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毒花令嬢は二度目の人生で復讐を選ばない  作者: 黒豆子犬
3章 公爵家の闇

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第56話 父の逃走

解毒薬の配布が軌道に乗り始めた二十日目。


予想していなかった報告が入った。


「ヴァレンシア公爵が脱獄した」


セドリックの声は平坦だったが、目が鋭くなっていた。


「脱獄?」


「昨夜。地下牢の壁に穴を開けて、下水道経由で逃亡した。夜明けの巡回で発覚した」


「壁に穴?」


「酸だ。何らかの腐食剤で石壁を溶かした。腐食剤は」


「父が自分で作った」


セドリックが頷いた。


「拘束時に身体検査は行った。だが爪の間、歯の裏、衣服の縫い目。ヴァレンシア公爵は、人間が隠し持てる限界の場所に薬品を仕込んでいた」


父らしかった。


毒と薬の知識。それは、逃走にも使える。


「逃走先は」


「下水道から王都の外に出た痕跡がある。南門の外で足跡が途絶えた。馬を用意していた可能性がある」


「南方」


「グスタフ・メルツと同じ方角だ。合流するつもりかもしれない」


考えた。


父は逃げた。「逃げない」と言っていたのに、逃げた。


いや。違う。


父が「逃げない」と言ったのは、強制捜査の前夜だ。あのとき、父は娘に最後の試験を課し、地下室を開放し、疫病を流した。


やるべきことを全て終えた後に、拘束された。


だが、疫病の解毒法が見つかった。三千人が救われようとしている。


父にとって、「最後の贈り物」が無効化されたことは、屈辱だっただろう。


逃げた理由は、屈辱からではない。


まだ、やり残したことがあるのだ。


「セドリック。父はどこに行くと思う?」


「分からない。だがお前は何か心当たりがあるんじゃないか」


「ある」


「どこだ」


「屋敷」


「屋敷は封鎖されている」


「だから行く。封鎖された屋敷に。あの屋敷には父が最後に確認したいものがある」


「何だ」


「地下研究室の奥にもう一つ、部屋がある。私が見つけたとき鍵のかかった扉があった。開けなかった。開ける時間がなかった」


「その部屋に何が」


「分からない。だけど——父があれだけ几帳面に記録を残す人間なら、最も重要なものは最も深い場所に隠す」


---


騎士団に先行して、屋敷に向かった。


セドリックが止めた。


「一人で行くな」


「一人じゃない。カミラがいる」


「カミラは戦えないだろう」


「戦う必要はない。父は私を殺さない」


「なぜ断言できる」


「殺すなら昨夜の毒の茶で殺していた。あのとき殺さなかったということは私を殺す気がない」


セドリックの暗い紫の瞳が揺れた。


「……三十分だ。三十分以内に俺と騎士団が到着する。それまでに何かあれば逃げろ。約束しろ」


「約束する」


「嘘は下手だと言ったはずだが」


「今回は本当」


セドリックが歩き出した。振り返らなかった。


---


屋敷に着いた。


門は封鎖されていたが、薬草園側の裏口は、まだ開いていた。


蔦に覆われた小さな扉。地下への入口。


扉が、開いていた。


誰かが、先に入っている。


カミラの手を握った。


「ここで待ってて」


「お嬢様」


「お願い。もし私が十五分で出てこなかったらセドリック殿下に伝えて」


「でも」


「カミラ。信じて」


カミラが、手を放した。


「……十五分です。一秒でも遅れたら私、入りますから」


「分かった」


地下への階段を降りた。


蝋燭は持たなかった。代わりに、父が残していった松明の火が、通路の壁に見えた。


誰かが、先に松明を灯して進んでいる。


足音を殺して歩いた。


第七研究室を通り抜けた。棚は空だ。近衛騎士団が全てを押収した。


奥の拘束施設を通り過ぎた。寝台は撤去されていた。


そして、その奥に。


鍵のかかった扉。


扉が、開いていた。


中から光が漏れている。


足を踏み入れた。

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