第97話 嵐の朝に 2 ―― 雷鳴と一緒に聞こえた言葉
思いもよらぬ言葉が、グリフォート騎士団長から発せられた。
ラクアを殺す、と。
サンガード皇国と、独立国家共同体ラクロアンは、要塞攻略の前に協定を結んでいた。
盟主ラクアが、直接サンガード皇国に来たのはそのためだった。
この難攻不落のコルタナ要塞を落とすために手を組み、そのまま同盟を締結する方向で交渉が進んでいた。
一体どうして、それがラクアを暗殺しようという話になるのか。
エングラム副団長は、こちら側に立っている。
つまり、この恐るべき決断は、騎士団長が腹心に何の相談もなく、独断で下したものということか。
「時間がない。理由を説明する。よく聞け」
グリフォート団長は、直立不動で並ぶ上級騎士たちとブルード、そしてレンドルへと、射るような峻烈な視線を順に走らせる。
「この遠征は、我が皇国の威信をかけた報復戦だ。皆も知っての通り、偉大なるサンブラント皇帝陛下は、ルベリアとエルフの手にかかった」
騎士たちは微動だにしない。
事実であり、この過酷な戦を支える大義名分だからだ。
「最初に、エルフの森から和解の提案があり、中立国のルベリア王国で調停を行う予定だった。この時ルベリアに話を付けたのが、ルベリア王女にして、皇妃たるフィリネアリだ」
部屋の中は、窓を叩く激しい嵐の音を除けば、静まり返っている。
ただ、居並ぶ騎士たちの強張った鎧が擦れ合う、微かな金属音だけが、この空間に許されていた。
「だが、エルフとルベリアの調停反対派がこれを阻止するため、ルベリア王都に向かう途中の陛下を襲撃した。――その襲撃者の一団の中に、ラクアがいたのだ」
「ラクアが? ……団長、それは確かな証拠があっての言葉なのですか」
エングラムが静かに問う。その壮年の顔からは、一切の感情を読み取ることができない。
「ある。一つは、陛下の亡骸を命懸けで守り抜いた近衛騎士が、事切れる間際に残した言葉だ。襲撃者が剣を振るった直後、雷光の如き光の刃が陛下を切り裂いた、とな」
レンドルは思わず声を上げた。
「まさか、刻印魔法の光の剣!」
会議室の重苦しい視線が一瞬にして赤髪の百人長へと集まり、その場の全員が一斉に息を呑む。
この場にいる上級騎士たちであれば、ラクアが放った『光の剣』の脅威は、すでに隅々まで知れ渡っている。
「レンドル隊の灰兎族のタタが、氷の魔法使いジークを連れ出そうとしたときに、ラクアの放った光の刃で斬られたと報告があった」
ラクアが、あの時に放った光の剣。
幸いにも致命傷こそ免れたものの、恐るべき威力だった。
タタの着ていた頑強な革鎧は容易く裂かれた。
「しかし、団長。光の刃という特徴だけで、ラクロアンの代表を皇帝殺害の犯人と断定するには、少々強引では」
エングラムが慎重に口を挟むが、グリフォート団長はそれを遮るように話を続ける。
「魔力痕跡を採ったのだ」
かつて加護を授かった翌日、王都の証紋官ギルドで、レンドルは自身の魔力紋を羊皮紙に刻んだ。
『魔力の痕跡が残ることがある。それと照合することで犯人の手掛かりにもなる』
あの時、証紋官ゴードンが淡々と語っていた言葉をレンドルは思い出す。
「二つ目の証拠だ。陛下を切り裂いた光の刃は、現場に濃厚な魔力の痕跡を遺していた。当時、証紋官がそこから魔力紋を採取し、詳細に記録していた。そして、タタを斬り裂いた刃の魔力痕跡と照合したところ、二つの紋様は驚くほど酷似していたのだ。儂も自らの目で確認したが、ほとんど同一のものにしか見えん」
会議室に、一気にざわめきが広がる。
魔力紋が一致したというのなら、それはもう言い逃れのできない決定的な証拠だ。
「ジュカが治療を施し、魔力の残滓が完全に消え去る前に、要塞内にいた証紋官にその魔力を採取させたのだ。ダロムの機転でな。あいつは元憲兵隊の出身で、証拠の価値を誰よりも熟知している。今回は、その細やかさが完璧な大当たりを引き寄せた」
氷で城門を塞ごうとしたあの混沌の最中、準騎士ダロムが光の剣について妙に詳しく尋ねてきたのは、すべてこのためだったのかと、レンドルは合点がいった。
「刻印された剣そのものが宿す魔力と、そこに注ぎ込んだ魔力は混ざり合う。だが、それでも魔力紋が一致したということは――」
魔力紋は双子であっても異なる紋を刻むと、証紋官は話していた。
もう答えは出ていた。
エングラムは、怒りと驚愕の入り混じった声をあげる。
「皇帝陛下を、殺害した真犯人は、ラクロアンの英雄ラクア……なんということだ!」
そう告げた直後、まるでその言葉を遮るかのように、空を引き裂く凄まじい雷鳴が響き渡り、会議室を大きく揺らす。
その轟音の瞬間だった。ブルード・ウィンダス侯爵の声がレンドルの耳へと届く。
「――雲行きが怪しくなってきたな」
外はすでに凄まじい大嵐だというのに、何の冗談かと思った。
だが、単なる天候の揶揄とは思えなかった。
レンドルがブルードを見ようと首を動かしかけたその瞬間だった。
何かを制止するような、風の囁きにも似た声が頭の中で直接響く。
その時、レンドルの脳裏に、精霊語りのジュカが語っていた言葉が鮮やかに蘇る。
精霊紋の祝福がもたらす『精霊の気配を感じ取り、色々な気づきを与えてくれる』という恩恵。
いまの静かな囁きは、精霊が何かを伝えようとしているのだろうか。
レンドルはその警告にも似た感覚に従い、ブルード教官へ視線を向けまいとした。
その、はずだった。
だが、レンドルは抗うようにブルードへ視線を向けた。
エングラムは顔を歪め、居並ぶ騎士たちの間にも明らかな動揺が広がっている。
だが、ブルードだけが違った。
驚いていない。
いや、違う。
驚いた顔をしている。
だが、その表情はどこか不自然だった。
ほんの一拍遅れて、周囲に合わせるように作られたものに見えた。
なぜだ。
なぜ、周囲を見てから驚いた顔を作った。
まさか、知っていたのか。
ラクアが皇帝陛下を殺したことを、この男は最初から――。




