第32話 ルベリア王国遠征 ―― 旗兵が消える理由
城壁通路と監視塔の制圧を終えたレンドルは、ノックスから直々に称賛された。
ここに来る途中でも、巨人族を倒し、弓矢の嵐の元凶を治めた。賛辞のことばを次々に浴びせられた。
その城壁通路では傷心のサナロアに声をかけた。
彼女の手をとって監視塔を降りると、兵士たちに見つかり随分と冗談交じりにからかわれた。
慌てふためくレンドルをよそに、蒼い髪の姉は微笑んでいた。
彼女がなぜ離さないのか、分からなかった。だが、振り解く気にもならなかった。
ただ、手のひらに残るその温かさだけが、いつまでも消えなかった。
紋章官たちが、城壁通路の制圧も功績だと広く周囲に伝達する。それで士気が上がっていく。
仮に紋章官たちが死んだとしても、伝聞した事実が残り、戦果報酬が正しく認められる。
レンドルたちは今、激しい抵抗を続ける要塞の深部へと攻め込んでいた。
新たに編成された前線の三列目。それが今のレンドルたちの居場所だ。
鉄がぶつかり合い、肉が裂ける絶え間ない怒号の隙間から、ひときわ高い鼓舞の声が響き渡る。
「これが最後の防衛線だ! 超えればサンガードの勝利だ!」
ここを突破すれば中枢の建物に到達し、この泥沼の戦争もようやく終わる。
見上げれば、太陽は真上より少し西に傾きかけている。
容赦のない光が、石畳にこびりついた血の臭いをいっそう際立たせていく。
過酷な前線でありながら、三列目のレンドルたちの戦い方は、驚くほど淀みのない波状攻撃として確立されていた。
一列目が疲弊して一歩下がると、間髪入れずに二列目の槍が鋭く突かれる。敵がその間合いを警戒して足を止めた瞬間、三列目の歩兵であるレンドルたちが再び正面からぶつかっていく。
乱戦にならないよう、間合いの異なる攻撃が代わる代わる押し寄せ、敵の陣形を確実に崩していく。
だが、規則正しく流れる前線の中で、レンドルは奇妙な空白を捉えた。
乱戦が続く一点、そこだけ、あるべきはずの旗兵の姿がない。
隣のサナロアも淡い青の双眸を細める。
彼女はヘルムを外したままだった。
そのことを指摘すると、目線を下げて彼女が口を開いた。
「敵の弓兵は落ち着いた。私が副官だと分かるようにしようと思ってな……」
レンドルと同じように、サレットは腰にぶら下げられている。
「そんなことよりだ。あそこだけ妙だ。レンドルにはどう見える」
サナロアの声に頷き、その眼が向く先を追うと、そこはレンドルも見ていた場所だった。
今まさに、旗兵だけが倒れた。
「……ノックス中隊長! あそこだ! 旗兵がいない!」
レンドルは叫びながら、近くで指揮を執る中隊長へとその位置を告げた。
顔に包帯を巻いたノックスの、その隙間から覗く鋭い眼が、その空白を睨みつけ、即座に命令が下る。
「任せる! 行け!」
二人は即座に地面を蹴り、その不自然な空白地帯へと駆け出した。
隊長のレンドルに続いて小隊が動き出した。
◆
群がる敵を斬り伏せながら滑り込むと、そこには見覚えのある男――ベックが戦っていた。
振り下ろされた剣を、ナックルガードを装着した短刀で受け躱し、そのまま懐に入ると鋭い右拳が顔面を打ち砕く。
メイスで強打されたように兜がひしゃげ、兜の隙間から血が噴き出していた。
そのまま兵士を背負って投げると、次の兵士に当たり、短刀で鎧の隙間から首を斬る。
突かれた槍を避けたあと、槍を力づくで引いて、態勢の崩れた顔面に膝蹴りを打ち込む。倒れた敵は首を踏みつけられて絶命する。
ベックの戦い方は、騎士の洗練された剣術とは違う、全く異質の戦闘術だった。純然たる喧嘩そのものだった。
だが、その泥臭さの中に恐るべき理が詰まっている。ふらついているようで、流れるような足捌きから突如として完全に急停止し、変幻自在の緩急で相手の予測を外していく。殴りつけた敵の身体を強引に掴み、隣の敵へと叩きつけて次々と周囲を巻き込んでいく。
レンドルは、あまりに規格外な身のこなしに、心からの戦慄を覚えた。
サナロアも驚きを隠せない様子で呟く。
「型があるようでないようだ」
その言葉が響いた瞬間、ベックが目の前のルベリア兵を容赦なく殴りつける。
敵が崩れ落ちるその刹那、その兵士の背後から陽光を鋭く反射する一筋の銀光がベックへと肉薄した。
「よけろ!」
レンドルの警告より、突きが至る方が僅かに早かった。
細剣の刃がベックの左肩を深く貫く。
「っつあぁ痛ぇ! 誰だ、てめえ!」
ベックが顔を歪めて大きく飛び退くが、襲撃者は一切手を緩めない。高速の連続突きが針の雨となってベックを襲う。だがベックは、肩から血を流しながらも不規則な足捌きで、その猛攻をすべて躱しきってみせる。
数瞬の激しい交錯の後、ベックを襲った男は、ぴたりと動きを止めた。
戦場には似つかわしくない、黒い法衣を着た男だった。
彫刻のように整った顔立ちだが、冷酷な表情から見える殺意は、この男が只者でないことを示していた。
その立ち姿から放たれる気配は硬質だった。
旗兵が倒れていたのは、前線に立ちはだかる黒い法衣の男が、容赦なく排除したからだろう。
倒れた旗兵を見ると、眼や喉を突かれて絶命した後が見て取れた。
「貴殿が、喧嘩屋だな」
男が、細剣を構えたまま不敵に口元を歪めた。




