幕間 フィーネ ―― 銀狼討伐の朝
お父さんが、武器や防具の確認をしながら、準備をしていた。
レンドル兄さんに目をやると、いつもは手伝うはずなのに、呼んでも返事がない。
「兄さん。またその本を見てるの?」
兄さんは、本が好きだ。違う、好きになった。
最初は嫌がっていたけど、少し前に『冒険者スルズクワイトの劇』を観て、変わった。
今月は学術院に行く月だった。家に直ぐ帰らず書庫に行って本を読むようになった。
フィーネも、本を見る時間が増えて、嬉しく思っていた。
それまでは、すぐに帰ろう、つまらないと、うるさかった。
剣術道場でも、随分と熱心に鍛錬するようになった。
上級生に勝っているらしい。
「あ、ごめんなさい。この本、すごい面白くて」
本を閉じて、お父さんの側にやってきた。
「まあ、勉強嫌いのお前も、字が読めるようになって良かった」
兄さんは、字を書くのも、読むのも苦手だったのに。
難しいから、上手く書けないから、そう言っていたのに。
書庫に通っているうちに、何度も好きな本を読み直していたら、分かるようになったらしい。
その本は、家庭教師のペドラム先生が持ってきた本だった。
男爵家の人だけど、家は継げないからって、うちみたいな家に来て教えてくれる。
そこで優秀な人が居たら、高位の貴族のところに紹介する。
そうやって、お金を稼いでいるらしい。なんでも商売になるんだと、フィーネは思った。
貴族のおうちは、人手が足りないらしい。
先生が認めた生徒なら、信頼できる、そういうことらしい。
外で使える人材がいたら、すぐに声がかかると言っていた。
貴族とのつながりを持てるし、支度金は高いけど、給金も支払われるから、お互い助かるのだろう。
兄さんが、あまりにも熱中しているので、また来る時までと、高価な本を置いていってくれた。
一カ月後に来るときには、擦り切れてなくなってるかもしれない。
ここ一週間ずっと読んでる。今もだ。
王都も大きな街にも学術院がある。書庫にたくさんの本がある。
誰でも見られるからと、みんな喜んでいた。娯楽が増えた。
ペドラム先生が言っていた。昔は貴族だけが本を読めたらしい。
皇帝陛下が、戦争に勝つために色々変えたんだって。
学術院もその一つだと。
ペドラム先生が稀代の傑物と呼んでいた、その皇帝も暗殺された。
この国はどうなるのか、誰も分からない。
ペドラム先生は、フィーネに大人向けの話をする。
まるで会話が成り立つと思っているようだった。
先生と話していると、研究者とか文官になったほうがいいと言われた。
でも、別になりたいとは思わない。
どこぞの貴族に紹介したい、みたいなことを両親に話していた。
この家に居たいけど、兄さんも奉公に出るかもしれない。
フィーネも数年したら職業訓練を始めるか、兵学院に行くことになる。
どちらにしても、家に帰れるのは月に数えるほどになる。それなら、どれも一緒だった。
「フィーネなんか、僕より読むのが早いんだ。羨ましいよ、何でもできる」
何でも出来るわけじゃない。投げ出していた兄が情けなかっただけだ。
「フィーネは、エルザと似ているところがあるからな」
「フィーネの髪は赤くないよ」
そう言って髪を触ろうとした兄の手を、フィーネは払った。
兄さんは、女の子と髪を触ろうとするのを止めた方がいい。
フィーネは、お母さんのような髪の色が欲しかった。
お父さんと同じ黒い髪だけど。あまり好きじゃなかった。
耳は同じく、長くとがっていて、フィーネの宝物だ。
お母さんは頭がいい。魔法もすごいらしい。フィーネは魔法が使えるようになりたかった。
「ははは。髪の毛だけじゃない。性格とか、頭のよさとか顔とか、いろいろ受け継ぐんだ」
「僕は髪と眼だけ?」
「気の強さは、エルザそっくりだぞ」
「え、そんなことないよ。母さんみたいに怖くないよ」
確かにお母さんは怒ると怖い。兄さんはいつも怒られている。
夫婦喧嘩をすると、いつの間にかお父さんは黙ってしまう。
その点フィーネは、あまり怒られない。
朝起きるのが遅いときだけだ。
恋物語を読んだ次の日は、ちょっと遅い。
「ファレン? 子供に何を言わせてるの!」
怒ってる感じで言ってるけど、本気の声じゃなかった。
「ほら、そういうところだ」
「馬鹿言ってないで。銀狼討伐行くんでしょ」
視線を落として、ため息をついていた。
「……ああ」
お父さんは、あまり気が進んでいないようだった。
魔獣討伐を専門にしている冒険者なのに、伝説の魔獣とは戦いたくないのかもしれない。
何百年も生きている魔獣相手だし、伝説なんて呼ばれてるなら、多分そうなんだろう。
「……どうしても行くのね」
先日、物々しい雰囲気で国の偉い人が頭を下げに来た。
その日に、その偉い人の馬車に乗って王都へ向かった。
討伐作戦に、お父さんは呼ばれた。
「皇帝陛下からの指名だ。断るわけにはいかない」
「凄い規模なんでしょ? エルフの森からも来るって聞いたけど」
「そうだ、千は超える。他の国からも来るから、もっとだ。闇の森の開拓をするには、倒さないといけない」
「分かった。レンドル、フィーネ。野営地まで行くから準備して」
なんかすごい数になってた。そんな人数が集う野営地なんて、どこにあるんだろう。
それに、子どもが何でそんなところに行くのか、フィーネには分からなかった。
炊き出しとか、お手伝いをするらしい。
戦争なら、従軍する民間人が雇われて大勢いるけど、戦争じゃないから全然人手が足りないらしい。
兄さんも、剣の腕を色々な人に見てもらうために行くことになった。
従騎士の声がかかるかもしれない。伝手を作る。いろいろ理由はあるみたいだった。
フィーネには魔力がある。少ないけど。でも、見よう見真似でやってみたら、魔力操作が出来た。
お母さんの魔法とは違うらしい。兄さんには魔力がないから、フィーネはまだ黙っていた。
魔法適性は分からないから、知り合いの魔法使いに見てもらうことになった。
お父さんは、積極的に人とつながりを持とうとする。だから顔が広いんだと、フィーネは思った。
昔は違ったらしいけど、何があったんだろう。
冒険者は、みんなそうなのかな。でもお父さんは特別な気がする。
頭はいいと思う。でも、みんなが考えないような深いところまで考えている。
この間も、知り合いの冒険者が、お父さんの話に頷いて感心していた。
お母さんも、そんなお父さんを好きになったって言ってた。
可愛い言い方だった。お母さんは本当に綺麗で、やっぱり赤い髪と眼が、欲しかった。
兄さんは、お父さんとは似てないと思った。深く考えるより、身体が先に動くから。
だから、フィーネの黒髪を見た男の子に、偽物のエルフだと髪を引っ張られたら、兄さんは殴りかかっていた。
とても珍しいらしいけど、居ないわけじゃないと、お母さんが抱きしめてくれた。
大きな商会の息子を怪我させたと、大問題になった。
家に怖い男の人たちが来た。レンドルを出せと、大騒ぎだった。
そしたら、兄さんは剣を持って出ようとした。本当に何も考えてない。
お父さんが、兄さんを珍しく怒っていた。
でも、事情を聞いたお父さんは、飛び出していった。
そしたら、みんな謝って帰ってった。青い顔をしていた。
そういえば、お父さんは、剣を抜いてた気がする。
お父さんと兄さんは似てるかもしれない。おかしいな。
「貴方のことだから、大丈夫だと思うけど……」
お母さんの目が少し細くなった。不安な表情を見せるときにそうなる。
「何百年と、ユグの森のエルフ達が倒せていない魔獣だ。どうなるか分からない」
お父さんは、準備の手を止めてお母さんを見てる。
分からないなんて、お父さんらしくない。
やっぱり、難しいと思ってるみたいだった。
「フィーネも読んでみなよ」
兄さんが本を持ってきた。
あまり気が進まない。英雄譚とか冒険譚は別に好きじゃないから。
どうせ見るなら、お姫様を助けに来る恋物語の方がいい。
でも、魔法使いの物語は読むのは好きだ。
「青い月が満月の時に、死者が『夜を彷徨う者』になるだろ?」
浄化しないで時間が経つと、屍人になって人を襲う。誰でも知っている。
「燃やして、聖水で浄化するんでしょ」
「そうなんだ。でも、必ずなるわけじゃない。未練があると、屍人になるって書いてあった」
この本に書かれていることだったらしい。
兄さんの語彙が増えてる。
未練なんて言葉使ったことないのに。
「でも、穢れの精霊の悪戯は違う。この物語だと、青い月は関係ない。どんな死者でも起き上がる」
精霊の悪戯は聞いたことがある。知らない間に加護を授かったとか。子供を取り換えたとか。
穢れた精霊は魔神から生まれたと、見たことがある。そうだ、雷の魔法使いのお話だった。
「そうなの?」
「うん。このお話は、何百何千という死者が国を亡ぼそうとする。死んだ端から屍人になるんだ。すごいぞ、死者の国になるんだ」
その凄さが分からなかった。死者の国になったら、良いことがないと思う。
「死者の国なんて、聞いたことがないよ?」
「フィーネも知ってるだろ。エルザリアのお話だよ」
「城を空に浮かべた、千年王国の? おとぎ話だよ。だから、死者の国の話もおとぎ話」
「違うよ。本当にあったんだ。刻印魔法もそうだし、紙も本も印刷も、この国から始まったんだ。世界を渡る大きな船も作った。学術院で読んだんだ」
歴史の嫌いな兄さんは、そういうところだけは、やたらと詳しい。
そういえば、エルザリアが滅んだ理由は知らなかった。
それが本当なのか分からない。今度ペドラム先生に聞いてみよう。
大事そうに本を抱えている。高価な本だ。兄もそれは分かっている。
『スルズクワイトの冒険譚 ―― 穢れの精霊と死者の国』
兄の言ったままの表題だった。
怖くて、とても読む気になれなかった。
夜眠れなくなって、朝起きれなくなるに決まってる。
「魔法使いも出てくるんだ」
フィーネはお母さんを見て、ため息をついた。
どうしよう。




