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毒花令嬢は二度目の人生で復讐を選ばない  作者: 黒豆子犬
3章 公爵家の闇

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第42話 弟の選択

ユーリの部屋を訪ねたのは、翌朝だった。


屋敷の二階、東側の小さな部屋。窓から朝日が差し込んでいるが、カーテンが半分閉まっている。


扉をノックした。


「ユーリ? お姉ちゃんだけど」


返事がなかった。


もう一度ノックした。


「……入っていいよ」


小さな声。掠れている。


扉を開けた。


ユーリは寝台に座っていた。六歳の少年。灰色の瞳は父に似ている。以前より血色は戻ったが、まだ年齢の割に細い。


顔色が悪かった。


以前、父が投毒していたときのような蒼白さではない。もっと違う色だ。


目の下に隈がある。眠れていない。


「体調が悪いって聞いたけど」


「うん……。お腹が少し」


ユーリの目が、こちらを見ていなかった。視線が泳いでいる。


「見せて。お姉ちゃん、薬師だから」


「大丈夫。たいしたことないから」


「ユーリ」


名前を呼んだ。少し強く。


ユーリが目を伏せた。唇を噛んでいる。


「——何があったの」


沈黙が落ちた。窓の外で小鳥が鳴いている。


「お父様が……」


「お父様が?」


「お姉ちゃんのこと——聞いてきた」


心臓が跳ねた。


「何を聞かれた?」


「お姉ちゃんが屋敷で何をしているか。誰と話しているか。薬草園で何を作っているか」


ユーリの声が震え始めた。


「僕——答えなかった。知らないって言った。でも——お父様が——」


「ユーリ」


「怖かったんだ。お父様の目が——すごく冷たくて」


手を伸ばした。ユーリの小さな手を握った。


冷たかった。緊張で末端の血行が悪くなっている。


「よく答えなかったね。偉かった」


「でも——お父様が……。『お前がリゼットの代わりに答えられないなら、お前にも教育が必要だな』って」


教育。


父の言う「教育」が何を意味するか、私は知っている。前世で経験した。今世でも経験した。毒を飲まされ、耐性を鍛えるという名目の虐待だ。


ユーリへの投毒は、以前私が秘密裏に治療して止めさせた。父はユーリの体質が「弱い」として、一時的に中断していた。


それが、再開の兆候を見せている。私への圧力として。


「ユーリ。お父様は、何か飲ませた? 食べさせた?」


「まだ——何も。でも、明日から朝食を一緒にと言われた」


朝食を一緒に。父がユーリと朝食を共にするのは、「教育」の始まりだ。食事に少量の毒を混ぜ、少しずつ量を増やしていく。


「分かった。ユーリ、いい? 明日の朝食の前に——これを飲んで」


革袋から小瓶を取り出した。牛乳薊の抽出液。肝臓の保護作用がある。多くの毒に対して、一定の予防効果を持つ。


「お姉ちゃんが作った薬。苦いけど——飲めばお腹を守ってくれる」


「これ——お父様にバレない?」


「大丈夫。無臭で無色だから。水に混ぜて、お父様の前で飲んでも分からない」


ユーリが小瓶を受け取った。手が震えていた。


「お姉ちゃん」


「何?」


「お姉ちゃんは——お父様と戦ってるの?」


六歳の子供が、聞いてはいけないことを聞いている。分かっていて聞いている。この屋敷の空気を、この子も吸っているのだ。


「戦ってる」


正直に答えた。


「でも——ユーリを巻き込むつもりはない。ユーリは——ユーリのままでいればいい」


「僕も——手伝える?」


「手伝わなくていい。ユーリがやることは一つだけ。自分の体を守ること。薬を飲んで、食事に気をつけて、何か変なものを食べさせられそうになったら——こっそりお姉ちゃんに教えて」


ユーリが頷いた。


小さな手が、小瓶を握り締めている。


---


部屋を出た。


廊下で、新しい使用人の一人とすれ違った。昨夜、薬草園の前にいた男だ。


「お嬢様。弟君のお見舞いですか」


「ええ。体調が悪いと聞いたから」


「お優しいことですな」


男の目が笑っていない。観察している。私がユーリの部屋で何を話したかを報告するだろう。


だが、部屋の中での会話を、この男は聞けていない。扉は閉めてあった。


カミラと合流した。


「お嬢様。ユーリ様は?」


「体調不良ではなくて——父に脅されている。ユーリを使って、私を牽制しようとしている」


カミラの顔が強張った。


「ひどい……」


「ユーリには予防薬を渡した。でも、それだけでは足りない。この屋敷にユーリを置いておくこと自体が危険になりつつある」


「外に出す、ということですか?」


「考えている。でも今すぐには無理。父の監視が厳しすぎる」


---


午後、王宮に出仕した。


薬草園の小屋で、セドリックへの伝言を書いた。


『ユーリの身の安全を確保する方法を検討してほしい。公爵家の内部が危険な状態になりつつある。——R』


返事は夕方に届いた。


『王妃の名で、ユーリを宮廷の学院に預けるという形は取れる。教育目的であれば、公爵も表立っては拒否できない。だが——準備に数日かかる。——C』


数日。ユーリが耐えられるか。


牛乳薊の予防薬は渡してある。父が初期段階で使う毒、微量の砒素か、遅効性のアルカロイドに対しては、一定の防御効果がある。


だが、死の香を使われたら話が違う。


父は死の香のストックを持っている。メルツ香房から押収できたのは一部だ。父の手元にも、相当量が残っているはずだ。


「お嬢様」


カミラが声をかけてきた。


「何」


「ユーリ様のこと——弟君の侍女のマルタさんから、伝言がありました」


「マルタ?」


マルタは、ユーリの世話をしている年配の侍女だ。使用人の入れ替えで残った、数少ない旧来の人間。


「『お嬢様にお伝えしてほしい。坊ちゃまの朝食に、今朝から——お茶が追加されました。お茶は、旦那様が直接お持ちになったものです』と」


お茶。父が直接持ってきたお茶。


始まっている。


予想よりも早かった。明日からだとユーリは言っていたが、今朝、既に一杯目が出ていた。


「ユーリは——飲んだ?」


「分からないそうです。マルタさんが見ていたのは配膳のところまでで」


立ち上がった。


「帰る。今すぐ屋敷に戻る」


薬を追加で調合した。牛乳薊の抽出液を濃い目に。活性炭の粉末をカプセル状に固めたもの。甘草の錠剤。


三種類を革袋に入れて、馬車に乗った。


屋敷に着いたのは日没前だった。


ユーリの部屋に直行した。


「ユーリ」


「お姉ちゃん」


「今朝のお茶——飲んだ?」


ユーリが首を振った。


「お姉ちゃんが言ってたから。変なものは飲まないでって。——鉢植えの花に水やりのふりをして、そっちに流した」


この子は、賢い。


六歳の子供が、父の毒を花にすり替えた。


安堵で膝の力が抜けそうになった。


「よくやった。偉い。すごく偉い」


「でも——明日も出てくると思う。毎日はごまかせない」


「大丈夫。数日だけ持ちこたえて。お姉ちゃんが——ユーリを安全な場所に移す準備をしてるから」


「安全な場所?」


「王宮の学院。勉強するところ。お姉ちゃんの知り合いの人が——手配してくれている」


ユーリの目が、少し明るくなった。


「お姉ちゃんの——知り合い?」


「うん。信頼できる人」


「王子様とか?」


「……なんで分かるの」


「お姉ちゃん、王宮に行くとき——少し嬉しそうな顔するから」


六歳の観察力を侮っていた。


「変な想像しないでよ」


「してないよ」


ユーリが少し笑った。ぎこちない笑みだったが、昨日よりも顔色が良かった。


「ユーリ。あと三日。三日だけ。毎朝、お姉ちゃんの薬を飲んで、お父様のお茶は花にやって。三日後に——迎えが来る」


「分かった。——お姉ちゃん」


「何?」


「お姉ちゃんは——大丈夫?」


「大丈夫だよ」


嘘だった。大丈夫ではなかった。


でも、弟の前で弱い顔は見せられない。


ユーリの頭を撫でた。柔らかい髪が、指の下で揺れた。


この子を守る。何があっても。


部屋を出たとき、廊下の陰にあの使用人の男が立っていた。


目が合った。


男は何も言わず、廊下の奥に消えた。


今夜の報告書に、きっとこう書かれるだろう。「リゼットがユーリの部屋を二度訪問。滞在時間は計二十分。内容は不明」と。


不明のままでいい。


あと三日。

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