第21話 騎士叙任 ―― 紅蓮の瞳に映る狼
ランパルザが抜いた剣が、レンドルの目に飛び込んできた。
その剣には見覚えがあった。
一度だけ、見学した騎士院の宝物庫で見たことがあった。
古代王国の技術の結晶、刻印魔法の長剣。
この国でも指で数えるしか存在しないとされる希少な魔法剣を、なぜこの男が持っているのか。
「ほう、気が付いたか。この剣のことを」
レンドルは、さらに一歩下がり身構えた。
「近衛騎士の剣を弾いたそうだが、この剣の前では無力だ。防御魔法を斬るのだからな」
衝撃だった。魔法の剣にそんな力があるなら、魔力を体に流したところで意味がない。
そうなれば答えは一つ。当たる前に躱すしかない。
ランパルザの構え、その隙のなさはどれをとっても、一級品だった。
強い。そう、レンドルは直感した。
だからこそレンドルは、ランパルザの立ち方の特徴を掴むことができた。
重心を悟らせない動き。脱力した、しなやかさ。
剣閃きの起こりを悟らせず、一瞬で間合いを詰めて斬りこんでくるに違いない。
――レンドル――
「うん? 何か言ったか、赤髪」
――剣をとりなさい――
レンドルの頭の中に、あの夢の中で聞いた、母の透き通った声が鮮明に響き渡った。
反芻した言葉が、そのまま口から洩れる。
――生きるには――
「なんだ赤髪、何をブツブツと。――ふん、狂人の類だったか」
「――戦うしかない」
レンドルは、向けられた剣先に吸い込まれるような、ゆっくりとした動作で剣を引いた。
「抜くな! レンドル!」
グリフォート騎士団長が大きな声で叫んだ。
その制止も虚しく、レンドルは剣を抜ききり、上級騎士の鏡合わせのように剣を構えた。
「――ここは戦場なんだ」
「ふはははは! 決闘成立だ! 外野は邪魔をしないでいただこう」
ランパルザの表情から、先ほどまであった余裕は消え失せ、その眼の奥から、明らかな殺意を感じた。
「お二人は、下がっていただこう。赤髪は剣を抜いたのだ。もはや剣を納めても、治まることなどありえん」
ブルードとグリフォートは上級騎士を睨んだまま、二人の騎士から離れたところに立った。もう、止めるものは誰一人としていない。
レンドルの紅蓮の瞳の奥には、小さな、けれど消えることのない炎が宿り始めていた。
「何もしないでいれば、俺は『戦わなかった者』として死ぬ。母に会わせる顔がない」
ランパルザは、レンドルから放たれた密度の違う気配に、わずかに眉を寄せた。
「気迫だけは大したものだ」
レンドルは、小さく足をずらして、距離を詰める。
「いいだろう、俺はサンガードの狼と呼ばれた――」
レンドルは剣を素早く振った。風切り音が響いた。ランパルザの発した言葉を、鋭く断ち斬った。
「狼は名乗らない」
ランパルザの目が、驚愕と屈辱に剥かれていた。
目の前の混じりものが、騎士として見ていない。ただの討つべき獣として、見下している。
それが、上級騎士としての彼の誇りを木っ端微塵に粉砕した。
「もはや怪我ではすまんぞ。死だ。お前に死をくれてやる。母親にすぐにでも会わしてやる。後悔する前に命を流せ」
ランパルザの全身が銀色を纏った。
レンドルは構えた剣を静かに顔の右側に運び、その切っ先をランパルザの喉元に向けた。
身体が魔力に包まれ、銀色に流れた。
「この剣の前では、魔力で防御は出来んぞ」
――あの時、剣を抜いていたら。
レンドルの後悔の念が、最高の集中力へと昇華される。
「狼を、殺す」
「騎士の作法も知らぬわ! 死ね、赤髪!」
ランパルザが、予備動作を一切見せずに強く石畳を踏み出した。
一気に正面の間合いを詰めたかと思った瞬間、大男の巨躯が急激にレンドルの左死角へと跳ぶ。
左から右へ、魔法剣の銀光が高速に振り払われ、レンドルの首を目掛けて襲う。
レンドルはその軌道を読んで左足を下げ、右足を軸に独楽のように鋭く方向転換した。
その最小限の動きで、振り払われた魔法剣の一撃を、そのまま紙一重で交わす。
ランパルザの剣先が、レンドルの首に到達する前に大きく頭上に流れた。
レンドルの魔力が銀色に光り流れ、ランパルザの剣先をそのまま流れ外した。
この切り払いの反動で、ランパルザの胸が開く。
上級騎士の目が信じられないといった驚きで大きく見開いていた。
魔法剣が、レンドルの魔力を斬り裂き、そのまま首に到達するはずが、レンドルが魔力を流すことで大きく軌道が変わった。
レンドルは、その隙を見逃すはずもなく、小さく踏み込んだ。
上級騎士の胸に正確無比な鋭い突きが刺さる。即座に剣を引き抜き、左手でその刃を制する。
両手でロングソードを斜め前へ押し出すように、深く踏み込み、そのまま敵の両眼を押し斬った。
直後、叙任の間の高い天井を、獣のような凄まじい絶叫が引き裂いた。
ランパルザの手から離れた魔法剣が床に落ち、短く乾いた硬質な音が何度も鳴った。
「……何と言うことだ」
ブルードは何か言いかけていたが、そんなことは、もうレンドルには関係がなかった。
上級騎士の近くに進み、今度はレンドルが冷酷に見下ろす。
目の前の男は無様にも跪き、目を抑えた両手の指の隙間から、血が流れている。
叙任の間の天窓から、光が落ちている。
レンドルは剣を振り上げると、光を受けた剣が眩しく光る。
狼の首元に、黒い影が生まれる。
「やめろ! レンドル!」
背後からブルードが飛び込んで、レンドルの腕を掴んできた。教官の体は銀色の魔力を纏っている。
凄まじい力で、レンドルの剣を奪いとろうとしていた。
だが、レンドルはそうはさせまいと、全身に強く魔力を流しこんだ。
「ブルード教官。こいつは俺を襲おうとした」
「勝負はついている、よせ!」
「もう――うんざりなんだ!!」
レンドルは空いた左手で、教官の手を掴まえ、無理矢理に引きはがした。
「どいてくれ」
理不尽に命を狙われ、大切なものを脅かされ、レンドルの怒りは限界を超えていた。
そして、急激に腕を振り上げ、教官を宙に浮かせると、思い切り石の床に叩きつけた。
「ぐふッ!!」
すさまじい轟音が叙任の間に響き渡り、石の床が粉々に砕け広がった。
「待て! レンドル! 母親の墓を潰されたいのか!」
レンドルの動きが完全に凍りついた。
振り返ると、グリフォート騎士団長が深刻な形相でこちらに近づいてきていた。
「……墓? 母さんの墓が、なんだって言うんだ」
レンドルの数歩手前で、騎士団長が立ち止まる。
「ランパルザを殺してみろ。決闘罪どころではなくなる。ランパルザは高位の貴族の家系だ。莫大な賠償金の支払いになるぞ。到底お前の家では支払えん。家も土地もすべて接収されるぞ。そうなれば、お前の家に建てられた墓はどうなる――エルザの眠りはどうなる」
レンドルは、はっと息を呑んだ。胸の奥の熱い霧が一気に晴れていく。
「……母さんには、静かに、安らかに眠っていてほしい」
「ならばその剣を、今すぐ鞘に納めろ」
「……俺は、自分の身を護ることすら、この国では許されないのか」
レンドルは悔しさに奥歯を噛み締めながらも、言われた通りに剣を静かに鞘へと収めた。
「お前の母親の遺体は、本来であればヴォルテニアに返されるはずだった。それを皇妃が断り、ブレイズ家の庭に埋葬を特別に許可した」
「皇妃の言っていた、父さんへの『貸し』が……それか」
レンドルは、蹲るランパルザを見下ろした。
行き場のない、怒りをどうやって鎮めればいいのか、今のレンドルには全く分からなかった。
「お前の戦場は、ここではないのだろう」
グリフォート団長が、叩きつけられて身動きの取れなくなったブルードの元へと歩み寄った。
「ウィンダス侯爵、生きてるな」
「……ルベリア遠征を、しばらく休みたいくらいには、生きてます……」
床に這いつくばるブルードが、苦しげに息を吐きながら答えた。
叙任の間には、未だランパルザの無様な悲鳴が空虚に響き渡っている。
直後、部屋の外から騒めく声と、金属鎧が激しく擦れ合う音が、慌ただしい足音とともに近づいてくるのが聞こえた。
騎士たちがこの広間に向かっていた。
教官を叩きつけた轟音を聞きつけたのか、あるいは、この狼の咆哮に駆け付けたのか。
開け放たれた広間の扉から滑り込んできた騎士たちの中に、レンドルは目を留めた。
短く切りそろえた金髪を持つ、凛とした女騎士がこちらに近づいてくる。
女性の騎士自体は珍しくもないが、彼女の胸当てには、ランパルザと全く同じゼルバ銀鎖騎士団の紋章が刻まれていた。
女騎士はランパルザに駆け寄り、顔面の凄惨な傷口を確かめる。
そして、こちらを向いて鋭く睨みつけた。
「サザンランド公爵、これはどういうことだ!」
その端正な顔立ちが、凄まじい怒りの形相に変わっていた。




