表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
毒花令嬢は二度目の人生で復讐を選ばない  作者: 黒豆子犬
3章 公爵家の闇

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
57/77

第57話 追跡

扉の向こうにあったのは、書庫だった。


小さな部屋。壁一面に棚が並び、革装丁の本と綴じた文書が詰まっている。


部屋の中央に机があった。


父が、座っていた。


松明の光に照らされた横顔。銀の髪。紫水晶の瞳。


机の上に文書を広げ、読んでいた。


私が入ってきたことに、気づいている。だが、振り返らなかった。


「早かったな」


「お父様こそ。脱獄が早かった」


「牢の壁は思ったより薄かった」


父が文書から目を上げた。こちらを見た。


拘束から逃げてきた人間とは思えない穏やかさだった。衣服は汚れているが、目に狂気はない。疲労もない。


「何を読んでいるんですか」


「ヴァレンシア家の家伝書だ。初代公爵が書き残したもの。ずっと、ここに保管してあった」


初代公爵。薬師から公爵になった男。ヴァレンシア家の始祖。


「何が書いてあるんですか」


「読むか」


父が文書を差し出した。


受け取った。


古い羊皮紙。インクが褪せているが、読める。


『後の世のヴァレンシアの当主へ。


我が一族は毒を知る。毒を操り、毒を治す。

この知識は国を守るためにある。

だが、いつか、この知識が人を害するために使われる日が来るかもしれぬ。

そのときは、毒を知る者が、自ら毒を止めよ。

外の者に頼るな。毒を止められるのは、毒を知る者だけだ。

ヴァレンシアの毒は、ヴァレンシアが解く。』


読み終えた。


手が、震えていた。


「初代は分かっていたんだな。いつか、こうなることを」


父の声は静かだった。


「お父様はこれを、知っていたのですか」


「知っていた。若い頃に読んだ」


「読んでなぜ」


「なぜ止まらなかったか、と聞きたいのか」


「はい」


父が椅子から立ち上がった。私より背が高い。見上げる形になる。


「止まれなかった。理由は、お前には分からないだろう。分からなくていい」


「分かりたい」


「やめろ。分かったらお前も止まれなくなる」


父の目が、初めて、揺れた。


紫水晶の瞳に、何かが揺れている。


「リゼット」


「はい」


「疫病の解毒法見つけたそうだな」


「はい。三千人分の薬を作りました。もう配布が始まっています」


「白樺茸を使ったか」


「なぜ」


「免疫抑制への対抗策は、白樺茸しかない。俺もそう考えていた。だが、あれの入手は難しいはずだ。どうやって見つけた」


「宰相の研究ノートです。フローリアが持ってきてくれました」


父が、笑った。


低い、短い笑いだった。


「ヘルムガルトの知識が、俺の毒を解く。皮肉だな」


「皮肉です」


「お前は本当に、俺より優れた薬師になった」


「お父様」


「何だ」


「一緒に来てください。もう逃げなくていい」


父が黙った。


地下室の空気が冷たかった。松明がぱちぱちと爆ぜる音だけが響いている。


「逃げているんじゃない。これを取りに来ただけだ」


父が棚から、一冊の本を取り出した。


革装丁の分厚い本。


「ヴァレンシア家の全ての毒の処方箋だ。三十代の当主が代々書き足してきた。俺が作った毒も全てここにある」


「それをどうするつもりですか」


「燃やす」


「燃やす?」


「お前が解毒法を見つけた。俺の最後の毒も無効化された。ならもう必要ない。この知識は——誰にも渡さない」


父が松明を手に取った。


「待って」


「止めるな。これは俺がやるべきことだ」


「中身を見せてください。全ての毒の処方箋があるなら、全ての解毒法のヒントもあるかもしれない。将来同じ毒が使われたときに、対処できなくなる」


父の手が止まった。


「……そうだな。お前は薬師だ。毒を消すのではなく毒を薬に変える。そういう人間だった」


父が本を、こちらに差し出した。


「持っていけ。お前なら正しく使うだろう」


受け取った。重かった。物理的にも、意味の重さとしても。


「お父様。一緒に」


「リゼット」


父の声が、変わった。


穏やかさが消え、鋭い声になった。


「上から足音が聞こえる。近衛騎士だな」


セドリックが来た。三十分が経ったのだ。


「お父様。抵抗しないでください」


「しない。だが、一つだけ」


父が、私の肩に手を置いた。


初めてだった。父が私に触れたのは。


記憶の限り、前世でも今世でも、父が私の体に触れたことはなかった。毒を渡すときすら、テーブルに置いて渡していた。


大きな手だった。骨ばっていて、薬品で荒れた手だった。


「生きろ。毒花でも何でもいい。生きて、花を咲かせろ」


手が、離れた。


階段から騎士たちが降りてきた。甲冑の金属音。


父は、両手を上げた。


二度目の降伏だった。


だが、表情は、前回とは違っていた。


穏やかだった。本当に、穏やかだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ