第98話 嵐の朝に 3 ―― 雷鳴も届かなかないほど
ブルード・ウィンダス侯爵は、何者なのだろうか。
サンルードの聖跡で加護を得たあと、この男の執務室に呼ばれた。
部屋に入ると、酒を浴びるくらい飲んでいたのか、テーブルには空き瓶が山と積まれている。
あの時、この男の無理に作った表情に、違和感を覚えたのは間違いじゃなかった。
今、こうして、同じように無理に作った表情を浮かべる。
ずっと、心に引っかかる言葉があった。聖人サンルードを『狂人の血』と呼んだ。
ジークと話しているときにも、彼女はサンルードのことを、そう呼んだ。
だから避けていた。踏み込むのが、どうにも怖くて。
グリフォート騎士団長に呼ばれて、自分の加護が『英雄の加護』だと知らされた。
それは、ヴォルテニア王の系譜であることの証明だった。
驚いたし、気にはなった。だが、どうでもよかった。あり得ない話だったからだ。
英雄の加護だとわかったから、皇妃から呼び出された。
グリフォート騎士団長の甥も加護を得たから、近衛騎士に任命された。
証紋官ゴードンが話していた、加護を得た者が行方知れずになっていること。
加護のせいで命が狙われたと思っていた。
グリフォート騎士団長の甥が殺された理由と同じだと思っていた。
ずっと、加護のせいだと思っていた。
酔ったせいなのか、ブルードが言っていた。
『英雄の加護は、ヴォルテニアの王族の系譜のみに発現する』
そうだ。サンルードの聖跡は、サンルードの血脈でなければ反応しない。
行方不明になった者たちは、いや殺された者たちは、サンルードの聖跡で加護を得たのだ。
つまりは、サンルードの血脈だった。
だから、皇妃に命を狙われたのは、王族の血のせいだということになる。
外洋の大国、神聖ヴォルテニア帝国の王族の血。
レンドルがそうならば、同じ両親から生まれた妹のフィーネも、同じ血を引いているはずだ。
だとすれば、父ファレンもまた、王族の血を引いていたことになるのではないか。
母エルザはエルフだ。王族の血が、母の方から流れてくるはずがない。
加護の強さには幅がある。だから英雄の加護を得た者たちもそうだろう。
魔力紋から何の加護かわかるなら、判別は可能なはずだ。
サンルードの血脈かどうかを。
ブルードが保護していると言った者たちは、望まぬままに、青き月に還った。
レンドルが、こうして生きていられるのは、加護の強さのお陰だと理解した。
――ブルードは、サンルードの血を消している。
ザイード商会の息子と揉めたとき、ブルードは父に会いに行こうとしていた。
父は屋敷にいたのだろうか、冒険者の仕事で不在だったかもしれない。
どちらにせよ妹のフィーネが、訪問者に対応したはずだ。
だが、妹は王城にいて、謁見の間に姿を現した――皇妃に囚われた人質として。
レンドルは心臓が静かに高鳴るのを感じる。
考えれば考えるほど、嫌な予感がした。
そもそも、どうして妹は王城にいたんだ。
ブルードが屋敷を訪ねてきて、妹を王城に連れて行ったのか。
いくら父とブルードが親しいとはいえ、子供であるフィーネをブルードに預けるものか。
妹を一人で王城に向かわせるはずがない。父も一緒のはずだ。
もし父が不在だったとしても、フィーネが父の許可なくして、侯爵の馬車に乗るはずもない。
フィーネは頭がいいし、そういう危険なことには乗らない。
『近衛騎士に任命するところを、あなたの妹に見せたかったの。驚かせようと思って』
皇妃が言っていた言葉が、頭の中で繰り返される。
まさか、無理やり馬車に乗せたのか。
いや、もし、父がいたらどうだ。
父と妹が一緒に王城に向かうことはあっただろうか。
身支度もせずに、皇妃の前に父が立つことは考えられない。
父を無理矢理連れて行くのは不可能だ。微細な体調の異変にも、雰囲気にもすぐに気づく。
だとすると、父は最初からいなかったということになる。
本当にそうなのか。
父は、自分がルベリア要塞に行くことは知っていた。
妹一人を屋敷に残すはずがない。かならず、信頼できる知人に預けていた。
商人からの個人依頼で外出しているなら、さらに商人から護衛が手配もされるはずだ。
謁見の間で会った妹は平服だった。
普段なら外出用の服を、妹に着させるはずだ。父が着替えさせないわけがない。
違う。違うぞ。そうじゃない。
皇妃は妹を人質にとるような人物だ。手段を選ばない。
フィーネを人質にとって、父を脅した。
そうすれば、父は大人しく馬車に乗ったかもしれない。
妹を人質に取られて、父は手を出せなかった。
父もブルードに連れ出されたか。
あるいは、もう――。
皇妃とブルードは繋がっていた。
レンドルがそう確信したとき、グリフォート騎士団長が告げた。
「皇妃は、ルベリア王の娘ではない」
衝撃の言葉だったが、レンドルの耳には残らなかった。
レンドルは右手を強く握りしめた。
身体の奥底から、おぞましい感情が湧き上がるのを抑えるのに必死だった。
喉が異様なほど熱い。息が詰まりそうだ。渇いた喉に無理やり唾を飲ませる。
ここで、魔力を暴発させてはいけない。ブルードに気が付かれるわけにはいかない。
きっとあの昏く紅い魔力が出てきてしまう。
もう、レンドルの耳には雷鳴も届かなかった。
空気が震えているのか、自分が震えているのかすら分からない。
だから、もう無理だった。




