第116話 ルベリアの罠 14 ―― 撃退
レンドルの振り下ろした長剣は、銀狼の右目を斬り裂き、そのまま右肩から伸びる氷の刃まで両断した。
剣の軌道に、真っ赤な線が描かれて残る。
銀狼が吠えた。
獰猛な顔を苦痛に歪ませながら、大きく後ずさる。
『ぐ、おぉぉオオッ! 熱い! なんだ、これは――!』
周囲の戦士たちから、どよめきが起こった。
「銀狼が怯んだぞ!」
銀狼を覆う銀膜が明滅し、消える。
漆黒の体毛が剥き出しになった。
右目の傷口が青く光る。治癒しようとしているのだろう。
だが、先ほどとは違う。傷口が塞がらない。
「レンドル!」
遠くから、どこかで聞いた声が上がった。
ノックスか、ベックか。
レンドルはその場に倒れ込んだ。
だが、すぐに顔を上げ、もう一度立ち上がろうとする。
銀狼は傷口を氷で凍らせようとした。
しかし、氷に覆われた途端、白い湯気が立ち上り、溶けていく。
それどころか、右目の傷口から紅い光が徐々に広がっていた。
間違いない。紅い魔力が、銀狼を侵食している。
レンドルは自分の長剣へ目を向けた。
刀身は徐々に輝きを失っている。
刃の周囲では陽炎のように空気が揺らめき、纏っていた昏い魔力が抜け落ちていくようだった。
『なんだ、その剣は……』
銀狼が低く、苦しそうに呟いた。
次の瞬間、その顔を怒りに歪ませ、レンドルへ襲いかかった。
巨大な前足が振り下ろされた。
だが、レンドルへ届く寸前、氷の盾が立ちはだかった。
――ジーク。
黄金騎士の攻撃にも耐えた、あの氷の盾だ。
湾曲した氷の盾が銀狼の前足を受け止め、その力を横へと逸らす。
爪が盾の脇を滑り抜け、地面を大きく抉った。
「させないわ!」
ジークが叫んだ。
盾を維持したまま、幾つもの氷の槍を銀狼へ放つ。
銀狼は身を翻したが、全てを避けることはできなかった。
数本の氷槍が漆黒の身体へ突き刺さる。
それを見た軍の魔法士たちも、一斉に魔法を放った。
巨大な火球が銀狼の身体へ直撃する。
爆炎が上がり、その巨躯が横へ押し流された。
間髪を入れず、弓兵たちが矢を放つ。
無数の矢が雨のように降り注ぎ、その多くが銀狼の身体へ突き刺さった。
何本かは弾かれたが、それでも漆黒の体毛には次々と矢が突き立っていく。
「畳み掛けろ! このまま押し切るぞ!」
誰かの号令が響いた。銀狼が傷ついた。その事実が、戦士たちの士気を一気に押し上げた。
『おのれええええぇぇぇ!』
銀狼が咆哮し、大きく跳躍する。
巨躯が、後方にいた魔法士たちの只中へ落ちた。
「うわあああッ!」
「逃げろ!」
悲鳴が上がる。
何人かの魔法士が巻き込まれ、地面へ叩きつけられた。
倒れたまま、動かない者もいる。
ジークがすぐさま追撃した。
無数の氷の礫が銀狼へ襲いかかる。
銀狼も氷の盾を作り出し、それを防いだ。
そして、魔法士たちを巨躯で弾き飛ばしながら包囲を突破する。
そのまま森の奥深くへ駆けていった。
――逃げた。
レンドルは目を見開いた。
あの銀狼が。
母を殺した古の魔獣が。
逃げていく。
信じられなかった。
レンドルは呆然と、その漆黒の巨躯が森の中へ消えていくのを見送った。
やがて、戦場から歓声が上がった。
「おおおおおッ!」
「撃退したぞ!」
「銀狼を追い払った!」
だが、その歓声に浸っている暇はなかった。
「治癒士を呼べ!」
「こっちにも負傷者がいる!」
銀狼が去った後も、辺りには多くの戦士たちが倒れている。
氷に貫かれた者。
牙や爪に傷つけられた者。
魔法に巻き込まれた者。
まだ息のある者もいた。
治癒が間に合えば、助けられるかもしれない。
「騎士団長!」
聞き覚えのある声が響いた。
ノックス大隊長が、倒れた戦士たちの間を走っている。
やがて、砕けた調印台の近くで足を止めた。
「騎士団長! 聞こえますか!」
地面に倒れていたのは、グリフォート騎士団長だった。
ノックスが膝をつき、すぐに首元へ手を当てる。
「息がある!」
顔を上げ、大声で叫んだ。
「治癒士を呼べ! 騎士団長は生きている! 急げ!」
近くにいた兵士たちが駆け出していく。
サナロアがレンドルの肩へ手を置いた。
「終わったのか……本当に、終わったのか」
その声は震えていた。
「多分……」
レンドルも、曖昧にしか答えられなかった。
目の前には、倒れた騎士や兵士たちがいる。
銀狼を撃退したとはいえ、あまりにも大きな犠牲だった。
そうだ、あの男はどこだ。レンドルはラクアを探す。
ラクロアンの騎士たちに囲まれて、ラクアが治癒魔法を受けていた。
たしか、アルティドだったか。エルフ保護区で育った治癒士見習い。
ジークはラクアの様子を確かめると、レンドルへ駆け寄ろうとした。
「レンドル――」
その瞬間。
横から伸びてきた手が、ジークの腕を掴んだ。
「離して!」
ジークが悲鳴にも似た声を上げた。
その腕を掴んでいたのは、銀狼の氷の槍で死んだと思っていた、傷だらけのブルードだった。
ブルードはジークの顔を食い入るように見つめた。
雨に濡れた銀髪。そして、その銀瞳。
「その銀髪……銀の眼……」
その表情が、驚きに変わった。
「お前、まさかネオネスの娘なのか!」




