第33話 ルベリア王国遠征 ―― 殺し屋の矜持と喧嘩屋の流儀
「へえ、ルベリアにも名が届いてたか。俺も随分と有名人になったもんだな」
ベックは左肩を押さえながら、白い歯を見せる。
「それにしても、なんて格好でいやがる。お前、神父か」
黒い法衣に、膝まで届くロングブーツ。腰には煌びやかな装飾の施されたレイピアを携えている。左手には、革表紙の小さな本を持っていた。
柔らかい金髪は中央で分けられ、前髪は眉のあたりまで、後ろ髪は肩を超えるほど長い。耳には細いピアスが光っている。
端正な顔立ちで、女性に好かれそうな風貌だ。だが、その薄く翠がかった目の奥にある冷たさが、すべてを台無しにしていた。
「風の神ヴェルアダに祈りを捧げるものだ」
束縛を嫌い、自由を信条とする神だ。吟遊詩人や船乗りに信者が多いと聞いたことがある。
「気の狂った神の信奉者か……なんでいる」
ベックの言う通り、風の神の信者には変わり者が多いとも聞いていた。
神の中でも異端に近い扱いを受けていると、どこかで読んだ気がする。
神父の恰好をした男に、格闘術で戦線を崩す男、この二人の異様な雰囲気を感じ取ったのだろう。
この二人の周りから、兵士が遠のいていく。
両陣が二人の舞台を作った。
「お? なんだあ、俺とお前でやりあえってか」
風が吹いた。黒い法衣の男の髪がなびく。
「黄竜花の国で、貴殿に静かな眠りを与えてほしいと、依頼を受けた」
「随分と気取った言い方だな。ようは殺しの依頼だろ」
「サナロア、黄竜花ってなんだ」
「ルベリアの東にある、デーン王国に咲く花だ。有名な薬草だが、知らないのか……」
レンドルが苦笑いを漏らした。
「姫の命を助けるために、恋をした竜が自ら心臓を捧げた。その竜が死んだとされる場所に咲く、珍しい花だ」
「冒険譚とか英雄譚なら読むんだけど、恋の物語か。サナロアはそういうのが好きなんだな」
レンドルの脇に鋭い痛みが走った。サナロアに肘で脇を突かれたのだ。
「誰からの依頼だ。風の神の信徒は、暗殺の依頼も受けるのか」
「なに、デーン王国の賞金稼ぎギルドで、貴殿が賞金首だっただけのこと」
「ほう、俺の名もそっちまで轟いていたか。うれしいねえ」
また、白い歯を見せる。
「獣人――剣牙族を殴り、牙を折った。彼らの牙は誇りそのものだ。恨みを買うのは当然だ」
「知らねえよ。人族を噛み殺した、とか。くだらねえことを言って絡んでくれば、脆い牙も折られて当然だろ」
ベックが鼻で笑う。剣牙族というのは聞いたことがない。東のほうには、獣人族の里や集落がある。そこから流れてきたのだろうか。
「なんだ、ベックのやつ。はっきりと覚えてるじゃないか」
レンドルの口から思わず洩れた。緊張感がある二人の間で、軽口を叩けるベックが頼もしいと思った。
「彼の口の悪さは、一級品ね。酒場で鍛えたのかしら」
気のせいか、彼女の声がよく聞こえる。
横に立つ距離が、いつもよりずっと近い気がした。
黒い法衣の男は、表情を一切変えず、静かに語る。
見れば見るほど戦場には似合わない男だが、眼を離せない危うさを持っている。
――あの男の魔力に、おぞましさを感じる。
「大酒飲みで、いつも酔っ払ってるらしいな」
「酒に酔ったことなんてあったかな?」
「それと、仲間を背負って戦場を駆けた懲罰兵。今時珍しい、拳闘騎士」
「なあ、俺に風穴を開けておいて、いつまで気楽にお喋りを続ける気だ」
「失礼だが、私は君の名を知らなかった」
「あ?」
黒い法衣の男はベックのことを調べている風だった。相手のことを調べ上げるのが、この男の、賞金稼ぎのやり方なのだろうか。
日が高く、戦いの中にあっても、この男からは汗が見えない。それがさらに不気味さを持たせていた。
「だから、私は殺す相手のことを、よく知ることにしている」
「それ、なんか意味あるのか?」
「これから死にゆくものへ、詩を詠むのが、私の矜持なのだよ」
「へえ、随分殊勝なことだ。神父を辞めて吟遊詩人なんてどうだ」
「心配無用だ。私は詩人でもある」
「神父の吟遊詩人で、賞金稼ぎか……忙しいやつだ」
レンドルも、何がなんだか分からなかった。
ただ、この男が普通でないことだけは確かだった。
「あの男、有名な賞金稼ぎだよ」
突然、レンドルとサナロアの間から声がしたと思ったら、タタだった。
いつの間に居たのか。二人から眼を離せなかったとはいえ、こうも簡単に懐に入り込む灰兎族の男の怖さの一端を知った。
そして、灰兎族の傭兵は、黒い法衣の男のことを知っていた。
「タタ、知ってるの?」
レンドルの疑問をサナロアが口にする。
「戦場で、あんな格好してたら、嫌でも有名になるよ」
確かに、あの見た目は戦場にそぐわない。なんせ鎧や盾も兜もない。どうやって身を守るのだろう。
「私に殺されたものが、たとえ無様に朽ち果てるとしても、風は誰にでも吹くものだ。ならば、鎮魂の詩を運んでもらう」
その言葉を聞いた瞬間、ベックの身体が僅かに硬直する。
「……ルベリアの鎮魂の風。お前がそうか。風のフェザインだな。疾風とも聞いたな。わざわざデーンで依頼を受けたのか」
「ついでだよ。君のような酔っ払いにも届いていたとは。風の神の祝福に感謝を」
その眼には、うっすらと悦びの色があった。
「祈りは終わったか? そろそろ始めようぜ」
「私は、自らその二つ名を名乗ったことはないがな。やはり、どこにでも風は届くということだな」
「じゃあ、優男には俺の拳を届けてやるよ。もっと色男になりな」
「ははッ、怖いな。体中が穴だらけになっても同じことが言えるのか……試してみよう。なに、風の通りがよくなれば、酒も抜ける」
思い出した。この遠征前に、兵舎の同僚ロッサルから聞いた名だ。加護を得た冒険者と言っていた。
黒い法衣の男が、何者なのかよく分からない。
ただ、冒険者で賞金稼ぎも殺しもしている。それは確かな腕を持っているということだった。
先ほどベックに見せた鋭い突きは、目を見張るものがあった。
ベックは獰猛に目を細め、顎を上げる。
「なら俺は、お前の前歯を折らせてもらう」
「ん、私の前歯を?」
フェザインが不審そうに片眉を上げる。
「前歯を折るとな……俺の名前を嫌でも覚えるのさ。食べるのに苦労するだろ。恨み言もそこから漏れる。おかげでデーンまで届いた」
ベックの口調から、完全に軽薄さが消え失せた。
「クックック、面白い男だ。命を取りにきた私を生かすつもりでいる」
「それが俺の流儀よ。そうすりゃ、お前の口から俺の名前が広がる。俺も歯抜けの間抜けツラを見て思い出す。その証明に、ほら――」
フェザインに指を差したと思った瞬間、ベックの手から短剣が飛んだ。




