第112話 ルベリアの罠 10 ―― 古の魔獣
調印の場に集まった、皇国とラクロアンの騎士や兵士たちが、一斉に武器を構え、銀狼へ向けた。
ざわめきと悲鳴にも似た声が、周囲から上がる。
これまでに幾度も死線を潜り抜けた経験が、レンドルの強張る体を無理矢理に動かした。
あの時、剣を抜けなかった少年じゃない。
レンドルは、剣を抜ききり、全力で魔力を注ぎ込む。足元が爆ぜた。
忘れるはずがない。
母さんを殺した、古の魔獣。
「銀狼!」
レンドルは大きく吠えた。自分を奮い立たせるためだったのか。
それとも、突如として現れた仇への怒りだったのか。
いろいろな感情が一瞬でレンドルの身体を突き抜けた。
自分の剣を信じ、これまでやってきた。
そして、加護を手に入れ、強大な敵と戦い生き抜いたことで、一歩踏み出す勇気も得た。
その全てがレンドルに剣を抜かせた。
レンドルの凄まじい剣が、銀狼の身体に振り下ろされる。
だが、はじき返された。銀狼の魔力防御を突破できなかった。
間違いなく全力だった。刃にも、限界まで魔力を流し込んでいた。
今まで感じたことのないほど強固な魔力防御が、目の前の狼を覆っている。
黄金騎士や巨人族の傭兵の魔力防御が薄い布だとすれば、銀狼の纏う魔力は、まさに鋼鉄だった。
『ワタシの眷族を殺したのはお前らか』
銀狼はその場から動かず、碧眼でレンドルを見据えた。
レンドルは、何も答えなかった。
銀狼の足元には、騎士団長が倒れているのが見えた。衝撃で後頭部から血を流していた。
レンドルは視線をジークへと向けた。
彼女は虚ろな瞳のまま、その場に立ち尽くしている。
恐ろしい魔獣を前にしているというのにだ。
何事もなかったかのように、その銀瞳には何も映っていないようだった。
レンドルは踏み込み、銀狼の後ろ足を狙って剣を振るう。
白銀の巨躯が沈み込んだかと思うと、凄まじい速さで体当たりが叩き込まれた。
レンドルの身体が宙を舞う。
地面に叩きつけられ、息が詰まった。
魔力で守っていなければ、全身が砕けていた。それほどの衝撃だった。
レンドルは、口の端から血を零した。
レンドルは、全身に痛みを覚えながら、ゆっくりと立ち上がった。
そんなことは気にもせずに、銀狼は視線をラクアへ移した。
『お前、昔会ったな。ファレンは一緒か』
「一緒じゃない。吹き飛ばした赤髪はファレンの息子だ」
銀狼の碧眼が、再びレンドルを捉えた。
『ほう――』
――父さんを知っている。
父はかつて、銀狼討伐に加わっていたと聞いている。
だが、目の前でその名を呼ばれると、頭の中が冷えていくような感覚があった。
あの時も、銀狼は人の言葉を話していた。
だが幼かったレンドルは、魔獣が言葉を話すという事実すら、まともに受け止められなかった。
「懐かしんでる場合じゃない。何しに来た」
『眷族が人族に攫われた。匂いを辿れば、この要塞で途切れていた。だが、精霊の声に呼ばれて来てみれば――武器を抜いたお前たちがいた。だから氷の槍を打ち込んだ』
武器を抜いた者たちを、敵と判断したのか。
それに、銀狼には精霊の声が聴こえるのか。
まさか――あの「おおかみ よんだ」という声は、精霊が銀狼を呼んだということなのか。だが、なぜ――。
銀狼がラクアへ近づき、鼻を鳴らした。
『精霊の匂いがするが、違うな』
銀狼が、一歩二歩とジークとの距離を詰めた。
『このエルフの女から、ネオネスの匂いがする。やつが、ここにいるのか』
銀狼の魔力がさらに濃くなる。周囲の空気が歪んでいるように見えた。
「ネオネス? 知らんな。この女は俺が連れてきた」
ラクアは剣の柄に手をかけ、その周囲にいる護衛騎士たちが、武器を構えながら距離を詰めていく。
『まあいい、そのエルフの女をもらおう』
「ジークを渡せば、去るということか」
『仲間を殺されて、お前は黙っているのか?』
ラクアが剣を抜くと、魔法の刃が激しく光を帯びた。
そして、銀狼が前足を上げ、地面を強く踏み鳴らした。
『皆殺しだ』




