第73話 汚染源の解体
シルヴァーノからクラインフェルトへの帰路は、来た時より早かった。
馬の扱いに慣れたのではない。急いでいたのだ。
廃鉱山の浄化計画を、一日でも早く始めなければ。
母の研究メモで得た知見、菌糸培養体Eを先に中和できれば、必要な解毒剤の量は大幅に減る。
アルニカの根の蒸留液がEに有効。投与量の制御が課題。
帰路の間に、処方箋集を何度も読み返した。母のメモと、父の調合記録と、グスタフの聴取で得た製造工程を突き合わせて、新しい解毒剤の処方を組み立てた。
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クラインフェルトに着くと、王都からの物資が届いていた。
ランベルト先生の弟子が指揮を取り、薬師組合から派遣された十二名が既に作業を始めていた。
教会の広場に、巨大な作業台が組まれていた。
乳鉢、秤、蒸留器、瓶詰め台。野外の調合所だ。
「リゼット殿。お帰りなさい」
ランベルト先生の弟子の一人、マティアスが頭を下げた。
「材料は?」
「牛乳薊と甘草、活性炭は十分です。白樺茸は北方から五百キロが届く予定で、あと三日で着きます」
「白樺茸はそのまま使う。だが処方を変更する」
「変更?」
「新しい成分を加える。アルニカの根の蒸留液。菌糸培養体Eの中和に有効だと判明した」
マティアスの目が丸くなった。
「Eの中和? そんな手段が」
「ある。ただし、投与量の制御が必要。過剰投与は心毒性がある。配合比を今から詰める」
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作業台の端に座り、処方の最終計算を行った。
アルニカの根の蒸留液を加えた新処方。
従来の処方:牛乳薊 + 活性炭 + ウラル甘草 + 白樺茸(ベツリン酸)
新処方:上記四成分 + アルニカ根蒸留液(Eの中和用)
配合比の調整が肝だった。
アルニカの心毒性を避けながら、Eの中和に有効な濃度を維持する。
自分の体で試した結果から逆算した。体重一キロあたり0.05ミリリットルが安全域の上限。成人なら三ミリリットル。子供なら一ミリリットル。
従来の処方では、坑道浄化に二千リットルの解毒剤が必要だった。
新処方でEを先に中和すれば、残りのA-Dは水の自然浄化能力でも分解が進む。投入量は八百リットルに減る。
八百リットル。まだ膨大だが、二千リットルの半分以下だ。
「マティアス。処方を書き出す。薬師組合の全員に配って」
「はい」
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作業が始まった。
十二人の薬師が、一斉に動いた。
牛乳薊を砕く者。甘草を煎じる者。活性炭を計量する者。アルニカの根を蒸留する者。
私は蒸留の管理に入った。アルニカの蒸留は温度管理が繊細だ。六十度を超えると有効成分が壊れ、四十度以下では抽出が不十分になる。
「五十二度。いい。この温度を維持して」
「了解です」
カミラが横で記録を取った。蒸留量、温度変化、時間。すべてをノートに書き込んでいく。
セドリックは、鍋を運んでいた。
「何してるの」
「水を運んでいる。蒸留に大量の水が必要だと言われた」
「王子が水汲み?」
「王子でも水は汲める。手が空いているなら使え」
薬師たちが一瞬目を見合わせた。だが、すぐに仕事に戻った。
作業は三日間、朝から夜まで続いた。
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三日目の夕方、八百リットルの解毒剤が完成した。
大樽十六個に分けて詰めた。
荷馬車四台に積んだ。
翌朝、廃鉱山へ向けて出発する。
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出発の朝、クラインフェルトの住民が広場に集まっていた。
トビアスが走ってきた。
「おねえちゃん! 行くの?」
「行くよ。山に、お掃除しに」
「お掃除?」
「うん。水をきれいにするの」
「手伝う!」
「トビアスは小さいからここで待っていて。帰ってきたら、報告するから」
「約束!」
「約束」
三度目の約束だ。
ダンツィヒが荷馬車の先頭に立った。街の男たちが十人、手伝いに名乗り出ていた。
「薬師殿。俺たちにもできることがある。力仕事なら任せてくれ」
「……ありがとうございます」
半月前、私を「毒殺者の娘」と呼んだ人たちだ。
今は、一緒に水を浄化しに行く。
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廃鉱山に着いたのは昼だった。
坑道の入口に、作業台を組んだ。
解毒剤を坑道に投入する手順を確認した。
坑道の最深部、水源に近い場所に、解毒剤を流し込む。
だが、坑道の奥は崩落の危険がある。全員は入れない。
「私と、マティアスと、近衛騎士一名で入る。残りは入口で待機して、樽を順次送り込んでもらう」
「俺も行く」
セドリックが言った。
「入口で」
「入口には薬師組合がいる。俺が入口にいても、薬の知識はない。中に入った方が役に立つ」
反論できなかった。
四人で坑道に入った。
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坑道の中は暗く、冷たく、水が膝まで浸かっていた。
松明の光を頼りに、最深部へ進んだ。
水源の湧出点に着いた。岩の割れ目から、水が湧き出している。
ここが、汚染の起点だ。父が毒を流し込んだ場所。
水を汲んで試薬を落とした。濃い緑色。まだ汚染は残っている。
「ここから解毒剤を入れる」
マティアスと近衛騎士が、入口から送られてきた樽をロープで引き込んだ。
最初の樽の蓋を開けた。
解毒剤を水源に注いだ。
透明な液体が、湧水に混ざっていく。
二樽目。三樽目。四樽目。
次々と注ぎ込んだ。
作業は四時間に及んだ。
十六樽。八百リットル。すべてを水源に投入した。
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最後の一樽を注ぎ終えた後、水を汲んで試薬を落とした。
緑色が、薄くなっていた。
完全に透明ではない。だが、明らかに変化している。
「効いてる。アルニカが効いている」
菌糸培養体Eが中和されたことで、残りの毒素の分解が始まっている。
「完全浄化には」
「数日かかる。坑道内の水が入れ替わる速度に依存する。だが一週間もすれば、流出水の汚染は検出限界以下になるはずだ」
マティアスが安堵の息を吐いた。
「すごい。本当に効いた」
「母さんのおかげだよ!」
声に出した後で、気づいた。
誰に言ったわけでもなかった。坑道の壁に反響して、消えた。
セドリックが何も言わずに、手を差し出した。
立ち上がるための手。
握った。
立ち上がった。
坑道を出た。夕日が差し込んでいた。
入口で待っていたダンツィヒと住民たちが、結果を聞いて歓声を上げた。
「終わったのか?」
「あとは水が入れ替わるのを待つだけです。一週間確認のために残りますが、見通しは良いです」
ダンツィヒが大きく息を吐いた。
「薬師殿。あんたは、本物だ」
本物。本物とは何なのか。
その言葉が、重かった。
夕焼けが山を赤く染めていた。
父の最後の毒が、消えていく。
母が見つけた道を辿って。




