第57話 エルフの少女 2 ―― 聞けない歌声
歌が聞こえた。風が吹いて、立てかけていた剣が倒れた。
銀髪のエルフが睨んで、鞘にまで手を掛けている。
どうしてこうなったのだろう。
鋭い銀瞳には明らかに敵意が宿っていた。
「分かった。俺がここから離れるよ」
「いいえ、わたしが行くわ」
じゃぁそうしてくれと言おうものなら、さらに火が付きそうな予感がする。
どく、どかないの話以外に何か――そうだ。
「きみ、サンガードで見たよ」
「はあ? サンガードのどこよ」
「港だけど。船着き場に居た。髭面のガダンって男と揉めてた。その時、きみに変態って言われたんだ。覚えてない?」
少女は眉をひそめた。
「……え? 知らないんだけど」
――そんな、ついこの間だぞ。
「港で変態って言われたって、どういうこと?」
――しまった。
「わたし、港には行ってないわよ」
――そんなはずはない。絶対に居たはずだ。
言葉が見つからず、つい目を逸らした。
「えーと。……エルフだったから、別の人だったのかな……ははは」
「別のエルフに変態って言われたの? さらに怖いんだけど」
慌てて言葉を続けた。
「あ、いや。手が胸にぶつかったんだ」
「胸に?」
少女の視線が一段と鋭くなった。
「……肩だったかも」
「いつ?」
「四日前、かな」
少女は呆れたように肩をすくめた。
「気の毒な同胞がいたのね。それとも、そういうお誘いの仕方がサンガード流なの?」
「違うよ」
「ふーん」
全く信じていない口ぶりだった。
「あのさ、初めて会ったって言う割に『変態』と呼ぶのが、エルフの挨拶なのか?」
「変な目で見てたからでしょ。人族は、エルフをそういう目で見る種族なの? いつまでも戦いが終わらないはずだわ」
これはまずいな。口で勝てる気がしない。父と母の喧嘩みたいになっている。
良くしゃべる父が、口論になるとだんだん黙っていったものだ。
父は最後に『すまない、子供たちもお腹が空いてるから』と言ってその場をしのいでも、その後の母は口を利かなくなっていた。
でも不思議だった。
味付けがいい。綺麗な盛り付け方だ。いい香りがする。その言葉で徐々に母の機嫌はよくなっていた。
料理が好きだったからだろう。
その記憶につられるように、思い出した。
父は、言い合いを続けなかった。
そして、食事の時はいつも、本当に美味いと言っていた。
つい頭に血が上って、言い負かそうとしたり、怒り含んだ言葉を使ってしまった。
言い返すことより、思ったことをそのまま口にすればいい。
「……歌」
彼女の歌に静かに聞き入っていた。
「さっき歌ってた」
少し間があった。
彼女も何か言い返そうとしていない。こちらの言葉を待ってくれている。
「耳に届く歌だったから、自然と目を閉じて聞いていたんだ。戦いの後だったから、その歌が心を静めてくれた」
少女の頬が、わずかに赤くなる。
「やだ、聞いてたの……」
そういうと、エルフの少女は鞘から手を離して、髪を触った。
「ごめん。昔よく歌ってもらってて、それで聞き入ってた」
「最初に言ってよ。どこから聞いてたの」
「最初からだよ。エルフの古い歌で、星の話だって聞いた」
「エルフの言葉、わかるの?」
彼女は髪の毛を触りながら、言葉を交わしてくれる。
少し警戒を解いてくれたようで、ほっとした。
「少しだけだけど、教えてもらったんだ」
母の言葉は、ほとんど分からなかった。ただ、この歌が好きで、なんて言ってるのか、いつも聞いていた。
妹はすぐ覚えてしまう。それが、いつも羨ましいと思っていた。
「誰に教えてもらったの?」
「母親だよ」
少女が目を丸くした。
「あなた人族でしょ」
「母はエルフで、父は人族なんだ。母がよく歌ってくれたおかげで、少しだけ分かるんだ」
「あ、そういうことね」
「きみの歌声が似ていて、母が歌っているのを思い出したんだ」
レンドルは目線を落とした。
今も、その歌が頭の中に流れていて、胸に響いているような気がした。
「だから、心地よくて。どんな素敵な人が歌っているのかなって。すごく、好きだったんだ」
そういって彼女を見ると、目線を外された。
しまった。何か変なことを言ってしまったのだろうか。
「えっと……ちょっと恥ずかしいんだけど」
「え、あ、ごめん?」
少女は咳払いをして、話を変えるように口を開いた。
「あなたのお母さん、北方大陸のエルフの森の人?」
「いや、東のヴォルテニア出身だって言ってた」
「そっちのエルフなんだ、ふーん」
「詳しくは知らないけど。漂流した曾祖母がヴォルテニアに流れ着いて、その血筋らしい」
「そうなんだ」
「そうなんだけど……なんで君に話してるんだろう」
少女が、くすっと笑った。
「あはは、変なの。自分から話してるくせに」
「……笑うことないじゃないか」
「ごめんごめん。さっきの歌はね、《星巡りの詩》っていうの」
「なんとなく、そういうことは言ってた」
「少しでも分かるなら、耳がいいのね。お母さんに、エルフの言葉ちゃんと教えてもらいなよ」
その一言に、レンドルの笑みが消えた。
「いないんだ」
「え」
胸の奥が急激に冷たくなった感じがする。
歌を聞いて、温かいものがあったはずなのに。
「銀狼に殺された」
少女の表情が、すっと固まる。
レンドルは思わず右手を握った。
「もう、聞けないんだ」




