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毒花令嬢は二度目の人生で復讐を選ばない  作者: 黒豆子犬
4章 新しい花

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第69話 エレノアの祈り

王都・聖カタリナ大聖堂。


エレノアは祈りの間に跪いていた。


朝の光がステンドグラスを透かして、石畳に色とりどりの影を落としている。赤、青、金。幼い頃から見慣れた光だ。


だが、この場所に跪く意味が、半年前とは全く違っていた。


半年前の自分は、ここで「聖女」として祈っていた。治癒の奇跡を求めて来る人々の前に立ち、白根草を手に塗り、偽りの光を演じていた。


今は、修道女として跪いている。


聖女の称号は返上した。奇跡の力はないと公に告白した。


それでも、祈ることだけは許された。


---


祈りを終えて立ち上がると、回廊でアガーテ修道院長が待っていた。


「エレノア。王都薬師組合からの書簡が届いています」


「ランベルト先生から?」


「ええ。それと——南方のクラインフェルトから、宮廷薬師リゼット殿の伝書鳩が」


リゼットからの手紙。


受け取り、修道院長室の隅で読んだ。


『エレノアへ。


クラインフェルトの患者は全員回復に向かっている。だが、汚染源の廃鉱山の処理にはまだ時間がかかる。解毒剤を全国に配布するための拠点が必要。教会のネットワークを使えないか。各地の修道院が配布拠点になれれば、王都からの一括輸送より早く届けられると思う。


無理は言わない。でも、あなたにしかできないことだと思っている。


リゼット』


手紙を膝の上に置いた。


あなたにしかできないこと。


リゼットは、いつもそうだ。頼み方が率直で、飾りがない。だからこそ断れない。


---


アガーテ修道院長の部屋を訪ねた。


「院長。お時間をいただけますか」


「座りなさい、エレノア」


修道院長は六十を過ぎた女性だった。白髪を修道服の下に隠し、眼鏡越しの目は厳しいが温かい。


エレノアが聖女の称号を返上したとき、教会内で最も激しく反対した一人だった。だが、エレノアの決意を最後に受け入れたのも、この人だった。


「院長。宮廷薬師リゼット殿から要請があります」


手紙を見せた。修道院長が読んだ。


「全国の修道院を解毒薬の配布拠点に」


「はい。教会のネットワークは、王都の官僚機構より速く地方に届きます。各地の修道院には薬草の知識を持つ修道女もいます。配布だけでなく、服薬の指導もできるはずです」


「大胆な要請だね。それで、あなたはどう思っている」


「やるべきだと思っています」


声に迷いはなかった。


修道院長が眼鏡を外した。


「エレノア。あなたが聖女の称号を返上してから教会への信頼は大きく揺らいだ。信者の一部は去り、寄進も減った。あなたの告白は正しかったが傷は残っている」


「分かっています」


「その教会が今度は薬の配布で前面に出る。慎重に考えなければならない」


「院長。慎重に考える時間はないかもしれません」


エレノアは立ち上がった。


「南方の汚染は広がっています。地下水脈が毒に侵されていて、井戸水を飲んだ人々が発症しています。王都から薬を送れる量には限界がある。各地で薬を受け取り、配り、飲ませる人手が必要です。それができるのは教会です」


修道院長が沈黙した。しばらくの間、窓の外の中庭を見つめていた。


「……エレノア。あなたが偽りの聖女だった頃、あなたの手は人を癒さなかった。白根草が一時的に症状を抑えただけだった」


「はい」


「今、あなたがやろうとしていることこれは、本物の癒しだ」


修道院長が立ち上がった。


「全国の修道院に書簡を送りましょう。教会の名において、解毒薬の配布に全面協力する」


エレノアは深く頭を下げた。


「ありがとうございます、院長」


「礼はいい。その代わり、全ての連絡はあなたが取りなさい。書簡の文面も、配布の手順も、服薬の指導も。あなたの責任で」


「はい」


「あなたはもう聖女ではない。だが修道女として、できることがある。それを証明しなさい」


---


修道院長室を出て、回廊を歩いた。


昼の光が中庭に注いでいる。修道女たちが薬草園の手入れをしていた。ラベンダーとカモミールの匂いが漂っている。


ここにも、薬草園がある。


リゼットの薬草園とは違う。だが同じものだ。病んだ者を癒すために育てられた草花。


書簡の草案を頭の中で組み立て始めた。


北方のサンクト・マリア修道院。東方のリンデン修道院。南方のシルヴァーノ修道院。中央のハイデン修道院。


各地の修道院長の名前と、それぞれの修道院が持つ薬草の在庫を思い出した。聖女だった頃に教会の記録を読んでいたことが、今になって役に立つ。


---


夕方までに十二通の書簡を書いた。


カタリナ大聖堂の伝書使に託し、翌朝までに全国に届くよう手配した。


最後に、リゼットへの返書を書いた。


ペンを持つ手が、少し震えた。


半年前、リゼットに白根草の偽装を見破られたとき、世界が終わると思った。


聖女としての地位を失い、教会からも追放されると思った。


だが、リゼットは、エレノアを敵として扱わなかった。


利用されていた被害者だと見抜いた。そして、共闘を持ちかけた。


あのとき差し出された手を、今も覚えている。


返書を書いた。


『リゼットへ。


教会の全国ネットワークを使います。十二の修道院に書簡を送りました。各地で解毒薬の受け取りと配布を行う拠点を作ります。


私はもう奇跡は起こせません。聖女でもありません。


でも、手紙を書くことはできます。人を繋ぐことはできます。あなたが作った薬を、届けるべき場所に届けることはできます。


私にできることを、やります。


エレノア』


封をした。


伝書使に渡す前に、もう一度だけ、聖堂で跪いた。


祈りの言葉は決まっている。毎日同じ言葉だ。


だが今日は、少しだけ、付け足した。


あの子の薬が、間に合いますように。


声には出さなかった。胸の中で呟いただけだ。


立ち上がった。


ステンドグラスの光が、石畳に虹を落としていた。


修道女エレノアは、一人の薬師の手紙を、全国に届ける仕事に戻った。

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