表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
毒花令嬢は二度目の人生で復讐を選ばない  作者: 黒豆子犬
3章 公爵家の闇

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
45/78

第45話 実験場

セドリックに地下研究室のことを報告したのは、翌日の午前だった。


図書塔の三階。いつもの古い法典の棚の間で、記録を渡した。


セドリックは読んだ。


表情が変わらないことに慣れていたが、今回は、紙を持つ指の関節が白くなっていた。


「人体実験か」


「はい。拘束施設がありました。寝台と鎖。使用人の制服の断片」


「何人だ」


「寝台は五つ。だけど——書斎の文書に被験体の番号がありました。No.23からNo.31。少なくとも三十一人以上が——」


「やめろ」


セドリックが紙を机に置いた。


沈黙が落ちた。窓の外で鳩が鳴いている。


「……すまない。続けてくれ」


「いいの?」


「聞かなければならない。目を逸らしている場合じゃない」


セドリックの声は低く、硬かった。怒りを、抑えている。


「文書の日付は二十三年前です。だけど、地下室の状態を見る限り——もっと最近まで使われていた形跡がある。薬瓶のラベルが新しいものもあった。死の香の原材料が、精製済みの状態で保管されていた」


「つまり——今も稼働している可能性がある」


「薬品の在庫から見て、最後に使われたのは——半年以内だと思う」


セドリックが立ち上がり、窓に歩いた。


「これだけの証拠があれば——強制捜査の令状を出せる。公爵家の敷地内に違法な実験施設がある。人体実験の痕跡がある。王妃暗殺未遂の物的証拠も合わせれば——」


「待って。セドリック」


「何だ」


「強制捜査をかけるなら——ユーリを先に出さないと。父が追い詰められたとき、ユーリを人質にする可能性がある」


セドリックが振り返った。


「弟か。——学院への入学手配は進めている。王妃の名による推薦状が、今日中に出る」


「今日中?」


「母上に事情を説明した。母上は——すぐに動いてくれた」


王妃の推薦状。公爵であっても、王妃の名に逆らうことは難しい。


「ありがとう」


「弟を出した後に——強制捜査をかける。準備に二日。合計で三日後だ」


「三日……」


三日あれば、ユーリを屋敷から出し、証拠を最終確認し、近衛騎士団を動かせる。


だが、三日の間に、父が地下室を片付ける可能性がある。


「父が証拠を隠滅する前に、動かないと」


「分かっている。だが——拙速に動けば、法的な手続きに瑕疵が出る。公爵家相手の強制捜査だ。手続きが完璧でなければ、後で覆される。宰相が弁護につく可能性もある」


「宰相は——まだ動いてない?」


「表面上は沈黙している。だが——裏で動いているはずだ。公爵を切り捨てるか、庇うか、判断を保留しているんだろう」


---


午後、屋敷に戻った。


ユーリの部屋を訪ねた。


「ユーリ。明後日——王宮の学院に行くことになったよ」


ユーリの目が大きくなった。


「本当?」


「王妃陛下の推薦状が出る。お父様も——表向きは断れない」


「お父様は——怒る?」


「怒るかもしれない。でも——王妃の名前には逆らえない」


ユーリが小さく頷いた。安堵が顔に滲んでいたが、同時に、不安も消えていなかった。


「お姉ちゃんは——屋敷に残るの?」


「残る。もう少しだけ——やることがあるから」


「危ないこと?」


「大丈夫。すぐ終わるから」


嘘だった。すぐには終わらない。危険でないはずもない。


だけど、弟には、それでいい。


「ユーリ。学院に行ったら——勉強を頑張って。友達を作って。外の空気をたくさん吸って」


「うん」


「薬は——引き続き飲んで。毎朝一回。体が慣れるまで」


「分かった」


ユーリが立ち上がり、私の前に来た。


小さな腕が、腰のあたりに回された。


抱きついてきた。


「お姉ちゃん——ありがとう」


声が震えていた。


この子は、自分が毒を飲まされかけていたことを、完全に理解している。六歳の子供が理解するには重すぎる現実だ。


頭を撫でた。


「ありがとうはこっちのセリフ。お父様のお茶を花にすり替えたの——あれは本当にすごかった」


「お姉ちゃんに教わったから」


「教えてないよ、あんなこと」


「教わった。——嘘のつき方」


ユーリが笑った。少し得意げな笑みだった。


胸が痛んだ。六歳の子供に嘘のつき方を教えた姉。立派な姉とは言えない。


でも、生き延びるためには、必要な嘘だった。


---


翌日。


王妃の推薦状が届いた。


正式な文書。王妃の署名と印璽が押されている。


「ヴァレンシア公爵家のユーリ・ヴァレンシアを、王立学院初等部への特別入学生として推薦する。王妃アーデルハイト」


父に文書を渡したのは、夕食の場だった。


「お父様。王妃陛下より、ユーリへの推薦状が届きました」


父が文書を受け取り、読んだ。


表情は変わらなかった。


長い沈黙があった。食卓の蝋燭が、パチパチと音を立てた。


「……王妃が、うちの息子に目をかけてくださるとはな」


「ユーリは聡い子です。学院で学ぶ機会があれば——」


「お前が手を回したのか」


「いいえ。王妃陛下のご判断です」


嘘だ。分かっている。父も分かっている。


だが、王妃の名前が入った文書を突き返すことは、公爵であっても政治的なリスクが大きすぎる。


「……いいだろう。ユーリには良い経験になるだろう」


父の承諾を得た。


声は穏やかだったが、紫水晶の瞳の奥で、何かが計算されていた。


ユーリが屋敷からいなくなれば、私への人質としての価値がなくなる。


父は、別の手段を考え始めるだろう。


---


翌朝、ユーリが屋敷を出た。


王宮からの迎えの馬車。近衛騎士が一人、護衛としてついた。セドリックの手配だ。


ユーリが馬車に乗る前に、振り返った。


「お姉ちゃん」


「行っておいで」


「——また会える?」


「会えるよ。すぐに」


ユーリが頷いた。馬車の扉が閉まった。


車輪が回り、砂利を踏む音が遠ざかっていった。


門が閉じた。


屋敷の中庭に、私と、新しい使用人たちだけが残された。


カミラが隣にいた。


「ユーリ様——行かれましたね」


「うん。これで——安心」


「次は——」


「次は、明日。強制捜査が入る」


カミラが息を呑んだ。


「明日——」


「セドリックから連絡が来ている。近衛騎士団が動く。令状は今日中に発行される」


「お嬢様は——どうされるのですか」


「屋敷にいる。証拠の場所を知っているのは私だけだから。——騎士たちを地下に案内する」


カミラの手が、私の袖を掴んだ。


「お嬢様——」


「大丈夫。一人じゃない」


カミラの黒い瞳が揺れていた。怖がっている。当然だ。


「カミラ。明日の朝——屋敷を出て、王宮に行ってて」


「嫌です」


即答だった。


「お嬢様のお傍にいます」


「危ないかもしれない」


「それでも」


カミラの声は震えていなかった。


この子は、いつも、ここぞという場面で震えない。


「……分かった。一緒にいて」


「はい」


庭の牛乳薊が、朝日を浴びて白く光っていた。


明日、この屋敷に、嵐が来る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ