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毒花令嬢は二度目の人生で復讐を選ばない  作者: 黒豆子犬
3章 公爵家の闇

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第50話 毒の晩餐

眠れなかった。


寝台の中で、天井を見つめていた。


父の言葉が、頭の中で繰り返されている。


「お前は私が作った最高傑作だ」


傑作。道具としての完成形。


違う。私は道具ではない。薬師だ。人を救う薬師だ。


だが、父の言葉を完全に否定できない自分がいる。


私の薬学知識は、父の「教育」から始まった。毒を飲まされ、耐性を鍛えられ、毒の性質を叩き込まれた。その知識を反転させて薬に変えたのは私の意志だが、出発点は、父が作った。


父なしに、今の私はいなかった。


その事実が、重い。


カミラが隣の寝台で静かに寝息を立てている。


起き上がって、窓を開けた。


夜明け前の空。東の空が、薄く白み始めている。


あと数時間で、近衛騎士団が来る。


---


朝日が屋敷の屋根を照らし始めた頃、門の外に、馬蹄の音が聞こえた。


多くの馬。十頭以上。


窓から見下ろした。


近衛騎士団の軍旗。白と金の紋章。


先頭に、ヴェルナー騎士団長が馬上にいた。横にセドリックが馬に乗っている。


門番が慌てた声を上げている。


「ヴァレンシア公爵家に対し、王妃陛下の勅命による強制捜査を執行する。門を開けよ」


ヴェルナーの声が、朝の空気を切り裂いた。


門が、開かれた。


---


私は階段を降り、玄関ホールに出た。


近衛騎士たちが屋敷に入ってきた。甲冑の金属音が石の床に響く。


ヴェルナーが私を見た。


「リゼット・ヴァレンシア嬢。案内を頼む」


「はい。地下への入口は、二箇所あります。書斎の書棚の裏と、薬草園の東端。どちらから入りますか」


「両方だ。部隊を二手に分ける」


セドリックが馬から降りて近づいてきた。


「父上はどこだ」


「お父様は」


書斎の方に目を向けた。


書斎の扉が、内側から開いた。


父が、出てきた。


黒いコート。銀の髪。紫水晶の瞳。


姿勢がよく、顔色も悪くなかった。昨夜と同じ、穏やかな表情だ。


追い詰められた男の顔ではなかった。


「ヴェルナー騎士団長。お待ちしていた」


「ヴァレンシア公爵。王妃陛下の勅命により、本邸宅および関連施設への強制捜査を執行します」


「ご苦労なことだ。だが、案内は不要だ。私が自ら開放する」


父が、書斎に戻り、書棚の一冊を引いた。


棚が、動いた。


書棚の一角が手前にスライドし、その奥に、下り階段が現れた。


暗い、石の階段。地下への道。


「見たいものは下にある。全てだ」


父が階段の入口に立ち、振り返った。


近衛騎士たちを見た。セドリックを見た。


そして、私を見た。


紫水晶の瞳が、朝日の中で光っていた。


---


地下に降りた。


近衛騎士が先行し、松明を灯した。


私が案内した通路とは別のルートだった。書斎からの階段は広く、造りがしっかりしている。こちらが正規の出入口だ。


階段を降りきると、広い空間に出た。


私が見た「第七研究室」だ。


だが、昨夜とは様子が違っていた。


棚の薬瓶が、全て、蓋が開いていた。


中身が、空だ。


「公爵。薬品が処分されている」


ヴェルナーの声に警戒が混じった。


「処分はしていない。使った」


父の声が、地下室に響いた。


使った?


何に。


「昨夜、地下の水路に流した。全ての薬品を」


地下の水路。


この地下室の床に走っている排水溝。あの水は、どこに繋がっている。


「公爵。その水路はどこに流れている」


ヴェルナーの問いに、父は答えなかった。


代わりに、私を見た。


「リゼット。お前なら分かるだろう」


考えた。


屋敷の立地。王都の東区。東区の地下水脈は、


「王都の上水路に繋がっている」


声が掠れた。


王都の上水路。市民の飲料水を供給する地下水脈。


父は、毒を、上水路に流した。


「何を流したのですか。お父様」


「死の香ではない。もっと遅効性のものだ」


父が微笑んだ。


「ヴァレンシア家の、最後の贈り物だ。お前が阻止できるかどうかは、お前の腕次第だ」


---


空気が凍った。


ヴェルナーが剣に手をかけた。


「公爵。何を流した。即座に答えろ」


「答える義理はない。だが、娘には教えてやろう」


父が書斎の机の引き出しから、一枚の紙を取り出した。


「処方箋だ。俺が三十年かけて完成させた、遅効性の経口感染毒。水に溶ければ無色無臭。潜伏期間は三十日。発症すれば高熱、出血、臓器不全。致死率は処置しなければ七割」


紙を受け取った。


手が震えていた。


処方箋を読んだ。複雑な調合だ。夜来花の抽出物に、五種類の菌糸培養体を混合し、特定の温度条件で熟成させた生物毒。


これは、毒ではなく、疫病だ。


人工的に作られた疫病。


「三十日の猶予がある。解毒法を見つけるか、見つけられないかは、お前の腕次第だ」


父が、両手を上げた。


降伏の姿勢。


「俺は抵抗しない。好きにしろ」


ヴェルナーが近衛騎士に合図した。


二人の騎士が父の両腕を掴み、後ろ手に拘束した。


父は、抵抗しなかった。


紫水晶の瞳が、最後まで私を見ていた。


「リゼット。見事になれ」


それが、父の、最後の言葉だった。


---


父が連行された後、地下室に残った。


セドリックが隣に立っていた。


「聞いたか」


「聞いた」


「三十日」


「三十日ある。三十日しかない、とも言える」


処方箋を握り締めた。


紙が、汗で湿っていた。


「セドリック。上水路の汚染範囲を確認して。どこまで流れたか。汚染された水を飲んだ人がいるかどうか」


「分かった。ヴェルナーに水利局への連絡を頼む」


「私は解毒法を探す。処方箋がある。毒の成分が分かれば対抗策を作れる。作れるはずだ」


「リゼット」


「何」


「震えてる」


手を見た。確かに、震えていた。


「止める。薬師の手は、震えてはいけないから」


震えを、止めた。


地下室の薄暗い空気の中で、処方箋を開いた。


父の字。几帳面な、癖のない文字。


三十年かけて完成させた疫病の処方箋。


父の最後の「教育」だ。


解毒法を見つけろ。国民を救え。お前が本当に薬師なら。


「……受けて立つ」


声に出した。


父への返事であり、自分への宣言だった。

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