第114話 ルベリアの罠 12 ―― 見えた未来
すさまじい衝撃が両手を伝わった。
剣は、銀狼の牙の根元へ深く食い込んでいた。
そのおかげで噛みつきだけは辛くも防ぐことができた。
だが、銀狼の巨躯までは止められない。
そのまま身体ごとぶつかられた瞬間、剣が口元から抜け、レンドルは大きく吹き飛ばされた。
灰色の空と地面が、交互に視界を過ぎっていく。
地面に叩きつけられ、さらに木の根元へ激突して、ようやく身体が止まった。
それでも、両手で握っていた剣だけは放さなかった。
息ができない。
先ほどの一撃では、剣先だけに魔力を集中させていた。
身体を守るために回す魔力など、ほとんど残していなかった。
口と鼻から流れた血が、濡れた地面へ滴り落ちる。
全身に激痛が走り、立ち上がることさえできなかった。
ぼやける視界の中、ラクアや騎士たちが銀狼へ次々と剣を突き立てているのが見えた。
先ほどまで戦士たちの口元から上がっていた白い息が、消えている。
そして、銀狼を覆っていた銀膜が失われ、漆黒の体毛が露わになっていた。
「魔力が練れるぞ!」
誰かが叫んだ。
直後、幾つもの魔法が続けざまに銀狼へ叩き込まれた。
――そうか。
銀狼が銀膜を纏っている間は、異常な冷気が周囲を包み、他の者は魔力を扱えなくなるのか。
あの魔獣は、そんなことまでできるのか。
だが、魔力防御を失っていても銀狼の猛威は止まらない。
皇国とラクロアンの戦士たちへ向けて、牙と右肩の刃を振るう。
何人もの戦士が刃に斬り払われた。金属製の鎧も鎖帷子も、まるで何の意味もなかったかのように引き裂かれていく。
牙に噛み砕かれる者。
巨大な前足に踏み潰される者。
それでも、戦士たちは銀狼を取り囲んだ。
その時、銀狼の足元が泥のように沈み始めた。
地面が沼のように変わり、巨躯の動きが鈍る。
そこへ無数の氷の槍が降り注ぎ、銀狼の身体へ突き刺さった。
さらに上空には巨大な岩が現れ、そのまま銀狼めがけて落下する。
皇国とラクロアン。
双方の魔法士たちが放つ強力な魔法が、息つく暇もなく銀狼へ降り注いでいた。
このままなら、倒せるのではないか。
そう思えるほどの集中攻撃だった。
だが、銀狼の傷口が青く光り始めた。
裂けた肉が塞がり、突き刺さった傷が、目に見える速さで消えていく。
周囲からどよめきが上がった。
同じだった。巨人族の傭兵ドッテヌーアも、傷を瞬く間に治していた。
銀狼も、治癒の加護を持っているのか。
傷が完全に塞がると、再び漆黒の身体を銀膜が覆っていく。
傷を癒している間は、魔力防御まで維持できないのかもしれない。
「レンドル! 大丈夫!」
聞き覚えのある声がした。
ジークが駆け寄ってくる。
だが、周囲を見渡すその顔には、戸惑いが浮かんでいた。
「あたし、どうしてここに……」
意識が遠のきかけた。
レンドルは全身へ魔力を流し込み、無理矢理に身体を奮い立たせる。
剣を杖代わりにして立ち上がろうとしたが、片脚にまったく力が入らなかった。
「だめ、無理して立たないで」
ジークが身体を支えようとする。
「皇国とラクロアンの調印式の最中に、銀狼が襲撃してきたんだ。君は、また記憶を――」
ジークの顔が悲しみに歪んだ。
頬を伝う雫が、雨なのか涙なのかは分からない。
濡れた銀髪は、曇天を映したように暗く沈んで見えた。
「大丈夫。今は銀狼を何とかしよう。それに、俺は――」
――そうだ。女商人ペルギアとの約束だけじゃない。
「君を助けると、誓ったんだ」
その時、銀狼が前足を地面へ叩きつけた。
再び銀色の波が地面を走る。
ジークがすかさず手をかざし、氷槍の魔法を地面へ撃ち込んだ。
銀色の波とジークの魔力がぶつかる。
直後に地面から生えた氷の棘は、先ほどとは違い、まばらにしか現れなかった。
――ジークの魔法が、銀狼の魔法を抑え込んだのか。
魔力と魔力。
魔法と魔法のぶつかり合い。
ジークは迷わず戦おうとしている。記憶が曖昧なままだというのに。
今、自分が何をすべきなのかを、すぐに理解したのだ。
それに、なぜか彼女は銀狼の冷気の影響を受けていない。
レンドルは、彼女も自分と同じように魔力を扱えているのだと気づいた。
何か理由があるのだろう。魔力の性質が関係しているのかもしれない。
氷の槍と、氷の棘の合間を縫うように、一人の女性がこちらへ駆けてきた。
雨に濡れた青い髪がなびいている。
その姿が見えた瞬間だった。
〝アオイカミ シンジャウネ クスクス〟
耳元ではない。頭の中へ、直接ささやきかけられた。
同時に、レンドルの脳裏へ一つの光景が飛び込んできた。
銀狼の右肩から伸びた刃が横薙ぎに振るわれる。
その先にいるのは――サナロア。
青い髪が舞う。
銀狼の刃に斬り払われる彼女の姿が、一瞬だけ鮮明に見えた。




