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毒花令嬢は二度目の人生で復讐を選ばない  作者: 黒豆子犬
2章 社交界の毒と蜜

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第34話 毒の連鎖

死の香のサンプル分析に、三日を費やした。


薬草園の奥にある小屋が、臨時の実験室だった。元は園芸道具をしまう納屋だが、棚を片付けて石臼と蒸留器を運び込んであった。


カミラにも入るなと言ってある。


小瓶の蓋を開ける前に、準備をした。


換気。小屋の窓を全開にし、風の流れを確認する。


風上に立ち、粉末が自分の方に飛ばない位置を取る。


防護。口と鼻を厚手の布で覆い、湿らせたガーゼを三重に巻く。


死の香は吸入型だ。粘膜からの吸収を防ぐことが最優先。


微量の採取。針の先ほどの量だけを、ガラスの皿に移す。


残りは即座に蓋をして密封する。


手が震えていた。


この粉末が、前世の私を殺した。今も王妃を蝕んでいる。


震えを止めた。薬師の手は、震えてはいけない。


---


黒い粉末を観察した。


極めて細かい粒子。肉眼ではほぼ均一に見えるが、光に透かすと微かな構造が見える。


結晶構造ではない。有機物の粉末だ。


植物と菌糸を原料とするなら、細胞壁の断片が含まれているはずだ。


水に溶かした。微量の粉末を白湯に入れると、すぐには溶けなかった。


数分かけてゆっくりと分散し、水が薄い灰色に濁った。


慎重に、ガーゼ越しに匂いを嗅いだ。


甘い。花の匂い。


夜来花の香りに似ている。だが、それだけではない。


下層に、別の匂いがある。菌糸特有の湿った匂い。


土と森の匂い。


溶液を試薬と反応させた。


牛乳薊の抽出液を一滴加えた。反応なし。


鉄粉を加えた。薄い褐色の沈殿が生じた。


鉄と反応する成分がある。タンニン系か、フェノール系の物質が含まれている。


酢酸を加えた。泡が発生した。


炭酸塩が含まれている。菌糸の代謝産物として矛盾しない。


ウラル甘草の煎じ液を加えた。


反応が起きた。


灰色の溶液が、淡い緑色に変わった。甘草の成分と、死の香の成分が反応して、別の物質を生成している。


緑色の沈殿を指先で取り、匂いを嗅いだ。


無臭だった。


死の香の甘い匂いが消えている。甘草の成分が、死の香の揮発性成分を中和したのか。


つまり、甘草は、死の香の吸入毒性を低減させる可能性がある。


飛び上がりそうになった。


---


追加の実験をした。


死の香の水溶液を三つに分けた。


一つ目に、牛乳薊の抽出液を多量に加える。変化は僅かだが、溶液の濁りが薄くなった。


吸着効果がある可能性。


二つ目に、活性炭を投入する。炭が粉末を吸着し、上澄みが透明に近づいた。


吸着効果は明確だ。


三つ目に、甘草の煎じ液を多量に加える。前回と同じく緑色の沈殿。


沈殿物の匂いは無臭。揮発性成分の中和が再現された。


三つの処方を組み合わせれば、吸入毒性の中和、体内からの毒素排出、残留毒素の吸着。三段階の解毒が可能になる。


王妃に飲ませている薬草茶の処方と、方向性は同じだ。だが、死の香のサンプルで直接効果を確認できたことで、処方の根拠が推測から実証に変わった。


解毒法は、ある。


 「現時点では確立された解毒法はない」とあの男は言った。確かに、公に確立された方法はない。だが、牛乳薊と活性炭と甘草の組み合わせが、少なくとも部分的には有効だ。


---


実験の片付けをしていたとき、もう一つ重要なことに気づいた。


死の香の水溶液から生じた緑色の沈殿物を、水に再溶解して加熱した。加熱すると沈殿物が分解し、残った溶液から、特有の匂いが立ち上った。


金属の匂い。鉄錆に似た、鋭い匂い。


この匂いには記憶がある。


王妃の手を取ったとき。脈を診るときに、王妃の皮膚から微かに感じた匂いだ。


あのとき、何の匂いか分からなかった。体臭の一部だと思っていた。


違う。あれは死の香の代謝物の匂いだった。


王妃の体内に死の香が蓄積している。皮膚からの代謝物として、微量が排出されている。


それが、鉄錆に似た匂いとして検出できる。


つまり、王妃の皮膚から直接、死の香の投与の証拠を採取できる。


ブランケンハイム伯爵夫人の手首で白根草の代謝物を検出したのと同じ方法だ。試薬を染み込ませた布を皮膚に当てれば、死の香の代謝物が検出できる。


---


次の薬草茶の納品日に、試薬を持参した。


東屋で茶を淹れながら、王妃の手を取った。いつもの脈診を装い、試薬布を手首の内側に当てた。


数秒待って、布を離した。


帰りの馬車の中で、布を確認した。


赤褐色。


鉄錆色の反応。死の香の代謝物が検出された。


確定した。


王妃アーデルハイトは、死の香を慢性的に微量投与されている。推測ではない。


実物のサンプルとの照合で確認された、物的証拠だ。


---


屋敷に戻り、全ての情報を整理した。


——王妃の病の原因:死の香の慢性微量投与(皮膚代謝物の検出により確定)。


——投与経路:食事経由と推定。


典礼局副局長ケッテラーが食事管理権限を持つ。


——毒の製造:グスタフ・メルツ(メルツ香房)。


原材料はコルサ商会経由。


——発注元:ヴァレンシア公爵。


——共謀者(推定):宰相ヘルムガルト。


——解毒法:牛乳薊+活性炭+ウラル甘草の処方が部分的に有効。


サンプル分析で確認。


犯人は、宮廷内部にいる。


典礼局副局長が実行役で、その背後に父と宰相がいる。動機は政治的なもの。


王妃を排除して、穏健派の影響力を削ぐ。


証拠は揃いつつある。だが、まだ足りない。


実行役のケッテラーが実際に毒を混入している現場を押さえなければ、誰も捕まえられない。


そして、もう一つ、重大な問題がある。


前世で起きた「王妃暗殺未遂事件」。慢性的な微量投与とは別に、決定的な一撃が放たれる瞬間がある。


前世のリゼットは、その事件の犯人として逮捕され、処刑された。


事件は、いつ起きるのか。


前世の記憶を辿る必要がある。


---


夜、ベッドに座り、目を閉じた。


前世の記憶の海に、潜る。


処刑台。灰色の空。


群衆の声。首の後ろの冷たさ。


その前日を、思い出す。


逮捕された日。衛兵が部屋に踏み込んできた日。


「王妃暗殺未遂の容疑で」と告げられた日。


その前の週を、思い出す。


王宮で晩餐会があった。秋の晩餐会。


紅葉の季節。王族と貴族が集まる、年に一度の大規模な宴席。


あの晩餐会の夜に、王妃が倒れた。


呼吸困難。意識不明。


侍医団が駆けつけたが、手の施しようがなかった。王妃の部屋から、甘い花の匂いが漂っていた。


死の香が、大量に散布されていた。


慢性的な微量投与で弱らせた体に、致死量の死の香を一気に浴びせる。二段階の暗殺計画。


そして、犯人として名指されたのは、リゼット・ヴァレンシア。宮廷に出入りする公爵家の令嬢。


毒の知識を持ち、王妃の近くにいた少女。


罪を着せるのに、最適な人物だった。


目を開けた。


手が、震えていた。冷たい汗が、背中を流れている。


秋の晩餐会。


今は五月。秋まで、あと四ヶ月。


四ヶ月の猶予がある。前世と同じ時期に事件が起きるとすれば。


だが、今世では、状況が前世と大きく変わっている。王妃の治療が進んでいる。


エレノアとの接触がある。セドリックとの同盟がある。


犯人側も、計画を前倒しにする可能性がある。


時間が、ない。


紙片の最後に書いた。


——王妃暗殺未遂事件:前世では秋の晩餐会の夜に発生。今世での推定時期は九月〜十月。


——防衛計画の策定が急務。

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