第18話 謁見の間 ―― 侍女フィーネ
近衛騎士の男が、レンドルから慌てて離れた。
小さな沈黙。近衛騎士たちの鎧が微かに鳴る。
「……グリフォートに、たぶらかされたのね。それは間違いよ」
「たった今のことだ。どの口が言っている」
「あなたは不敬を働いた。だからエストが切りかかった、それだけよ」
この近衛騎士――エストは初めから皇妃と口裏を合わせていたに違いない。
皇妃フィリネアリの口角が上がる。
不思議と楽しんでいるようにも見えた。
「俺は銀狼を殺すまで――戦場以外で死ぬわけにはいかない」
「ここは戦場よ」
「戦場は相手が誰だろうが、死ぬ」
「そうよ」
「だから、切り殺されても文句はないはずだ――あなたも」
「あるわ。不敬罪であなただけ死ぬ。一方的に蹂躙される戦場もあるわ。今がそうよ」
レンドルは一歩進み、公爵の横に並んだ。
「レンドル、それ以上は、よすんだ」
公爵がレンドルを遮るように声を発したが、レンドルはその眼を見ることはなかった。
「殺しに来た相手だ。銀狼のときみたいに、震える子供じゃない。――加護を得た」
近衛騎士たちは、レンドルに剣を向けたまま微動だにしない。
でも、何も恐れを感じない。剣は謁見前に預けたというのに。
「盗賊に襲われた村に、父と一緒に助けに行った。そこは戦場だった」
「ファレンの仕事が、そうだったわね」
「父親を殺された村の子供が、寝ている盗賊を槍で刺し殺した。殺される前に殺す。生きるためだ」
皇妃は黙って聞いている。
「戦場は相手との命の奪い合いだ。俺の命を奪うというなら、その奪い合いの先に――皇妃、あなたもいる」
「私を殺すと言うのね」
「銀狼を前に安全な場所などなかった。母さんは俺の目の前で殺された。――俺は戦うために加護を得た。銀狼を殺しに戦場に行く。それだけだ」
レンドルは、皇妃の前にゆっくりと足を進める。
近衛騎士たちは、それに合わせて皇妃を守るように全員がレンドルの前に立つ。
「ここが戦場なら、俺の目の前には狼がいるはずだ」
息を飲む声が聞こえた。
「――お前も狼なんだな」
「私を、お前呼ばわりとは……。陛下にも、そんな言葉を許したことがないわ」
「どうでもいい」
レンドルは、全身の魔力をさらに強めた。
どれほど、魔力を強めようと無くなる気がしない。
「陛下から聞いた戦場とは、大違いね」
皇妃がため息をついてみせた。その振る舞いが、レンドルの感情をさらに逆撫でする。
「大きな戦だけが戦場じゃない。俺は父の剣に守られながら見ていたんじゃない。盗賊退治も魔物討伐も、命の奪い合いだった」
「でも、戦場なのに剣を忘れてるわ。狼と戦えるのかしら」
レンドルの指先が、近衛騎士たちへ向く。
「そこに、剣を持っている奴が大勢いる」
レンドルは気合の声と共に、大きく右足を踏み込んだ。凄まじい轟音が鳴り響き、大理石の床が砕けた。
空気が強く震え、燭台の炎が大きく揺らめいた。
レンドルの体に分厚く複雑に流れる銀色の魔力が溢れ出た。
「な、なんという力だ」
近衛騎士たちから、一斉に声があがる。
レンドルはまた一歩、玉座に向かって踏み出そうとした。
皇妃の口元から笑みが消えた。
その時だった。
「残念ね。フィーネ。おいで」
「フィーネ?」
聞き間違いじゃなかった。皇妃が言った言葉は、確かに妹の名前だった。
扉が開く音が聞こえる。レンドルは自然と目を向ける。
「フィーネって何を言って……」
小部屋のようなところから女に連れられて、妹のフィーネが現れた。
連れて歩いてくるのを、ただ眺めていた。そして、先ほど切りかかった近衛騎士の目の前に立った。
顔面蒼白の妹がそこに居た。
レンドルは一歩も動くことが出来なかった。
エストを見ると、苦痛をこらえながら、にやつく顔がやけに鮮明に見えた。
折れた剣はまだ持っている。
「な、なんでフィーネがここに……」
「赤髪、お前と違って、妹は耳がとがっているな。お前に折られた剣先のようだ」
エストがフィーネの耳に触ろうとした瞬間、体の底からおぞましいものが沸いてきた。
「触れたら、殺してやる」
「エスト。その娘は私の侍女にするの。触っては駄目よ」
エストの手が寸前で止まる。にやけていた顔が消えた。
妹の頬に涙が流れる。レンドルは鼓動が早くなるのを抑えられなかった。
「……兄さん、ごめんなさい」
「あら、謝る必要はないのよ。近衛騎士に任命するところを、あなたの妹に見せたかったの。驚かせようと思って、ね」
何も分からない。グリフォートを見ると、茫然としていた。
その顔は、思いもよらなかったと答えていた。
「近衛騎士のことは諦めるわ。私の側に置くなんて、安全とは思えないもの」
レンドルが皇妃を見ると、妖しく微笑んでいた。肌がひりついた。
こうなることを、予想していたのか。そんなことが、あるはずがない。
「銀狼を倒したら迎えに来なさい。それまで、フィーネは私の侍女で頑張るわ。私も、フィーネも冒険者レンドルを応援するわ」
「――よくもそんな汚い真似を」
人質にする気なのは明らかだった。最初から、弄ばれていた。
全身が沸き立つ、熱を発していた。
初めて覚えた感情だった。魔力が制御できない。勝手に全身を巡る。
凄まじい力だったが、やり場のない膨大な魔力がレンドルを包んでいた。
「フィーネに傷一つ付けてみろ。――お前も」
「レンドル。言葉に気を付けなくては、ね」
皇妃の言葉がレンドルを遮った。
そして、自身の首を優しくなでる仕草をした。
言葉一つで、フィーネの首が落ちる。
レンドルの奥歯が、ぎりぎりと音を立てる。
「さ、グリフォート。話は終わったわ」
公爵を付けずに、呼び捨てだった。
暫くの沈黙のあと、公爵が口を開いた。
「レンドル……下がれ。二度は言わん」
黙るしかなかった。誰も、差し伸べる手などなかった。剣だけが向けられた。
「レンドルは、懲罰兵として最前線で名誉の回復を。ここで血を見る必要はありません。皇妃様もそれでよろしいですかな」
騎士団長は、絞り出すような声だった。最初に皇妃とやり合っていた時の勢いは、もうなかった。
「ええ。レンドルは下がっていいわ。それと、転んで怪我をしないようにね。フィーネが悲しむわ」
その言葉に、レンドルはグリフォートを見た。
グリフォートの目は死んでいた。
全て見透かされていた。
レンドルは皇妃に向けて、敬礼をした。
心に何もない。ただ形だけ、それだけだった。
踵を返し、広間の扉に向かって歩いた。
退出するとき、皇妃の声が背に届いた。
「さすがファレンの血ね」
レンドルは廊下に出た。振り返り再度、敬礼をとる。
閉まる扉の向こうで、皇妃が指先を唇にあてて、上品に笑っていた。その光景が目に焼き付いた。
フィーネの涙を、連れてきた女が拭っている。
次に会うのは遥か先だった。
石畳の冷たさが、靴底を通して伝わってくる。
レンドルは王城を出て、兵舎に向かう。
まだ魔力が、指の先まで満ちているのが分かる。
腰に戻された剣の重さが、いつもよりずしりと感じる。
父に、なんて言えばいいのか。父ならどうしていたのだろう。
自分で答えが見つけられる気がしなかった。
――この国は、狂っている。




