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毒花令嬢は二度目の人生で復讐を選ばない  作者: 黒豆子犬
3章 公爵家の闇

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第53話 包囲網

疫病の処方箋を分析する作業と並行して、公爵家への包囲網が狭まっていった。


セドリックが動いた。


水利局への緊急連絡。王都の上水路の汚染調査。騎士団による水源の封鎖。


結果は、深刻だった。


「上水路の東区画が汚染されている。東区の住民およそ三千人が、汚染水を飲んだ可能性がある」


セドリックの報告を聞いたとき、血の気が引いた。


三千人。


「潜伏期間は三十日。発症前に解毒できれば被害は出ない。だが」


「解毒法が、まだ見つかっていない」


「ああ」


処方箋を睨んでいた。三日間。


父が作った遅効性疫病の構造は、複雑だった。


五種類の菌糸培養体が組み合わされている。それぞれが体内の異なる臓器に影響を与え、三十日かけて段階的に症状を引き起こす。


単純な解毒では対処できない。五つの成分それぞれに対する解毒が必要だ。


菌糸培養体A、肝臓への毒性。牛乳薊の抽出液が有効な可能性。


菌糸培養体B、腎臓への影響。甘草の成分で軽減できるかもしれない。


菌糸培養体C、血液凝固系への干渉。対抗する薬草が、思い浮かばない。


菌糸培養体D、免疫系の抑制。これが最も厄介だ。免疫を抑制されれば、他の毒素への抵抗力も落ちる。


菌糸培養体E、神経系への作用。遅発性で、最後に発現する。


五段階の毒。五段階の解毒が必要。


一つの処方では足りない。五つの処方を組み合わせた、複合解毒薬を作る必要がある。


---


薬草園の小屋にこもった。


カミラが食事を運んでくれた。寝る時間も削った。


棚に並ぶ薬草を一つずつ手に取り、匂いを嗅ぎ、性質を確認した。


牛乳薊。甘草。活性炭。これらは既に使い慣れた素材だ。だが、五段階の毒に対しては、これだけでは足りない。


王宮の薬草庫にも足を運んだ。老薬師ランベルトに相談した。


「ランベルト先生。血液凝固系に作用する毒への解毒心当たりはありますか」


「凝固系か。柳の樹皮が血液を薄める作用を持つが、毒の種類によっては逆効果になりかねんぞ」


「菌糸由来の凝固毒です。血を固まらせすぎる方向に作用します」


「ならば水蛭草はどうだ。沼地に生える水草で、抗凝固作用がある。古い処方だが」


水蛭草。聞いたことはあるが、使ったことはない。


「在庫は?」


「わしの棚にある。使うか?」


「お借りします」


免疫系の抑制への対策は、もっと難しかった。


免疫を活性化する薬草。蝦夷紫檀。朝鮮人参。霊芝。


だが、免疫を活性化しすぎると、別のリスクが生まれる。炎症反応が過剰になり、体が自分自身を攻撃し始める。


バランスが必要だ。


五日目。組み合わせを変えながら実験を繰り返した。


牛乳薊+甘草+水蛭草+蝦夷紫檀+活性炭。


比率を変えた。濃度を変えた。混合の順序を変えた。


失敗。沈殿が生じて分離する。


比率を再調整。蝦夷紫檀の量を半分に減らし、甘草を増やした。


反応が安定した。溶液が均一な琥珀色を保っている。


だが、これが人体で効くかどうかは分からない。


動物実験をする時間もない。


---


七日目。


セドリックが報告を持ってきた。


「東区の住民から、初期症状と思われる報告が出始めている。倦怠感、微熱、食欲不振。まだ深刻ではないが」


「潜伏期間内の前駆症状だ。本格的な発症はあと二十三日後」


「間に合うのか」


「間に合わせる」


自信はなかった。だが、弱音を吐く余裕もなかった。


「もう一つ。宰相ヘルムガルトに対する弾劾動議が枢密院に提出された」


「誰が?」


「ベルモント伯爵だ。お前が毒を盛らずに、結果だけを偽装した相手だ」


ベルモント伯爵。父の最初の暗殺指令の対象だった人物。


「夫人が宰相と公爵家の共犯関係を証言した。宰相が公爵家に毒殺を依頼していた証拠として、宰相家からケッテラーへの支払い記録を提出した」


「夫人の夫が宮廷の会計官僚だ。会計記録へのアクセスがある。宰相家から典礼局副局長への不正な資金移動を見つけた」


ベルモント伯爵夫人が、ここまで動いてくれた。


あのとき毒を盛らなかったことが、巡り巡って、今の味方になっている。


「宰相は?」


「弾劾動議を受けて——辞任した。抵抗する余力がなかったんだろう。公爵の逮捕、エレノアの告白、ベルモント伯爵夫人の証言。三方向からの攻撃に耐えられなかった」


宰相が、辞任した。


「フローリアは?」


「父親の辞任を受けて表舞台から退いた。だが」


「だが?」


「お前に会いたいと言っている。一度、、話がしたいと」


---


フローリアと会ったのは、王宮の庭園だった。


噴水の前のベンチ。午後の日差しが水面に光を散らしている。


フローリアは、痩せていた。


琥珀色の瞳の下に隈がある。頬がこけている。数日で、見違えるほど変わっていた。


「リゼット様」


「フローリア様」


「……様はやめて。もう宰相の娘じゃないから」


「じゃあフローリア」


「うん。ありがとう」


フローリアが隣に座った。


沈黙が続いた。噴水の水音だけが聞こえていた。


「知ってたの?お父様のこと」


「全部は知らなかった。でも何か良くないことをしていると、薄々は」


「気づいていて止められなかった?」


「止められるわけないでしょう。十歳の娘が。あなたは止めたけど」


フローリアの声に、嫉妬でも怒りでもない、疲労が混じっていた。


「私はあなたが羨ましかった。サロンで会ったときから」


「羨ましい?」


「強くて、賢くて、自分の道を持っていて。私は父の駒でしかなかった。あなたも父の駒だったはずなのに壊して、自分で歩き始めた。私にはできなかった」


「フローリア。あなたは悪くない」


「そんなの分かってる。頭では。でも気持ちが追いつかない」


フローリアの目に涙が浮かんだ。


「これからどうしたらいいか、分からない」


「分からなくていい。今は」


「でも」


「私も分からないことだらけだよ。父が流した疫病の解毒法も、まだ見つかってない。毎日、小屋にこもって薬を混ぜてる。失敗ばかり」


フローリアが顔を上げた。


「疫病?」


「あ。知らなかった?」


「知らない。何それ」


簡単に説明した。父が上水路に流した遅効性の毒。三千人が影響を受けている可能性。


フローリアの顔が蒼白になった。


「……あなたの父は本当に、とんでもない人ね」


「うん。本当にとんでもない」


沈黙が落ちた。


だが、さっきまでとは違う沈黙だった。重さが少し減っていた。


「リゼット。私に何か手伝えることはある?」


「ある」


「何」


「宰相家の書庫に薬学の古い文献はない? お父様が植物に詳しかったなら、何か持っていたかもしれない」


「文献ね。あるかもしれない。父の書斎に、南方の植物図鑑があった気がする」


「見つかったら、貸して」


「分かった。探してみる」


フローリアが立ち上がった。


まだ顔色は悪かったが、目に少しだけ光が戻っていた。


やることがある、それだけで、人は少し強くなれる。


「フローリア」


「何」


「ありがとう」


「……こっちのセリフよ」


フローリアが背を向けて歩いていった。

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