第96話 嵐の朝に 1 ―― 雷鳴のとどろく瞬間
朝から雷鳴が轟き、空は夜かと見まがうほど暗い。
黒みがかった灰色の重い雲に覆われている。
時折窓に叩きつける雨は強弱を繰り返し、要塞を震わせる風も冷たい。
兵たちが朝食の準備を始めたころ、レンドルは騎士団長に呼び出され、コルタナ要塞の中枢の建物にいた。
まだ血の匂いや戦いの跡が残る建物の奥に案内されると、重厚な鎧を着た騎士たちに囲まれ、会議室に円を作るように並ばされていた。
レンドルに注目が集まる。神妙な面持ちの騎士たちが五名、並んでいる。
彼らの鎧にはサザンランド公爵の紋章が刻まれていた。
ただの騎士ではない。装備の質を見ればわかる。皆、上級騎士だ。
そして、抑えているが魔力を感じる。加護を持っているのかもしれない。
その騎士たちの前には、グリフォート騎士団の右腕、副団長のエングラムもいる。
それに、ブルード教官――ウィンダス侯爵と、その領騎士たちも並び立って控えている。
同じように、彼らからも抑えた魔力を感じる。
ブルード教官に手招きされて、レンドルはウィンダスの騎士たちの横に並んだ。
グリフォート騎士団長に任命されて、中央騎士団の所属になったが、今回の戦いは懲罰兵から始まったこともあり、ノックス小隊長のもとに配属された。いまや小隊長は大隊長にまで昇進している。
僅か数日のうちに昇進を繰り返したノックスは、離れたところに立っている。その傍らには、貴族らしい装いをした男が座っている。その男は随分とやせ細っていた。
奥に座っているグリフォート団長の短い声が飛ぶ。
「揃ったな。まずは、レンドルからだ」
名前を呼ばれて、レンドルは前に進み出た。
「レンドル。ジュカのことと、剣牙族の魔獣化の話は聞いた。奴隷商人エドマンを斬った件は、皇国に戻り次第、裁定を受けることになる。だが、その前に、お前に聞きたいことがある」
渋めの表情だ。いつもと違い、鋭い目でレンドルに問いかけた。
「エドマンは皇国の商人ギルドに所属している。ジュカは逃亡奴隷だった。本来であれば、騎士が商人の所有物を没収することは禁じられている。お前がどう思ったか、教えてくれ」
レンドルは大きく息を吸い込み、背筋を正した。
「ジュカの所属する傭兵団《酒樽と蒼い狐》は、皇国が正式に雇った戦力です。ジュカ自身も治癒士として腕を買われ、軍の医療班に配属された。つまり、あの時のジュカは皇国軍の指揮下にありました」
「うむ。そうだな」
グリフォートは深く頷いた。レンドルはその反応を見届け、静かに言葉を重ねる。
「要塞での戦いは終わっています。しかし、戦争はまだ終わっていない。傭兵団との契約も、皇国へ帰還するまでです。それを商人との契約を理由に勝手に連れ帰るというのなら、皇国軍の命令より、商人の契約のほうが優先されることになります。逃亡奴隷であっても、それを許してしまっては、怪我人が死亡する可能性もありました。今回の戦いは弓の嵐で大勢の重傷者が出ました。そして、屍人が大量に押し寄せた。そんな例外的な事態を考えてみても、ジュカの治癒魔法は必要です」
「儂も、そう思う。なんだ、随分と理路整然だな」
騎士団長は腕を組み直し、口元が緩む。他の騎士たちも驚いた表情を見せている。
「ジュカは自分の指揮する部隊にいました。隊長である自分には部下を守る責任があります。エドマンには一度警告しましたが、それでも無理に連れ出そうとしました。だから斬りました」
「斬らない選択肢は無かったのか?」
「すでに、副官のサナロアがエドマン側の傭兵に怪我をさせられていました。さらに傭兵団長は傷を負っており戦闘状態でした。獣人族の傭兵は手練れで、二つ名持ちの灰兎族のタタと互角の実力者でした。傭兵たちが手を出せば商人に訴えられて不利益を被ります。だから、騎士であり、彼らの隊長である自分が直接手を下す必要がありました。ですが、相手は武器を持たない民間人ですので、腕を斬るにとどめました」
「なるほどな。商人が傭兵団を訴えたら、軍は手出しができんからな。それに、先に手を出したのは、エドマンたちであることの裏付けは取れている。お前の証言と他の証言とも一致する。レイナダの赤雷については、どうだ」
「はい。その結果、商人の契約に反して彼の生命を危険にさらした。だから自分がレイナダの赤雷を受けたと考えています。ですが、それで自分の判断が間違いだったとは思いません。隊長として、役目を果たしただけです」
「お前の言い分次第では軍罰も考えていたが、いいだろう。皇国軍では不問だ。商人ギルドからは色々言われるだろうが、レンドルの判断に誤りはない。何があっても皇国軍はお前を守る」
レンドルは団長を見つめ返した。周りの騎士たちの表情を見ると、みな固い顔つきのまま小さく顎を引いていた。
「だが、まだ一つ疑問がある。随分と口達者に物を言うようになったが、誰の入れ知恵だ。お前のことだから、ジュカを気に入ったから斬ったと思っていたぞ」
騎士団長は椅子の上で体を起こした。レンドルは少し驚いた。まさか疑われるとは想定していなかった。だが、指摘されたことは、間違ってはいない。鋭い観察眼だ。
「……ジュカのことは気に入っていますが、その、優秀な副官がいますから」
「わっはっは。正直すぎなのも考えものだな。副官は、エーダー男爵家の娘か。騎士院で歴代最高の成績で卒業した才女だったな。姉も相当優秀だったが、妹はそれ以上だ」
「え!? サナロアがですか」
「剣の腕もさることながら、部隊運営や交渉ごとにおいても優れていた。家の問題が色々あったことは知っているな。まあ、危なっかしいお前には必要な人材か」
たしかに、サナロアがいなければ、巨人族の傭兵を二度も倒すことはできなかっただろう。自分が意識を失ったあと、部隊を運用していたのは、まぎれもなく彼女だった。
遠くで、空気を裂く雷鳴が聞こえる。
会議室には小さな木製の扉のついたガラスの窓があり、外の様子が見える。
窓の向こうからは、嵐が激しい雨を打ち付ける音が響き、妙に不安な感じを与えていた。
稲光が走るたびに、一瞬だけこの部屋に光が差し込んでは、雷鳴の轟音と共に暗闇が戻ってくる。
騎士団長が従者に目配せをすると、その窓の木製の扉を閉め始めた。
すべてが閉じ終わると、外の音が遠くなった。かなり密閉性の高い扉のようだ。
「では、本題に入ろう」
全員が姿勢を正す。レンドルも改めて背筋を伸ばした。
「朝食が済み次第、要塞から脱出する。地下坑道を通るわけだが、抜けた先で、ラクロアンとの最終協議がある。同盟へ調印する運びとなるだろう」
団長はそう口にしながら、机の上の書面を突き放すように目を逸らす。
その表情からは、とても同盟を喜ぶような印象を受けなかった。
雨のせいか、室内も空気が重たい。
いや、それだけではない。それ以上に張り詰めた気配があった。
「その時に、諸君らには剣をとってもらう」
団長の視線が、まっすぐ騎士たちを、そしてレンドルを射抜く。
「――ラクア・クアヴレカ・カーミオンの首をとる」
稲光が外から何度か瞬いた。
直後に凄まじい轟音と共に、近くに稲妻が落ちたのがわかった。
呼吸すら許されない静寂が会議室を支配した。
燭台の炎は揺るがない。
空気も時間も、すべてが凍ったように止まっていた。




