第67話 セドリックの決意
港湾局の局長は、太った男だった。
セドリックが王妃の調査令状を見せたとき、男は汗を拭きながら三度読み直した。
「第二王子殿下がじきじきに」
「令状に書いてある通りだ。コルサ商会の取引記録と倉庫の開示を求める」
「しかし殿下。コルサ商会はこの港最大の商会で地元経済に与える影響が」
「令状を読んだか」
「はい」
「では従ってもらう」
セドリックの声には温度がなかった。交渉ではなく、通達だった。
局長が折れたのは、それから十分後のことだ。
---
宿に戻ったセドリックの顔には、疲労が滲んでいた。
「令状は通った。明日の夜明け前に、港湾局の検察官二名と近衛騎士で踏み込む」
「ありがとう。セドリック、大丈夫?」
「何がだ」
「顔色が悪い」
「馬で三日走って、汗をかいた男を走り回らせて、顔色を気にするな」
「気にするよ。薬師だから」
セドリックが一瞬だけ言葉を止めた。
「……平気だ」
平気ではないだろう。
この旅は、セドリックにとって、ただの捜査ではない。
王子としての公的な権限を使って、一人の薬師の仕事を支援している。宮廷で何を言われるか。第二王子が毒殺者の娘を連れて地方を回っているという噂は、既に広まっているはずだ。
「セドリック」
「なんだ」
「あなたがここにいることで宮廷で立場が悪くなるんじゃない?」
セドリックは椅子に座ったまま、窓の外を見た。
港の灯りが遠くに揺れている。
「なるだろうな」
「それでも」
「前に言ったことがある。俺は母を救いたかった。お前がそれを叶えてくれた。母は今、王宮の庭を自分の足で歩いている。味覚も戻った。薬草茶を美味しいと言って笑っている」
「うん」
「あのとき俺は傍観者だった。母が苦しんでいるのを知りながら、自分では何もできなかった。情報を集めることはできた。手紙を書くことはできた。だが毒を解く手は持っていなかった」
セドリックの声は淡々としていた。感情を押し殺しているのではなく、考え抜いた結論を述べているように聞こえた。
「お前は手を持っていた。毒を知り、薬を作り、母を治した。今は国中の水を治そうとしている。俺にできることはお前が動ける場所を作ることだ」
「……」
「王子の立場は、そのために使う。宮廷の連中が何を言おうと関係ない。俺が後ろに立てば、お前は前に進める。それだけの話だ」
「それだけの話ってあなた、王位継承権を捨てるつもりで言ってないよね」
セドリックが少しだけ目を見開いた。
「……気づくな」
「分かるよ。あなたの言い方はいつも、大事なことほど軽く言うから」
沈黙が落ちた。
セドリックが立ち上がり、窓の前に立った。背中を向けたまま話し始めた。
「兄上は王位を継ぐだろう。俺は初めから、候補にすらなっていない。第二王子というのは予備だ。兄が倒れたときのための保険。それ以上の意味は、宮廷にはない」
「セドリック」
「だが予備にも選択肢はある。王位につかないなら、何をするかを自分で決められる。俺は研究者になりたかった。薬草学と、毒物学。母が病に倒れなければ、書庫に引きこもって一生を終えるつもりだった」
セドリックが振り返った。暗い紫の瞳が、月明かりの中で光っていた。
「母が倒れて世界が変わった。書庫の知識だけでは、目の前の人間を救えなかった。お前に出会ってそれが分かった」
「私に出会って?」
「お前は知識を手に変えた。毒を見抜き、薬を作り、飲ませて、治した。俺は見ているだけだった。それが悔しかった」
悔しかった。
セドリックがその言葉を口にするのは初めてだった。
「だから決めた。俺は研究者にはならない。お前のような薬師にもなれない。だがお前が走れる道を、権限と立場で切り拓くことはできる。それが俺の仕事だ」
「仕事?」
「いや違うな」
セドリックが口元を僅かに緩めた。
「やりたいことだ。仕事ではなく」
その言葉に、胸の奥が温かくなった。
返す言葉を探した。気の利いたことは何も浮かばなかった。
「……ありがとう。セドリック」
「礼は」
「要らない。知ってる」
二人とも、笑った。小さく。
カミラが廊下の向こうから、紅茶を載せた盆を持って歩いてきた。
部屋の空気を読んだのか、扉の前で足を止め、数秒迷った後、盆を廊下の棚に置いて、静かに自分の部屋に戻っていった。
翌朝、その紅茶は冷めていた。
カミラは何も言わなかった。ただ、新しい紅茶を淹れてくれた。




