第55話 死者と生者 5 ―― 悪夢を忘れた日
サナロアたちと別れた後、レンドルは要塞の正門を見上げていた。
側にある破城槌は工作兵が分解作業を進めていた。
声が飛んできた。
「赤髪の英雄だ!」
「巨人族を倒したってのは本当か!?」
「見てたぞ、黄金騎士を仕留めた!」
歓声にも似た声に、軽く手を上げて応えた。
目に包帯を巻いている者。槍を杖代わりにしている者がいる。
上官らしき人から、穴の開いた硬貨に紐を通して渡されていた。
あれは、救護所に行くための許可証だ。
怪我をしても動けるものは、後回しになる。
隊ごとに順番が巡って来るまでは、持ち場で呼ばれるまで待つしかない。
救護所に一斉に集まるわけにはいかないからだ。
だからレンドルの治療は、特別待遇だった。
治癒士の殆どは軍属じゃない。ギルドから派遣される。
もしくは、個人経営の治療所や、ジュカのような傭兵に身を置いている者たち。
怪我人や治療する相手がいれば、それ分だけ収入になる。
兵学院と魔術院の合同で、救護訓練があった。
知り合った治癒士の見習いから、色々と教えてもらったことがあった。
平民上がりの彼女は、卒業したらすぐにでも、ギルドに入るつもりだと言っていた。
彼女に向かって、頬をなぞるような仕草をした貴族に、凍り付くような冷たい眼を向けていた。
彼女の左頬には、薄っすらだが切り傷があった。
この傷が、あの貴族に負わされた傷だと、強い不満を漏らしていた。
長い金髪の髪が、それを隠すように伸ばされていた。
戦わないはずの彼女だが、味方に向けていいはずの眼ではなかった。
戦場に赴いたことのない彼女が、訓練中にも拘わらず、一番戦場に相応しい眼をしていたように思った。
軍属の治癒士は、貴族か爵位のある家だけが残る。
好んで戦争には行きたくないものも多い。だが責務と義務で縛られる。
だから、平民上がりの治癒士は軍属にいない。
レンドルが門を通ろうとしたときに、声がかかった。
「レンドル!」
知った声だった。振り返ると、ロッサルとダーウィが駆けてくる。
二人はどこにも傷がない。着ている装備にも傷らしい傷は見当たらなかった。
どこか安心して、顔がほころんだ。
「よう、英雄騎士殿」
ダーウィが口の端を上げながら言った。
「よしてくれ」
「黄金騎士を倒したのは、本当なんだな」
ロッサルが確かめるように言う。
「……ぎりぎりだったよ」
思わず苦笑いが漏れた。
「そうか。詳しい話はサンガードに戻ってからゆっくり聞かせてくれよな」
「もちろんだ」
二人の目が聞きたいと輝いている。
少し気恥ずかしかった。
「みんな、無事だったんだな。後方支援部隊も、ルベリアの攻撃を受けたんだろ」
「そうだったんだけど、直後にラクロアンが援軍に来たんだよ」
ダーウィが少し声を落とした。
「ラクロアン軍は強かった。その中でも騎士は格段に強い。全員が異常な強さだった。みんな教官みたいだったんだ」
ダーウィの言葉に、ロッサルが何度も頷いた。
ブルードと同じなら、全員が加護持ちになってしまう。
口振りからすると、十や二十じゃなさそうな印象だ。
「だからレンドル、一人でふらつかないほうがいい。今のお前は――狙われてもおかしくない」
真剣な眼差しだ。本当に心配してくれている。ロッサルは本当にいい奴だ。
だから、レンドルもこの男の言葉に素直になれる。
「分かった。すぐ戻るよ」
「そのすぐが信用できないんだよなぁ」
ダーウィが笑う。ロッサルが続けた。
「疲れてるだろうから、眠るのだけは気を付けろ」
レンドルは、僅かな時間だが考えるように思いにふけった。
「……そういえば、悪夢を見てないな」
ロッサルの目が、わずかに見開いた。
「本当か? 加護のお陰ってことなのか」
「そうかもしれない。だから、大丈夫だ」
「分かった。これ持っていけ」
ロッサルが、水袋をレンドルに渡した。
「お前の好きな、レモン水だ。どうせ喉が渇いてるんだろ」
「ありがとう、さすがロッサルだ。喉が渇いてたんだ」
「死体運びが、まだあるんだ。行くか」
ロッサルがダーウィに声をかけた。
死体運びのことを聞いて、レンドルはとっさに二人を止めた。
「あ、待ってくれ。さっき死体が動いたんだ。気を付けろよ」
ダーウィとロッサルが顔を見合わせた。
「知ってる。火を付けた兵士が目覚めてさ。生きてるやつを燃やしたかと思ったぜ。何を寝てんだってな」
ダーウィの軽口に、ロッサルが笑っている。
やっぱり軽口をたたくやつしか周りに居なかった。
そう言って、二人は城壁に沿って歩いて行った。
レンドルは、その背中を見送った。気のいい奴らだ。無事でよかった。
水袋を口に傾ける。冷たいレモン水が体中に染み渡る。大きく息を吐いた。
悪夢を見なくなった。それは確かに、よかったことのはずだ。
なのに母の夢も、見なくなってしまった。
あの歌声も、あの手の温かさも、夢の中でしか会えなかったのに。
それが、少しだけ寂しかった。




