第36話 味方の形
セドリックへの連絡は、薬草園の伝言箱を使った。
王宮の東庭にある薬草園。宮廷薬師に抜擢されてから、この場所は私の管轄になっている。園丁のヨハンは口が堅く、セドリックの侍従クラウスとは旧知の仲だった。
伝言箱は、園丁小屋の棚の奥にある空き瓶だ。手紙を丸めて入れておけば、クラウスが回収し、セドリックに届ける。
返事は翌日の朝、同じ瓶に入っていた。
『明後日の午後。図書塔の三階。——C』
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図書塔の三階は、古い法典の保管庫だった。百年前の判例集や廃止された勅令が詰まった棚が並び、人の出入りはほぼない。
埃の匂い。古い羊皮紙の匂い。窓から差し込む午後の光が、棚の間に細い筋を引いていた。
セドリックが先に来ていた。窓際の机に腰掛け、分厚い法典を開いている。読んでいるわけではなく、人に見られたときの言い訳だ。
「来たか」
「遅れてごめんなさい。王妃への薬草茶の納品に時間がかかって」
「母上の具合は」
「順調です。食欲が戻ってきています」
セドリックの暗い紫の瞳が、一瞬だけ和らいだ。すぐに元の鋭さに戻ったが、私は見逃さなかった。
この人は母親が好きなのだ。ただ、それを表に出すことに慣れていない。
「それで——急ぎの用件とは」
紙を広げた。昨晩まとめた暗殺計画の全体像を、簡潔に伝えた。
前世の記憶から再構成した秋の晩餐会の夜。王妃の私室への死の香の散布。香炉を経由した吸入型攻撃。リゼットへの罪の転嫁。
セドリックは黙って聞いていた。
顔色は変わらなかったが、机に置いた手の指先が白くなっていた。
「典礼局副局長ケッテラーが実行役だと」
「推定です。確証はまだない。だけど、王妃の身の回りの品を管理する権限を持つ人物は限られています。ケッテラーはその筆頭」
「ケッテラーの背後に、お前の父親がいる」
「はい」
「そして宰相」
「それも、推定の段階ですが。先日の晩餐会で宰相が夜来花の話を振ってきました。あれは牽制だったと考えています」
セドリックが立ち上がり、窓に歩いた。窓の外を見ている。中庭の噴水が日差しに光っている。
「秋の晩餐会は九月二十三日だ。典礼局の年間行事に載っている」
「四ヶ月弱」
「だが——お前の言う通り、前倒しの可能性がある。母上の回復が犯人側の想定外なら、計画を急ぐ理由がある」
「セドリック殿下に、お願いしたいことがあります」
「殿下はやめろ。二人のときは名前でいい」
「……セドリック」
「何だ」
「ケッテラーの行動を監視する手段が欲しい。私は宮廷薬師とはいえ、典礼局の内部には入れません。でも、王子であるあなたなら——」
「典礼局に視察名目で入ることはできる。だが、頻繁にやれば怪しまれる」
「頻繁でなくていい。ケッテラーが王妃の私室に立ち入る日時のパターンだけでも」
セドリックが振り返った。
「俺の侍従クラウスに、典礼局の下級官吏に知り合いがいる。そちらから探れるかもしれない」
「ありがとう」
「礼は要らない。母上のことだ」
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エレノアとの接触は、より慎重に行う必要があった。
フローリアに目撃されたことで、直接会うリスクが高まっている。
代わりに、礼拝堂の告解室を使うことにした。
王宮の礼拝堂には、司祭が信者の告解を聞くための小部屋がある。格子で仕切られた狭い空間で、互いの顔は見えない。声だけが通る。
告解に来た信者と、その告解を聞く聖女。それなら、不自然ではない。
エレノアには伝言で日時を伝えた。宮廷サロンで顔を合わせたときに、ハンカチの下に小さな紙片を忍ばせた。
翌日の午前。告解室の扉を開けた。
狭い木の部屋。格子の向こうに、金色の髪が見えた。
「リゼット?」
「うん。聞こえる?」
「聞こえる。——でも、小さい声で話して」
格子越しに、暗殺計画の概要を伝えた。
全ては話さなかった。エレノアに背負わせるには重すぎる情報がある。
伝えたのは三つ。王妃の病の原因が死の香であること。秋の晩餐会で大規模な攻撃が予想されること。そして、エレノアに薬を届けている人物が、この計画に関わっていること。
格子の向こうで、息を呑む音がした。
「グスタフが——」
「あの男が死の香を製造していると思う。あなたに偽の治癒薬を届けているのも、全体の計画の一部」
沈黙が落ちた。
告解室の薄い壁を通して、礼拝堂の蝋燭が爆ぜる音が聞こえた。
「私に——何ができる?」
エレノアの声は震えていなかった。
覚悟した声だった。あの礼拝堂の夜から、何かが変わったのだろう。
「次にグスタフが来たら、日時を教えて。それから——彼が持ってくる薬のサンプルが欲しい。全部使い切らないで、少しだけ残しておいて」
「分かった。——それと、もう一つ」
「何」
「グスタフが来るとき、いつも——もう一人、一緒に来る人がいるの。外で待っている人。グスタフが礼拝堂に入っている間、教会の門の前に立っている」
「どんな人」
「背の高い男の人。灰色の髪で、典礼局の制服を着ていた」
心臓が跳ねた。
典礼局の制服。
「ケッテラー?」
「名前は分からない。でも——制服の襟に、銀の飾りがついていた。高い位の人だと思う」
副局長クラスの襟章。
ケッテラーが、グスタフの薬の配達に同行している。聖女への偽薬の供給と、王妃への毒の供給が、同じルートで行われている。
「ありがとう、エレノア。それは——すごく大事な情報」
「役に立てたなら——よかった」
格子越しに見える横顔が、微かに微笑んでいた。
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令嬢ネットワークへの依頼は、次の茶会で行った。
マリアンヌ、エリーゼ、ソフィア。三人を屋敷に招き、薬草園で茶を飲みながら話した。
三人には、暗殺計画のことは伝えなかった。まだ早い。
代わりに、個別の情報収集を頼んだ。
マリアンヌには、フローリアの動向。宰相家と公爵家の接触頻度。フローリアが誰と会い、何を話しているか。
「フローリア様は最近、年上の貴婦人たちと積極的にお話しになっていますわ。特に——典礼局局長夫人と親しくされているようです」
典礼局。また典礼局だ。
エリーゼには、宮廷の社交記録。秋の晩餐会の出席者リストと、座席配置の過去の記録。
「三年分ほど遡れますか?」
「母の書斎に過去の出席記録がありますわ。調べてみます」
ソフィアには、教会関係の情報。聖女エレノアの公式行事の予定と、礼拝堂に出入りする人物の記録。
「教会って——あまり情報が外に出ないですよね」
「出ないからこそ価値がある。ソフィアの叔母様が教会の評議員だったよね」
「はい。聞いてみます」
三人が帰った後、庭に残って空を見た。
令嬢ネットワーク。マリアンヌの社交力、エリーゼの記録力、ソフィアの人脈。三人が動けば、私だけでは見えない景色が見えてくる。
だが、この子たちも、気づかないうちに危険の近くにいることになる。
守らなければならない人間が、増えている。
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夜、全ての情報を一枚の紙にまとめた。
防衛計画の骨子。
——第一線:ケッテラーの行動監視(セドリック経由)。王妃の私室への立ち入りパターンを把握し、異常な行動を早期に検知する。
——第二線:毒の流通監視(エレノア経由)。グスタフの配達日時と、ケッテラーの同行を記録。次の配達時にサンプルを確保する。
——第三線:情報収集(令嬢ネットワーク)。宰相家と公爵家の動向、典礼局の内部情報、秋の晩餐会の詳細。
——第四線:王妃の直接防護。薬草茶の処方を強化し、死の香への耐性を少しでも高める。同時に、王妃の身の回りの品——特に香炉の原料——を私が直接確認できる体制を作る。
——最終手段:解毒薬の実戦配備。牛乳薊+活性炭+甘草の処方を、即座に投与できる形に調製しておく。
紙を読み返した。
防衛線は四重。どれか一つが破られても、次の線で止める。
だが、完璧ではない。計画は計画でしかなく、相手も動いている。
何より、この計画には、最大の弱点がある。
私自身だ。
前世と同じように、犯人が私に罪を着せようとする可能性がある。事件が起きたとき、私のアリバイを証明できなければ、前世の二の舞になる。
カミラに頼んだ。
「秋の行事の時期——九月に入ったら、私がどこにいて何をしていたか、毎日記録してほしい」
「記録、ですか?」
「日記みたいなものでいい。時間と場所と、誰と一緒にいたか。できるだけ細かく」
「それは——何のために」
カミラの黒い瞳が、心配そうにこちらを見ている。
「保険。何もなければ、ただの日記で終わる」
「何かあったら——?」
「私を守る証拠になる」
カミラは数秒、じっとこちらを見つめていた。何か聞きたそうな顔をしていたが、飲み込んだ。
「分かりました。お嬢様の行動記録、毎日つけます」
「ありがとう」
「お嬢様」
「何」
「何があっても——お嬢様の味方ですから」
カミラの声は静かだったが、揺るぎがなかった。
この子は分かっている。全てではなくても、何か大きなことが動いていることを。そして、問い詰めずに、ただ傍にいることを選んでいる。
「知ってる。——だから、頼んでるの」
カミラが頷いた。
蝋燭の灯りの中で、紙片を薬草辞典に挟んだ。
味方の形は、一人一人違う。セドリックは剣。エレノアは鍵。マリアンヌたちは目。カミラは盾。
そして私は、この糸を束ねる手。
糸が一本でも切れれば、全体が綻ぶ。
切らせない。
誰一人として。




