第3話 白衣の男
朝の訓練は、それで終わりになった。
ルベリア王国遠征の会議が急に入ったらしい。
重要な人物がこの国に来ている――そんな噂まで兵舎に流れていた。
レンドルは、王都サンガードにある大きな広場に足を運んでいた。この広場は海より高い場所にあり、港が見下ろせた。
今日は風が強い。港に停泊する船の帆は大きく膨らみ、白い布が弧を描いている。
そして、広場より高台にある太陽の神ベギラダの神殿を見上げた。この神殿の中に聖人サンルードの聖跡があり、加護を得る機会がある。
――加護が要る。
だが、高い祈祷料が必要だ。聞いた話で銀貨十枚。いっぱしの冒険者が一年かけて貯金する金額だ。それに、誰でもじゃない。必ず加護を得られるわけじゃない。
ため息をついて、広場に視線を戻す。
広場には、積まれたレンガの上で逆立ちをする旅芸人。参加料を集め、剣の勝負に勝てば賞金を出す旅の剣士。吟遊詩人たちは合奏し、異国の物語を声高に歌っている。大人も子供も足を止め、それぞれの好みに引き寄せられるように広場へ集っていた。
そんな広場に、背の高い白衣の人物がいた。祈りを、と声をかけているようだった。神殿関係者なのだろうか。
そして、その人物に鋭い視線を送っている男が数名、目に入る。
じっと見ていたせいか、褐色の肌をした男が一人こちらに気づいたが、すぐに顔を逸らした。ただ、その男は剣の柄に手を置いた。レンドルも目を逸らした。
――危なそうな連中だな。冒険者にも見えない。
軽装だが、白いリネンシャツもベストも妙に整っていた。腰の剣だけが、場違いなほど自然に馴染んでいた。無駄のない立ち方が、訓練を積み場数を踏んできた者のそれだった。
騎士――いや違う、どこかの貴族の私兵だ。父親の付き添いで、そういう風体の男を見たことがある。騎士上がりの使い勝手の良い傭兵だと、父は言っていた。
だが、白衣の男はただ、穏やかに人へ声をかけているだけだった。レンドルは眉をひそめた。
――もし、貴族絡みなら関わりたくない。
レンドルは、その場をさっさと離れることにした。
広場の周囲には露店や市場が並んでいて、目と鼻を刺激する。誘惑に負けて、露店で串焼きを食べ、林檎をかじりながら、海と船を眺める。それが、ささやかな楽しみだった。
貿易で入ってきた異国の品物を見たり、なじみの船員に話を聞いたりする。他の世界を知ることができる。悪夢を見た日、気が落ちているときにここへ来る理由でもあった。
しばらくして、知り合いに会いに行こうと港に続く道へ向かった。すると、いつの間にか白衣をまとった人物が、近くまで来ていた。
フードを深くかぶっている。行き交う人々に、穏やかな声をかけている。男性の声だった。レンドルも背が高いほうだが、白衣の男はそれよりも高い。
「神殿で、ひととき祈りを捧げませんか」
「ささやかな寄進で結構です。旅の無事を願うことができます」
「孤児院への寄付もお願いします」
足を止める者もいれば、顔を向けて通り過ぎる者もいる。誰を引き止めるでもなく、淡々と、広場の空気に溶けるように声を重ねていく。
よく見ると、背中に刺繍されているのは、神殿の紋章、関係者だと分かった。
石畳の上を行き交う人々の喧騒の中でも、その呼びかけは静かに続いていた。
すると、人混みをかき分け、白衣の男に向かってくる人影が見えた。
「おいてめえ! 加護が手に入らなかったぞ! 金を返しやがれ!」
見るからに冒険者風の恰好をした髭面の男が、白衣の男をいきなり突き飛ばした。そのせいで、通りかかった女性も一緒に倒れてしまった。広場の喧騒が、この男の周辺だけ静かになる。
「……それは残念でした。ですが、最初に話した通り、誰でも加護を得られるわけじゃありません」
「この野郎~、なめやがって! 銀貨十枚だぞ、十枚! 騙しやがったな!」
髭面の男が、左手で鞘を抑えた――剣を抜く気だ。
――だめだ、貴族が絡んでるかもしれないんだ、関わるな。
だが、放っておけなかった。損な性格だと分かっている。
その間にも、髭面の男は剣の柄に手を掛けた。
刃が、陽光を弾く。
倒れた女性の高く驚いた声――悲鳴が広場に走る。
気づけば、レンドルは男の前に踏み込んでいた。伸ばした手で、その柄を押さえる。最後までは抜かせない。
倒れた女性は、慌てて立ち上がり、足早に離れていった。
「やめておけ」
髭面の男の目は血走っていた。怒りで、周りが見えていないらしい。
「衛兵の巡回の時間だ。抜いたら終わるぞ」
男の息からは酒の匂いがして、鼻がつんとした。
「ちっ、覚えておけよ……」
柄から手を離すと、その手でレンドルを押した。
「どけ! 赤髪ッ」
髭面の男の足取りは、少しふらついている。
「くそ、イライラするぜ! 邪魔だ! おらぁ!」
吐き捨てるように言いながら、男は肩を荒く揺らした。行き交う人々に悪態をつき、港の方へ消えていく。
あの目はまだ、どこかに噛みつきたがっているようだった。
――あのままだと、衛兵の世話になりそうだな。
「あの女の人、大丈夫でしたか」
そう言って、白衣の男に右手を差し出した。
「謝る前に、行ってしまいましたね」
苦笑いした男が礼を言いながら手を握る。その瞬間、指先の固さが伝わった。
――相当、使い込んでいる。親父と同じような手だ。
心臓が跳ねた。余計なことに首を突っ込んだかもしれない。
男は口元に笑みを浮かべた。
差し出した右手は強く握られていた。




