第62話 南への道
街道を南に進むにつれ、景色が変わった。
王都の周辺は平坦な耕作地が広がっていたが、二日目から丘陵が増え、三日目には深い森に囲まれた山道に入った。
道中、二つの村に立ち寄った。
最初の村、ヴァイデンという集落で、村長に話を聞いた。
「最近、体調を崩す者が出ていないか」
「ああ。先週から畑仕事のあとに動けなくなる者が三人ほど。歳のせいだろうと思っていたが」
三人。症状は軽い。倦怠感と微熱。
水を見せてもらった。村の井戸水を汲み、匂いを嗅いだ。
無臭。無色透明。見た目では異常は分からない。
試薬を使った。東区の検査で使ったのと同じ方法だ。白湯に井戸水を加え、甘草の煎じ液を一滴落とす。
僅かに、緑がかった。
反応がある。死の香の代謝物とは異なるが、父の遅効性疫病の菌糸培養体と甘草が反応したときに出る色だ。
汚染されている。濃度は低いが、確実に。
「この井戸水を飲んでいる方はしばらく、煮沸してから使ってください。煮沸すれば菌の活性が下がります。完全ではないですが、リスクを減らせます」
村長は半信半疑だったが、「王宮の薬師が言うなら」と頷いた。
二つ目の村でも同じ検査をした。反応は、さらに強かった。
地図に印をつけた。ヴァイデン。次の村。そしてクラインフェルト。
三つの点を線で結ぶと、南東に向かう帯状の汚染域が浮かび上がった。
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クラインフェルトに着いたのは、三日目の夕方だった。
小さな街だった。石造りの家が丘の斜面に連なり、中央に広場と教会がある。街の東側を、小さな川が流れていた。
地方官のダンツィヒが馬車を出迎えた。四十代の痩せた男で、目の下に深い隈があった。
「王都からの支援に感謝します。状況は悪化しています。発症者は三百名を超えました」
三日前の報告書では二百名だった。一日に三十人以上のペースで増えている。
「死者は」
「まだ出ていません。だが重症者が十名ほど。高熱が続き、食事が取れなくなっている」
「患者を見せてください」
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教会の広間が臨時の療養所になっていた。
毛布に包まれた人々が、床に並んでいる。子供から老人まで。
顔色が悪い。灰色がかった肌。乾いた唇。浅い呼吸。
東区の患者たちと、同じだ。
最も重い症状の女性の脈を取った。速く、弱い。
手首に試薬布を当てた。
赤褐色の反応。
死の香の代謝物ではない。父の遅効性疫病の菌糸培養体の代謝物だ。反応の色がわずかに異なるが、同じ系統の毒性物質。
「確定しました。東区の疫病と同一のものです」
セドリックが傍で聞いていた。
「解毒薬は効くか」
「効くはずです。処方は同じ。ただしここには調合の設備がない」
持参した携帯キットでは、一度に十人分が限界だ。三百人以上に行き渡らせるには、
「まず重症者から投与します。残りは王都から薬を送ってもらう必要がある」
セドリックが騎士に指示した。
「王都に戻れ。薬草庫のランベルトに伝えろ。クラインフェルト向けに解毒薬五百人分を至急調合して発送しろ、と」
騎士が馬を駆って走った。
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その夜、教会の片隅で調合をした。
石の床に蝋燭を並べ、携帯キットを広げた。石臼。小瓶。匙。
牛乳薊を砕いた。甘草を煎じた。白樺茸を、持参した分の最後を使い切った。
十人分。
重症者から順に飲ませた。
最初の女性。脈を取りながら、杯を口元に運んだ。
「苦いですが飲んでください」
女性が咳き込みながら飲んだ。
二人目。三人目。
子供もいた。五歳くらいの男の子。母親が抱いている。
「この子も?」
「はい。三日前から熱が下がらなくて」
子供用の量に調整した。大人の半分。甘草を多めにして、苦味を和らげた。
母親が子供の口に薬を含ませた。子供が顔をしかめたが、飲み込んだ。
十人全員に投与した。
効果が出るまでに数時間かかる。東区のときと同じなら、翌朝には症状の軽減が見られるはずだ。
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深夜、教会の外に出た。
夜空が広かった。王都よりも星が多い。
セドリックが壁に寄りかかって待っていた。
「終わったか」
「十人分。残りは王都からの薬が届くまで、煮沸水と安静で凌いでもらうしかない」
「到着は早くて二日後だ」
「二日あれば重症化する前に間に合う。発症初期の段階で投与すれば、効果は高い」
セドリックが地図を広げた。松明の光で照らした。
「リゼット。この汚染の帯どこから来ていると思う」
地図を見た。ヴァイデン、二つ目の村、クラインフェルト。三つの点を結ぶ線を、さらに南東に延長すると、
「旧ヴァレンシア公爵領に入ります」
「ああ。公爵領の北端に廃鉱山がある」
「廃鉱山?」
「三十年前に閉鎖された銀鉱だ。閉鎖後、坑道は放置されている。地下水脈が坑道を通っていてそこから地表の川に水が流れ出している」
地下水脈。坑道。
父が屋敷の排水溝に流した毒は、地下水脈に入った。地下水脈は王都の下を通り、さらに南東へ流れて、旧公爵領の地下に至る。
公爵領の地下にある廃鉱山の坑道。そこに地下水脈が通っている。
もし、坑道内で毒が蓄積しているなら。坑道が「貯水池」のように機能して、汚染された水を少しずつ地表に排出している。
「汚染源は廃鉱山だ」
「推定だ。確認するには現地を見る必要がある」
「行きましょう。クラインフェルトからどのくらいですか」
「馬で一日」
「重症者の経過を明日確認して薬が効いていれば、翌日に出発します」
セドリックが地図を畳んだ。
「リゼット」
「何」
「王都の中だけの問題じゃなくなった。これは国の問題だ」
「分かってる」
「お前一人の肩に乗せるつもりはない。俺も背負う」
セドリックの声は静かだったが、揺るぎがなかった。
「……ありがとう」
「礼は」
「要らない。知ってる。でも、言いたいときは言わせて」
セドリックが黙った。
星明かりの下で、暗い紫の瞳が、少しだけ、柔らかくなった気がした。
教会の中から、子供の泣き声が聞こえた。
あの五歳の男の子だろう。薬の苦味を思い出して泣いているのかもしれない。
明日の朝、あの子の熱が下がっていますように。
蝋燭の残りを集めて、教会に戻った。
患者たちの傍で、床に毛布を敷いて横になった。
カミラが隣で小さな寝息を立てていた。旅の疲れで、着替えもせずに眠ってしまったらしい。
毛布をかけ直してやった。
目を閉じた。
明日。重症者の経過確認。
明後日。廃鉱山への調査行。
その先に、何があるか、まだ見えない。
でも、足を止めるつもりはなかった。




