第2話 加護を持つもの、持たざる者
幾度となく土塊を舐め、レンドルの肉体はすでに限界を告げる悲鳴を奏でていた。
それでも、泥に塗れた拳を突き立て、彼は再び立ち上がる。
ここで折れてしまえば、復讐の誓いを立てたことに何の価値もないことを理解していた。
「いいぞレンドル、まだ元気じゃないか。鍛えてもらったお前の親父に感謝しろ!」
ブルードは右肩に潰れた刃を乗せたまま、小刻みに体を左右に揺らして肉薄した。
レンドルは右に行くと見せかけ、左へ円を描くように踏み込む。一瞬のフェイント。
だが、通じない。
ブルードは踏み込んだ足を即座に切り返し、その反動を利用して踏み込んできた。その瞬間、レンドルは鋭い突きを放ったが、ブルードはそれを刃の腹で無造作に流した。
勢いのまま体当たりが来る。
レンドルは踏ん張ったが、大きく体勢を崩した。すかさず、柄が振り下ろされる。
鈍い衝撃。視界が揺れ、レンドルは地面に倒れ伏した。
「いい判断だ。だが狙いが真っ直ぐすぎだ」
「……今のを読んでいたんですか」
「俺が突っ込んだ勢いを殺すため、フェイントを掛ける」
「はい。それで横から攻撃できると判断しました」
「大した相手じゃなければ、それも通用するだろうな」
だが、とブルードは続ける。
「相手はルベリアだけじゃない。何百年も魔物と向き合い、生き残ってきたエルフだ」
ブルードはレンドルの落とした剣を拾い上げた。
「剣も魔法も使う――熟練の魔法戦士だ」
動きも狙いも、読まれていた。そのうえで、カウンターが来る。
「剣を振らずとも、体で崩せる」
「そして、そのまま構えれば、次にも対処できる」
ブルードは剣をレンドルに投げ渡した。
「渾身の突きは、仕留められる瞬間に使え」
レンドルは頷いた。
そして短く息を吐き、深く吸い込んだ。まだ動く。痛みを押し込み、今度は自分から地を蹴った。
ブルードと同じように上半身を揺らし、全速力で正面へ。剣を前に構え、その重さごと加速に乗せた。
「突っ込む? さて、どうするか」
ブルードも走る。距離が一気に詰まる。
レンドルは遠目から突き構え、一気に距離を潰した。
――剣を放った。
ブルードは驚いたように体をずらす。その一瞬の隙を、レンドルは逃さなかった。
剣を放った直後、さらに踏み込む。避けた方向へ、飛び蹴り。
読みは合っていた、だが――ブルードはそれすらも避けた。レンドルは着地と同時に、転がりながらも投げた剣を素早く拾った。
眼前にはすでにブルードが迫っていた。
身体を回転させて、至近距離で切ろうとした。
ブルードの生身の腕が、レンドルの渾身の斬撃を正面から弾き飛ばした。
――嘘だろ。
驚愕を裂くように、ブルードが剣を薙ぎ払う。きわどいタイミングで剣の腹を当てて受け流すと、わずかにブルードの体勢が崩れた。
レンドルはその瞬間を好機と判断し、渾身の突きの一撃を放った。
放たれた刺突がその喉を貫くかに見えた刹那、ブルードの五指が鋼を捉えた。
――生身の手で鷲掴みにした。
凄まじい膂力でレンドルから剣を無理矢理奪い取り、放り投げた。同時にレンドルの手首は、骨がきしみ痛みに悲鳴を上げた。
次いで、その手をブルードは掴み上げた。痛みが増す。
レンドルの体は宙を舞い、振り回された視界が、一気に反転した。
無残にも大地に叩きつけられた。衝撃で息が止まる。
「はっはっは。狙いも読みも良かったぞ。剣を投げるのも剣技の一つだ」
ブルードはレンドルの剣を拾い上げた。
レンドルの剣は、刃が潰れていないロングソードだった。それを弾き、そのまま掴んでみせた。
「午後の訓練は中止だ、今日はここまでだ!」
鋭い声で指示が飛び、訓練生たちは散っていく。
「動けるようになるまで休んでいろ。食堂の朝飯が残っているかわからんがな」
ブルードはレンドルのそばに来て、笑った。
「……教官が、魔物に゛見えま゛したよ」
「無理にしゃべるな。俺は《加護》持ちだ」
それだけで、十分だった。人の強さを超えている。
ブルードは剣戦場を後にした。
レンドルは体に痛みを覚えながら、這うようにして立ち上がろうとした。
剣だけじゃ、足りない。かすり傷一つ、負わせられない。
――《加護》が、要る。
「大丈夫か、レンドル」
声をかけてきたのはロッサルだった。
「な゛んと゛かな……」
かすれた声しかだせない。差し出された手を掴み、起き上がる。
「それだけ喋れるなら大丈夫だ。さあ、食堂に行こうぜ」
「……土を落としたら向かうよ」
土埃にまみれていた。顔も髪もこのままでは食堂に行けないほどに。
レンドルはロッサルと並んで、兵舎に向かってゆっくりと歩き出した。
「なあレンドル。剣だけじゃ、あの人には勝てない。《加護》を持っているからな」
ロッサルにそう言われて、レンドルは頷いた。
「俺も《加護》を手に入れられたら……ベギラダの神殿に行くか」
鋼を振るうだけでは届かない。爪先ほどの掠り傷すら、あの男には刻めなかった。
「男爵以上じゃないと、ベギラダの神殿で《加護》を得ることは出来ないぞ。レンドルの家は騎士爵だから無理だ」
「分かってる。だから、神殿内にあるだろ、聖人サンルードの聖跡が」
「なるほどな、そっちか。平民でも祈祷ができる。《加護》を得る可能性があるな」
このサンガード皇国には、太陽の神を祀るベギラダの神殿がある。その中に、聖人サンルードが終焉を迎えた場所を祀る聖跡がある。
そこで祈りを捧げ、運が良ければ《加護》を得られる。この国で平民が得る唯一の場所だった。
「この間、用があって神殿の孤児院に行ったんだ。俺、そこで育ったから。そしたら冒険者が何人も運試しに来ていた。高いのにな。冒険者は、やっぱり稼げるってことだな」
ロッサルは、孤児院の出だった。冒険者になって金を稼いで、恩を返したいと言っていた。
「なあ、ロッサル。祈祷料ってどれくらいするんだ」
彼は両の手のひらを上に向け、お手上げだと言わんばかりに肩をすくめた。
「銀貨十枚だ」
「ないな。妹が侍女になるための支度金も重なって、余裕がない」
愕然とした。銀貨十枚なんてとてもじゃないが手が出ない。
「レンドルは騎士になるんだろ? 騎士院はどうするんだ」
父は騎士爵だが領地もなく、稼ぎのほとんどは生活に消える。借金もある。
「騎士院に入るための資金は底をつきてる。伝手で従騎士見習いになる道を考えてる」
「貴族のお抱えってことか。なるほどな、成績は優秀だし、剣の腕も確かだしな。歴史以外は」
ロッサルが鼻で笑う。レンドルは苦笑いを隠さなかった。
だが、騎士になったとして、いつ貯まるとも知れぬ祈祷料を待つ余裕など、あるのだろうか。
「それにしても高いな。銀貨十枚なんてあるわけがない。《加護》とは縁がないんだろうな」
「でも、絶対無理ってわけでもない。その冒険者たちの一人――疾風のフェザインという二つ名持ちが《加護》持ちになったらしい」
「有名な奴なのか?」
「聞いた話だとルベリアの冒険者で、そっちじゃ知られてるらしい」
「それって、ルベリアの戦力になるってことだよな」
「戦場に出てくればな」
金を積んだとて《加護》を得る保証はないが、挑まなければ、手に入ることも決してない。
父は、魔物退治専門の冒険者を続けている。
剣の腕を買われ、ときどき悪党退治の誘いもある。
稼ぎが悪いわけじゃない。
だが、借金の返済と、妹の支度金も稼ぐなら――冒険者か。




