第76話 救国の薬師
疫病の終息宣言は、秋の初めに出された。
王妃の名による公式声明。
『王国内における人工疫病の新規発症者は、過去三十日間でゼロを記録した。全国十二箇所の配布拠点で計八千人に解毒薬が投与され、死者はゼロである。汚染源である旧ヴァレンシア公爵領廃鉱山の浄化は完了し、全地域の水質監視で安全が確認された。ここに、疫病の終息を宣言する』
声明が読み上げられたのは、王宮の大広間だった。
貴族、官僚、軍人、聖職者。普段は交わることのない人々が、一堂に会していた。
私は、広間の隅に立っていた。
王妃が壇上から、こちらを見た。
「国家薬務局の初代局長として宮廷薬師リゼット・ヴァレンシアを正式に任命します」
拍手が起きた。
全員が拍手したわけではない。腕を組んだまま動かない者もいた。目を合わせない者もいた。
だが、拍手の方が、多かった。
壇上に上がった。
何を言えばいいのか、考えていなかった。
広間を見渡した。何百もの顔が、こちらを見ている。
「……ありがとうございます。大したことは言えませんが、一つだけ」
声が震えそうになった。抑えた。
「この国から——毒で苦しむ人を、なくしたいと思っています。私の父が作った毒で八千人が発症しました。死者はゼロでしたが、苦しんだ人は八千人です。その責任は父にあり、この名を継ぐ私にもあります」
広間が静まった。
「国家薬務局は毒を管理し、薬を届ける機関です。毒を撒く側にいた人間の娘が局長を務めることに、不安を感じる方もいると思います。当然です。ですが毒を知り尽くした人間だからこそ、その反対側を作れると信じています」
母の言葉を、そのまま借りた。
「毒花でも、花は花です。咲き方を選べますから」
短い沈黙の後、拍手が広がった。
今度は、さっきより多かった。
壇を下りた。足がふらついた。
カミラが横に来て、腕を支えた。
「お嬢様。立派でした」
「足が震えてる」
「見えません。大丈夫です」
嘘だ。見えていたはずだ。だが、カミラはそう言う人だ。
---
式典の後、大広間の隅で飲み物を手にしていると、人が寄ってきた。
最初はランベルト先生だった。
「リゼット。あの壇上での言葉、よかったぞ。『毒花でも花は花』か。いい言葉だ」
「母の受け売りです」
「お母様の?」
「はい。いつか、詳しく話します」
次に来たのは、フローリアだった。
「リゼット局長就任、おめでとう」
「ありがとう、フローリア」
フローリアの目は、少しだけ赤かった。
「父はまだ裁判中よ。弾劾は通ったけれど、刑事裁判はこれから。公爵のように死刑にはならないでしょうけど禁固は確実だと」
「フローリア」
「大丈夫。覚悟はできてる。父がしたことは許されない。でも私は、父とは違う道を歩く。あなたが教えてくれたことだわ。出自は選べなくても、歩く方向は選べると」
フローリアが手を差し出した。握った。
「薬務局に植物学の知識が必要なら、手伝わせて」
「助かる。本当に」
フローリアが微笑んで去った。
---
夕方、王宮の薬草園に出た。
秋の花が咲いていた。エキナセアの紫。カモミールの白。そして、ラベンダーの紫。
この薬草園は、七歳の時に、公爵家の荒れた庭で始めたものだ。
あの頃は、一人で草を植えていた。カミラが手伝ってくれたのが最初の仲間だった。
今は、違う。
薬師組合がいる。エレノアの教会ネットワークがある。フローリアがいる。セドリックがいる。カミラがいる。
一人で始めたものが、気づけば、たくさんの手に支えられている。
薬草園のベンチに座った。
カミラが、紅茶を持ってきた。蜂蜜入り。
「式典の残り物の焼き菓子、もらってきました」
「カミラ。こういうとき、抜け目ないよね」
「侍女の仕事ですから」
焼き菓子を食べた。バターの匂いがする。美味しかった。
紅茶を飲んだ。温かかった。
夕日が薬草園を照らしている。花びらが金色に光っていた。
父が撒いた毒が、消えた。
母が願った未来が、少しだけ、形になった。
まだ途中だ。薬務局はこれから作る。毒の流通監視も、薬師の育成も、水質管理も。やることは山のようにある。
だが、始まった。
毒花の娘が、薬花として咲き始めた日だった。




