第65話 信頼の種
王都からの薬が届いたのは、翌々日の昼だった。
荷馬車二台。木箱に詰められた小瓶が、数百本。
ランベルト先生の弟子が二人、付き添いで来ていた。
「ランベルト先生からの伝言です。『処方通りに作った。数は五百二十人分。足りなければ追加を送る。体を壊すなよ』と」
五百二十人分。クラインフェルトの発症者には十分だ。
「ありがとう。先生に、助かったと伝えて」
配布の準備を始めた。
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配布は教会の広場で行った。
地方官ダンツィヒが住民に触れ回り、朝から列ができた。
一人ずつ、症状を確認してから薬を渡した。
「熱はいつから?」
「四日前からです」
「食事は取れていますか」
「少しだけ。お粥を」
「この薬を、一日三回、食後に飲んでください。七日間続けて。途中でやめないように」
瓶を渡す。飲み方を説明する。次の人を呼ぶ。
朝から夕方まで、休みなく続けた。
カミラが横で記録を取ってくれた。名前、年齢、症状、投与量。一人一人を記録していく。
「お嬢様。百人目です」
「あと四百人」
「今日中に終わらなくても大丈夫です。明日もありますから」
「でも早い方がいい。一日遅れれば、症状がその分進む」
列に並んでいる人々の顔を見た。
昨日までは、敵意と警戒があった。
今日は、違った。
昨日の広場での出来事が効いていた。回復した患者たちが、家族や隣人に話したのだろう。「薬師の薬は効く」と。
列に並ぶ人々の目に、期待がある。不安もあるが、それ以上に、治りたいという切実さが。
「薬師殿。うちの女房を先に診てもらえませんか。三日前から水も飲めなくて」
「分かりました。重症者は優先します。お名前を教えてください」
丁寧に対応した。一人一人の顔を見て、名前を聞いて、症状を確認した。
午後になると、並びながら話しかけてくる人が増えた。
「薬師殿は王都から来たんだろう。こんな田舎まで、わざわざ」
「患者がいるところに行くのが薬師の仕事ですから」
「公爵の娘だって聞いたがあんた、全然偉そうじゃないな」
「偉くないですから」
「いや偉いよ。俺たちみたいな百姓のところに来て、一人ずつ診てくれるなんて。王都の医者にはできないことだ」
その言葉に、少し、救われた。
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三日かけて、五百二十人全員に薬を配布した。
四日目の朝、最初に薬を飲んだ患者たちの経過を確認した。
全員、回復に向かっている。死者はゼロ。
教会の療養所が、少しずつ空いていく。
寝台から起き上がれるようになった老人。走り回り始めた子供たち。台所に立てるようになった女性たち。
五歳の男の子、名前はトビアスと言った、が、毎朝教会に来るようになった。
「おねえちゃん! 今日は何するの?」
「薬を配るの。トビアスはもう元気だから、邪魔しないでね」
「邪魔しない! 手伝う!」
「手伝い?」
「お水を運ぶ!」
小さな手で、水差しを抱えてくる。半分こぼしながら。
カミラが笑っていた。
「弟さんユーリ様に似てますね。この子」
「……たしかに」
トビアスの無邪気さは、ユーリに似ていた。年齢も近い。
この子が、毒で死ぬところだった。
守れてよかった。
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五日目の夕方、ダンツィヒが教会に来た。
「薬師殿。街の代表として、改めて礼を申し上げたい」
「いえ。まだ終わっていませんから」
「終わっていない?」
「この街の患者は回復に向かっています。でも汚染源が残っています。廃鉱山の坑道に溜まった毒を処理しなければ、また同じことが起きます」
ダンツィヒの顔が曇った。
「廃鉱山の処理となると、我々だけでは」
「王都に支援を要請しています。大規模な作業になります」
「どのくらいの」
「解毒剤二千リットルを、坑道の最深部に投入する計画です。材料の調達と運搬に数週間かかる見込みです」
「数週間」
「その間この街と周辺の村には、煮沸水の使用を継続してもらう必要があります。面倒をおかけしますが」
ダンツィヒが頷いた。
「薬師殿の言うことなら住民も従うだろう。あんたが来てから街の空気が変わった」
「変わった?」
「最初は公爵の娘だと聞いて、恐れる者が多かった。だが、あんたが一人ずつ薬を配り、名前を覚え、朝から晩まで働いているのを見て変わった。今はあんたを信頼している」
「……ありがとうございます。でも私が信頼されたのではなくて、薬が効いたから、です」
「それだけじゃないさ。薬を作ったのは、あんただ。配ったのも、あんただ。結果を出す人間を、人は信じる。出自がどうであれ」
ダンツィヒが去った後、教会の前のベンチに座った。
夕日がクラインフェルトの石造りの家並みを照らしている。
この街に来て五日。
最初は「毒殺者の娘」だった。
今は、「薬師殿」になった。
呼び名が変わった。それだけのことだ。だが、その「だけ」が、重かった。
カミラが紅茶を持ってきた。教会の台所で淹れたらしい。
「お嬢様。一息ついてください」
「ありがとう」
飲んだ。少し甘い。
「カミラ。砂糖入れた?」
「教会の修道女さんが、蜂蜜を分けてくれました」
蜂蜜入りの紅茶。贅沢だ。
「美味しい」
「お嬢様が美味しそうに飲んでくれると私も嬉しいです」
カミラが微笑んだ。
この子は、どこにいても変わらない。王宮の官舎でも、旅先の教会でも、同じ顔で紅茶を淹れてくれる。
それが、どれだけ私を支えているか。カミラ自身は気づいていないだろう。
セドリックが教会の裏から歩いてきた。
「リゼット。王都から返事が来た」
「何と?」
「母上が全国規模の薬務令を出す準備をしている。解毒剤の大量生産と、廃鉱山の浄化作業への全面支援。それと、もう一つ」
「もう一つ?」
「エレノアが教会の全国ネットワークを使って、解毒薬の配布拠点を各地に作ると連絡してきた。修道院が拠点になる」
エレノア。
あの子が、動いてくれている。
王都にいても、離れた場所にいても。味方は味方だ。
「ありがとう。全部、ありがとう」
「礼は」
「要らない。知ってる」
セドリックが口元を僅かに緩めた。
夕暮れの光がセドリックの横顔を照らしていた。
暗い紫の瞳が、温かかった。




