表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
毒花令嬢は二度目の人生で復讐を選ばない  作者: 黒豆子犬
4章 新しい花

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
60/77

第60話 灰の上の花

公爵家が消えた。


爵位は剥奪され、領地は接収され、屋敷は国有化された。


「リゼット・ヴァレンシア」という名前の「ヴァレンシア」はもう、公爵家の名ではない。ただの姓だ。


カミラと二人で、王宮の小さな官舎に住むことになった。宮廷薬師としての居室。狭いが、清潔で、窓から薬草園が見える。


荷物は少なかった。屋敷から持ち出せたものは、衣服と薬草辞典と、父から渡された毒の処方箋集だけだ。


引っ越しの日、カミラが紅茶を淹れてくれた。


「新しいお部屋ですね、お嬢様」


「うん。狭いけど」


「前のお部屋も広すぎましたから。このくらいが、ちょうどいいです」


カミラの笑顔は、いつも通りだった。


場所が変わっても、カミラが淹れる紅茶の味は変わらない。


---


ジークフリートから手紙が届いた。


『リゼット。


婚約の件について、正式に通知する。


ヴァレンシア公爵家の解体に伴い、政治的な婚約の根拠が消失した。よって、本婚約を解消する。


ただし、宮廷薬師リゼットに対しては、王子として敬意を表する。いつか、対等な立場で会える日を楽しみにしている。


ジークフリート・アルシェーヌ』


婚約解消。


予想通りだった。公爵家がなくなった以上、政治的な婚約を維持する理由がない。


「対等な立場で」。この一文にジークフリートなりの誠意が滲んでいた。


ふと、彼が去り際に浮かべたあの引きつった笑みを思い出した。

もし前世の私が、何もできずに処刑されるだけの存在だったなら。彼もまた、宰相の力に抗うすべを持たないただの無力な王子だったなら。

処刑台でのあの笑みは、私を嘲っていたのではなく、運命に抗えなかった己への冷笑だったのだろう。


もう、あの笑みを思い返しても恐怖は湧かなかった。ただ一人の人間としての哀れみと、かすかな同情があるだけだ。


紙を折り畳んだ。


本当に自由になった、のかもしれない。


---


ユーリが王立学院から手紙を送ってきた。


『お姉ちゃんへ


学院は楽しいです。友達ができました。名前はフェリクスといいます。一緒に虫を捕まえました。


お父様のことは聞きました。悲しいけど、お姉ちゃんが正しかったと思います。


今度、お姉ちゃんに会いに行っていいですか。薬草園を見たいです。


ユーリより』


泣いた。


カミラに見られないように、窓際で手紙を読んで、静かに泣いた。


この子は、大丈夫だ。


友達がいる。虫を捕まえている。普通の六歳の男の子の生活をしている。


それが、一番嬉しい。


---


エレノアが訪ねてきた。


聖女の称号は返上されたが、教会は、エレノアを追放しなかった。


「告白した勇気を認める」という声が教会内部にもあったらしい。エレノアは修道女として、教会に残ることが許された。


「リゼット」


「エレノア。久しぶり」


「新しいお部屋、素敵ね」


「狭いけどね」


「私の修道室はもっと狭いわよ」


エレノアが笑った。以前のような完璧な微笑みではない。少し崩れた、不格好な笑みだ。でも、それが良い。


「ねえ。聞いていい?」


「何」


「リゼットはこれから、どうするの?」


「薬師を続ける。宮廷薬師として。それから父の処方箋集を解読して、全ての毒に対する解毒法をまとめたい」


「すごい。でも、それって、すごく時間がかかるんじゃない?」


「たぶん。何年もかかる」


「一人で?」


「一人じゃない。ランベルト先生がいるし、薬師組合の人たちも協力してくれる。あと、カミラがいる」


「セドリック殿下は?」


「……いる。たぶん」


「たぶん、じゃないでしょう」


エレノアの碧い瞳が、いたずらっぽく光った。


「何の話」


「何でもない。リゼット。私も、手伝いたい」


「手伝う?」


「薬のこと。私薬師の知識は全然ないけど、修道院には薬草を育てる畑がある。育てることなら手伝える」


「ありがたい。白樺茸も、栽培できるか試してみたいんだけど」


「やってみる。失敗するかもしれないけど」


「失敗してもいい。そこから学べばいいから」


エレノアが頷いた。


帰り際、扉の前で振り返った。


「リゼット」


「何」


「ありがとう。仮面を外してくれて」


「外したのはエレノア自身だよ」


「でも外す勇気をくれたのは、あなた」


エレノアが微笑んだ。本物の笑みだった。


---


夕方、薬草園に出た。


旧ヴァレンシア家の薬草園は、王宮に移管されて、新しい管理者のもとで手入れが続けられていた。


牛乳薊の白い花が咲いている。甘草の葉が風に揺れている。


ベンチに座った。


考えた。


公爵家はなくなった。父は獄中にいる。婚約は解消された。屋敷も爵位もない。


何も、持っていない。


いや。


持っている。


薬師の知識。解毒の技術。宮廷薬師の称号。


セドリック。エレノア。カミラ。ユーリ。マリアンヌ。エリーゼ。ソフィア。フローリア。ランベルト先生。王妃。


味方がいる。友がいる。守りたい人がいる。


それだけあれば、十分だ。


父の処方箋集を膝の上に置いた。


分厚い革装丁の本。ヴァレンシア家三十代の毒の知識が詰まっている。


この本を、薬に変える。全ての毒を、全ての解毒法に変換する。


何年かかるか分からない。十年かもしれない。二十年かもしれない。


でも、やる。


毒花令嬢は、二度目の人生で復讐を選ばなかった。


代わりに、薬を選んだ。


日が沈みかけていた。薬草園に夕暮れの光が差し込んでいる。


牛乳薊の白い花が、橙色の光に染まっていた。


灰の上に、花が咲いている。


公爵家という灰の上に。毒の歴史という灰の上に。


カミラが官舎の窓から顔を出した。


「お嬢様。夕食の準備ができましたよ」


「行く。今日は何?」


「パンとスープです。あと紅茶」


「甘くして」


「もちろんです」


立ち上がった。処方箋集を抱えて、官舎に向かった。


夕暮れの空が、赤く燃えていた。


明日も、薬を作ろう。


明後日も。その先も。


毒花が、薬の花に変わる日まで。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ