第79話 前世への手紙
冬の夜だった。
官舎の自室で、机に向かっている。
暖炉の火が低く燃えている。カミラはもう寝た。
処方箋集の書き写し作業を終え、ノートを閉じた。
窓の外に、雪が降り始めていた。今年最初の雪だ。
白い粒が、音もなく落ちていく。
ペンを取った。
新しい紙を出した。
書き始めた。
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『前世の私へ。
もう名前も思い出せないあなたへ、手紙を書きます。
あなたは二十一歳で処刑台に立ちました。
父に渡された瓶を王妃の部屋に置いただけ。それが何なのか知らされもしないまま。毒だと気づいたときには、もう遅かった。
裁判は形だけでした。弁護人はいなかった。証言台にはあなたを陥れるための人間しか立たなかった。ケッテラーが金で買収した王妃付きの侍女ベティが「リゼットが深夜に王妃の私室に入るのを見た」と嘘をついた。あなたは否定したけど、誰も信じなかった。
処刑台の下で、ジークフリートが笑っていた。
あのとき、あなたは全てを諦めたのだと思います。
私がこちらに来てから、分かったことがたくさんあります。
ジークフリートが笑っていたのは、嘲笑ではなかった。宮廷で追い詰められた人間が、感情を殺した結果の引きつった笑みだった。あの人もまた、あなたを救えなかった自分に耐えられなかっただけだった。
今世ではカミラの行動記録があったから、ベティの偽証は成立しなかった。ベティは、令嬢ネットワークを通じて借金を肩代わりしてもらい、早い段階で味方についていた。ケッテラーの手駒が既に寝返っていたことすら、奴は気づいていなかった。
父は、悪い人間でした。でも、母を愛さなかったわけではなかった。愛し方が壊れていただけだった。母は、薬師の家の娘で、父の毒を止めるために自分の体で実験して、死にました。私はその研究メモを見つけて、疫病の解毒法を完成させました。
あなたが知らなかったことを、私は知りました。
あなたが会えなかった人たちと、私は出会いました。
セドリック。エレノア。カミラ。マティアス。フローリア。トビアス。ダンツィヒ。ランベルト先生。王妃。
あなたが守れなかった人たちを、私は守れました。
王妃は元気です。自分の足で歩いています。
東区の三千人も、クラインフェルトの五百人も、南方の数千人も、生きています。
父は牢の中ですが、生きています。
あなたが体験した人生は、無駄ではなかった。
あなたが二十一年間で覚えた毒の知識、宮廷の構造、人の裏側の読み方。全部、使いました。あなたがいなければ、私は何もできなかった。
だから、ありがとう。
あなたは処刑されて終わった。理不尽な死でした。誰にも弁護されず、誰にも信じてもらえず。
でも、あなたの二十一年は、私の中に生きています。
あなたが覚えた痛みも、あなたが飲んだ毒も、あなたが流した涙も。全部、私の血の中にある。
毒花として生まれ、毒花として死んだあなた。
私は、薬花として、咲き直します。
あなたの分も。
さようなら。そして、ありがとう。
リゼット・ヴァレンシア
国家薬務局長
宮廷薬師
薬花の令嬢
九歳』
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宛先は書かなかった。届ける場所がない。
暖炉の前に立った私は封筒を、火にくべた。
炎が一瞬明るくなり、灰になり、消えた。
煙が、窓の隙間から外に出ていった。
雪の夜空に溶けていった。
届かなくていい。届ける必要はない。前世の私は、もういない。
ここにいるのは、今世の私だ。
毒を知り、薬を作り、人を治す薬師。
セドリックの隣に立つ女。
カミラに紅茶を淹れてもらう、九歳の子供。
国家薬務局の、最初の局長。
ナタリアの娘。
ヴィクトルの娘でもあるけれど、ナタリアの娘だ。
窓の外の雪が、止んでいた。
雲の切れ間から、星が見えた。
明日は晴れるだろう。
ベッドに入った。
この日処刑台の夢は、もう、見なかった。




