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毒花令嬢は二度目の人生で復讐を選ばない  作者: 黒豆子犬
4章 新しい花

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第80話 新しい花

春が来た。


薬草園に、新しい花が咲いていた。


白い花だ。五枚の花弁が星型に開いている。小さな花。目立たない花。


だが、匂いがある。甘い匂い。夜来花に似ているが、もっと柔らかい。刺すような甘さではなく、包むような甘さ。


カミラが花を見つけたのは、朝の水やりの時だった。


「お嬢様。見てください。植えた覚えのない花が」


薬草園の隅、エキナセアとカモミールの間に、ひっそりと咲いていた。


しゃがんで、花を観察した。


「夜来花の近縁種だ。だけど、毒性がない。花弁の構造が違う。夜来花は花弁の裏に毒腺があるけど、この花にはそれがない」


「毒がない夜来花?」


「夜来花の変異種か自然交雑の結果かもしれない。薬草園の土壌は解毒剤で処理してるから、毒を持つ個体が淘汰されて、毒のない個体だけが残ったのかも」


「つまり毒の花が、薬草園で育つうちに、毒をなくした?」


「そう。自然がやったことだ。私が意図したわけじゃない」


花に触れた。柔らかい花弁。露が指先についた。


「でも起きるべくして起きたのかもしれない。毒のある環境で、毒を持たない方が生き延びやすい。毒を中和された土壌では毒は武器ではなく負担になる。だから、毒を捨てた個体が生き残った」


「それはお嬢様みたいですね」


カミラの言葉に、息が止まった。


「……そうかもしれない」


---


花を一輪切って、水差しに入れた。机の上に飾った。


国家薬務局の事務室。朝日が窓から差し込んでいる。


マティアスが出勤してきた。


「おはようございます、局長。きれいな花ですね」


「薬草園で咲いたの。名前はまだない」


「名前つけるんですか」


「つけたい。まだ考えてるけど」


書類に目を通した。全国の水質報告。解毒薬の在庫報告。薬師育成プログラムの進捗。


冬の間に、制度が動き始めていた。


北方と東方の修道院では、エレノアが育てた配布拠点が定着し、地域の薬師と修道女が連携して健康相談を始めていた。


南方では、シルヴァーノの港湾局が毒物流通の監視制度を導入した。


フローリアは植物学の文献を整理して、薬務局に寄贈した。宰相の娘としての償いだと本人は言ったが、その知識は確かに役に立っている。


ランベルト先生は薬師組合の教育プログラムを作り、若い薬師を各地に派遣し始めた。


一人で始めたことが、たくさんの手に引き継がれていく。


---


昼休み、ユーリが学院から手紙をくれた。


『姉上。学院の春の試験で、薬学が一番でした。先生が驚いていました。姉上のおかげです。夏休みに帰ります。カミラさんの料理が食べたいです。ユーリ』


笑った。


あの子が、元気で育っている。


父の毒から救った五歳の弟が、学院で薬学を学んでいる。


---


午後、セドリックが薬草園にやってきた。


「リゼット。少し歩かないか」


「仕事中だけど」


「局長命令で休憩しろ」


「局長は私だけど」


「なら局長の隣にいる人間からの提案だ」


仕方なく、立ち上がった。


薬草園の小道を歩いた。春の花が咲いている。カモミールの白、エキナセアの紫、ラベンダーの紫。そして、あの名もない白い花。


セドリックが白い花の前で立ち止まった。


「これは?」


「新しく咲いた花。夜来花の近縁種で毒がない」


「毒がない夜来花」


「うん。名前をつけたいんだけど、まだ思いつかない」


セドリックが花を見つめた。


「……ヴァレンティア」


「え?」


「ヴァレンティア。ヴァレンシアに似た音で、薬の花。……駄目か」


「駄目じゃない。いい名前だ」


ヴァレンティア。


毒の家の名前に似ていて、毒のない花。


「ヴァレンティアにする」


「本当に?」


「本当に。マティアスに正式な植物登録を頼もう」


セドリックが、微かに笑った。


「俺が名付け親か」


「そうなるね。薬草園で最初に名前をつけたのが王子って、変な話だけど」


「王子じゃなくお前の隣にいる人間だ」


「……そうだったね」


小道を歩き続けた。


二人の影が、花の間に伸びていた。


---


夕方、薬草園のベンチに座った。


カミラが紅茶を持ってきた。蜂蜜入り。


セドリックと三人で、紅茶を飲んだ。


「お嬢様。今日のお仕事は、もう終わりですか」


「もう少しだけ。処方箋集の書き写しが」


「毎晩もう少しだけと仰います」


「毎晩もう少しだけなの。嘘じゃない」


カミラが呆れた顔をした。セドリックが横で笑っていた。


夕日が薬草園を照らしている。


花が金色に光っていた。


ヴァレンティアの白い花弁が、夕焼けに染まって、淡い桃色になっていた。


七歳のとき、荒れた庭に種を蒔いた。


一人で、泥だらけになりながら。


あの日の私は、生き延びることだけを考えていた。


処刑台の記憶に怯え、父の毒に怯え、何もかもが敵に見えた。


今は、違う。


隣にセドリックがいる。


後ろにカミラがいる。


遠くにエレノアがいる。フローリアがいる。ユーリがいる。トビアスがいる。


ランベルト先生がいる。マティアスがいる。王妃がいる。


薬草園には、名もなかった花に名前がつき、毒のない花が咲いている。


父は牢の中にいるけれど、処方箋集は私の手にある。


母は、もういないけれど、母の言葉が私の中に生きている。


毒花でも構わない。花は花だから。咲き方を選べるから。


選んだ。


私は、薬花として咲くことを。


紅茶を飲み干した。


立ち上がった。


「さ、もう少しだけ仕事する」


「お嬢様」


「カミラ。明日は朝から巡回があるから、お弁当をお願い」


「はい。何がよろしいですか」


「サンドイッチ。カミラの作る、あの卵のやつ」


「かしこまりました」


事務室に戻った。


机の上に、ヴァレンティアの白い花が、水差しの中で揺れていた。


ペンを取った。


処方箋集の最後のページ、母が書いた研究メモの続きに、自分の手で書き加えた。


『菌糸培養体Eの中和:アルニカ根蒸留液。有効。母の仮説は正しかった。


完全解毒法の確立:牛乳薊 + 活性炭 + ウラル甘草 + 白樺茸 + アルニカ根蒸留液。


八千人に投与。死者ゼロ。


この家の毒は、この家の人間が終わらせた。


母さん、約束通りです。リゼット』


ペンを置いた。


処方箋集を閉じた。


窓の外に、星が輝いていた。


春の夜。穏やかな風。


二度目の人生は、まだ、始まったばかりだ。

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