第4話 誘われた神殿
――この男はただものじゃない。
右手は強く握られている。差し出す手は左手であるべきだった。だが、もう遅い。
レンドルは、そのまま白衣の男を引き起こした。
「……すごい手だ。冒険者ですか?」
心臓の鼓動が少し早くなっているが、冷静さを見せた。
握られた手から、感づかれているかもしれない。
「昔の話です。少し剣を振っていましたから」
レンドルは、白衣で隠れている腰のあたりに視線を移した。
白衣の男は、レンドルの手を離した。
男はレンドルの視線に気づいたように、ゆっくりとローブの裾を広げて見せた。腰には、武器になるようなものは何も下げていない。
レンドルはそのあと、白衣の男の顔を見た。穏やかな表情のままだった。そして、その眼は銀瞳だった。
「神殿に孤児院があるのを知っていますか? 今はそこで子供たちに教えているのですよ」
「……そういえば、兵舎に孤児院育ちの、ナイフが上手い奴がいる」
レンドルは同室にいるナイフ使いのことを思い浮かべた。
彼からナイフの投げ方を教えてもらった。
――もし本当なら。
「ロッサルですか? 私の教え子ですよ。筋の良い子でしょう」
白衣の男の言葉に、違和感はなかった。すべて、自然につながる。
そのとき、褐色の肌の剣士を視界の端に捉えた。すでに右手は柄に触れている。近い。踏み込まれたら間に合わない距離だ。
――しまった、この男も手練れだ。
右手に、わずかに力が入る。目の前の白衣の男が、周りを見渡した。
「気になりますよね――周りの視線」
白衣の男は、ため息をついた。
レンドルは、囲まれていると思っていた。
しかし白衣の男はその状況に気付いていながら、何も恐れていない。武器も持っていないのに、余裕すら感じる。
「実は、前にも加護を得られなかったと、襲われたんです。ちょっと懲らしめたら、貴族の息子だった。それからというもの、目を付けられてしまいまして……情けない話です」
男は苦笑いしながら、小さく肩をすくめた。思わず、レンドルの肩の力が抜けた。
やはり、この男は貴族に目を付けられていた。
目の前の男は腕が立つ。だから、貴族は傭兵を使っているのか。
褐色の肌の傭兵は、剣を抜く気なのを隠そうともしなかった。
巻き込まれれば、厄介事だ。
「ありがとうございました、騎士様」
その言葉は、レンドルの腰の剣に向けられていた。無意識に手が柄に掛かっていた。
「……俺は騎士じゃない、まだ見習いのようなものだよ」
そう言って剣から手を放した。褐色の肌の剣士に視線を送る。一呼吸のあと、傭兵も右手を下した。
「それは失礼しました。どうかご容赦ください」
白衣の男はそう言うと、小さく頭を下げた。
「いかがですか、神殿に祈祷に来られては」
男は続ける。
「近々、ルベリア王国と戦があるかもしれないと、そう聞き及んでおります。戦の無事、というのも変ですが……命を守ってくれるかもしれません」
レンドルは息を小さく整えた。
「祈りにそういう力があるのは知っているけど、……どうせなら加護のほうがいいな。ただ、祈祷料は高いし、俺には縁がない」
そう言ってレンドルは視線をわずかに落とした。
「加護をお望みですか。サンルードの聖跡ですね。初めての祈祷であれば、少しの寄進で大丈夫ですよ」
五本の指を広げて見せた。
「助けてくださいましたから、銀貨五枚です」
白衣の男は、レンドルだけに聞こえるように、小さく呟いた。レンドルがその言葉に反応すると、男は穏やかに続けた。
「お昼頃までに、私に声をかけられたと言えば……」
そう言いながら、指を三本に変えた。
そのとき、強い風が吹いた。フードがわずかにずれ、一瞬だけ覗いたのは、銀髪に特徴的なエルフの耳だった。
白衣の男はフードを押さえ、レンドルに一礼したのち、神殿への道へと進んでいく。その男が神殿に続く階段に向かうと、傭兵の何人かが、後を追う。
レンドルの近くを通り過ぎたとき、低く抑えた声が耳に入った。
「目を離すな」
最初、その言葉が誰に向けられたものなのかは分からなかった。だが、傭兵たちが白衣の男を追っていることだけは、はっきりしていた。
「おい、赤髪」
目つきの悪い傭兵が一人、近づいてくる。先ほどの褐色の肌の剣士だ。この国の者とは異なる風貌の男。
「あの白いローブの男と知り合いか」
「祈りを勧められただけだ。――あの男は神殿の関係者じゃないのか」
「余計な詮索はするな。お前の名前を言え」
「……騎士爵ファレン・ブレイズの子、レンドルだ」
「なに! ブレイズ家だと……」
――厄介事は全部ブレイズ家の名を出すようにしている。父は剣の使い手として名が知られている。国外にも、その名は通っていた。
「俺は軍の訓練兵だが、皇国の騎士になるつもりだ。揉め事に巻き込むな」
「だったら、あの男には近づかないことだ。紫のマントと関わりたくなければな。騎士になるつもりなら、俺の言っている意味が分かるな」
――紫のマントは、高位の貴族や王族に近いものしか許されていないはずだ。あの白衣の男は、そんな奴らに目を付けられているのか。
「話は分かったが、あんたは何者だ? この国の人間には見えないな」
「……余計な詮索は無用だと言った」
男の黒い眼光が、レンドルに突き刺さる。
「ちッ……俺は、お前の父親に命を救ってもらった恩がある。昔のことだがな。――いいか。俺は今、ブレイズ家に近寄るなと伝えたからな」
そう言って、傭兵の男は名前も名乗らず、雑踏の中に消えていった。
「……父さんに恩があるって、魔物討伐絡みかな」
父さんは話したがらないが、冒険者から成りあがったらしい。母さんから、剣術試合で高名な剣士に勝ったとも聞いた。今まで一度も勝てたことはない。かすり傷ひとつ負わせられなかった。まだ遠い。はるか先だ。
「……白衣の人、エルフだったな」
レンドルは、思わずそう呟いていた。
この国にもエルフはいる。珍しいことじゃない。兵舎にも、何人かいた。
悪い人じゃなさそうだった。でも、高位の者との揉め事はごめんだ。近寄るなと釘を刺されたし。
エルフの森とは建国以来、仲が悪い。当然エルフを嫌っている奴はいる。あからさまに距離を取るやつもいれば、絡んでくる連中もいる。貴族の連中は特にしつこい。嫌いだ。
魔法が使えるやつは、一目置かれている。レンドル自身も、母親のエルフの血が流れている。だが、魔法は使えない。だから、ブレイズ家の名前を出すことを覚えた。
白衣の男は、よりにもよって高位の貴族に目を付けられてしまった。自分の立場も、嫌でも思い知らされる。
「……訓練兵に銀貨三枚か」
――そんな金どこにある。必ず加護が得られるわけじゃない。
レンドルは広場の先から、港に向けて歩き出した。
「稼ぐなら、冒険者か……」
先ほどの髭面の冒険者を思い出す。銀貨十枚を貯めていた。あんな風貌でも稼ぎは立派だ。
しばらく進むと、遠くからでも分かるほどの人だかりができていた。男の怒鳴り声と、女の鋭い声がぶつかっていた。
その声は、ついさっき聞いたばかりだった。酒臭い息まで思い出した。




