だと思わない?」
彼女の微笑むその姿に、レンドルは思わず目を奪われてしまった。
どうしてだろう。そういう顔をする人を見ると、ついレンドルの目は離れなくなってしまう。
サナロアも、ジュカも、彼女も、母も、みんないい表情をする。
「美しい……し、素敵だと、思う」
「うん、わたしもそう思う。美しいよねッ」
レンドルは少し情けなくなった。
知っているつもりでいた。剣の振り方も、戦い方も。強敵と戦い、生き残った。
けれど、彼女の話す、世界そのものは、そのどれとも違う場所にあった。
「そんなこと、どこで学べばいいんだ」
「わたしはユグの森で知ったの。沢山の本があるから、いろいろな歴史を知ることができる。他の国や大陸のこともね」
「歴史は、苦手なんだ。終わったことを学んでも、自分のことに思えなくて」
少女が指をさす。そこにはレンドルの長剣があった。
「あなたのその剣だって、誰かが積み上げてその形になった。その形で作られた技もあるわ。剣を学ぶということは、剣の歴史を学ぶということよ」
即答だった。その迷いのなさに、胸の奥が少しだけ詰まった。
「どうしてその形になったのか。その素材で作られるようになったのは、なぜか。学べば、それが技につながるかもしれない」
「確かにそうだ……」
「必要だと思ったものだけでも、自分のものにすればいい。でも、知ることさえしなければ、何も得ることもないわ」
レンドルが振り続けた、あの剣こそが、歴史そのものだった。
そんな風に考えたこともなければ、どうして剣があるのかも、分かっていない。
「全部、私のお父さんの言葉なんだけどね」
そう言うと、少し照れたような表情に変わる。
彼女の長い耳が、少しだけ下がったように見えた。
沈黙が、二人の間に落ちた。重くはない。ただ、軽くもない。
「よし。教えてあげようか」
唐突な切り替えだった。
「え?」
「まずはね、サンガードとエルフの話にしよう」




