表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
毒花令嬢は二度目の人生で復讐を選ばない  作者: 黒豆子犬


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/17

第3話 毒を噛み砕く

 三日目の夕食に、それは出た。


 見た目は普通の鶏肉の煮込みだった。じゃがいもと人参、香草を散らしたソースが皿の上で湯気を立てている。前世の記憶がなければ、何の疑いもなく口にしていただろう。


 だが、匂いが違う。

 ソースの中に、ほんの微かに、青い苦みが混じっている。鼻腔の奥を刺す、金属的な酸味。


 鉛白。

 正確には、塩基性炭酸鉛を極少量、ソースに溶かしてある。


 前世では、この最初の「試験」に気づかなかった。味覚が未熟な子供の舌では感知できない程度の量で、数日かけて蓄積させる。急性症状は出ない。ただ、身体が徐々に鉛に慣れていく。父はそうやって、私の体を毒に適応させていった。


 向かいの席で、父が静かにワインを傾けている。視線は手元の書類に落ちているが、私のことを見ていないわけではない。この男は、視界の端で全てを観察する。


 食べなければ、不自然だ。

 拒めば、何かに気づいたことを悟られる。


 匙を手に取った。


「いただきます」


 煮込みを一口、含む。

 舌の上に広がるのは、鶏の旨味と香草の風味。そして——舌の付け根に残る、微かな渋み。やはり鉛白だ。量はごく少ない。前世の最初の投与と同じ。


 飲み込んだ。


 大丈夫。この量なら、今夜のうちに対処できる。


 食事を終え、父に「ごちそうさまでした」と告げて席を立つ。廊下を歩く足取りは平静を保つ。部屋の扉を閉めてから、私は小さく息を吐いた。


 時間がない。

 吸収が始まる前に、体の外に出す。


 洗面台の前でかがみ込み、喉の奥に指を入れる。七歳の小さな胃が収縮して、食事の大半を戻した。何度も繰り返す。涙と鼻水が顔を伝い、洗面台の白い陶器が汚れた。

 みっともない姿だった。

 けれど、前世の私は——この「みっともなさ」すら知らないまま、毒を受け入れ続けた。


 吐き終えてから、口を漱ぐ。次に必要なのは、体内に残った分の中和だ。


 昨日のうちに準備しておいた。

 枕の下から、小さな布包みを取り出す。中身は三種類の解毒薬。庭の隅で摘んだ草や、屋敷の備品から密かにくすねたものだ。


 牛乳薊の種子。本来は砕いて煎じるものだが、今は白湯に浸して成分を抽出するしかない。

 活性炭の代わりに、樫の木炭を細かく砕いたもの。消化管内の鉛イオンを吸着する。

 そして、少量の硫黄粉。鉛と結合して不溶性の硫化鉛を形成し、排泄を促す。


 前世で人を殺すために覚えた知識が、自分を守るために使われている。皮肉だった。


 木炭を水に溶かして飲む。口の中がざらつく。硫黄粉は微量を白湯に混ぜる。味は最悪だが、我慢する。最後に牛乳薊の浸出液。ひどく苦いが、これが一番大事だ。


 全てを飲み終えた頃には、額に汗が滲んでいた。

 ベッドに横たわる。天井が、ゆっくりと回っている。


 吐き気がまた込み上げてきたが、今度は堪えた。薬草が体内で働く時間が必要だ。


 目を閉じると、処刑台の記憶が蘇りかけた。刃の音、冷たさ、群衆の怒号——。

 拳を握って、振り払う。


 あれは、終わったことだ。

 今の私は、あの断頭台には立たない。


 朝が来た。


 鏡で自分の顔を確認する。顔色は悪くない。目の下に僅かな隈があるが、子供なら寝不足で済む。

 身体の芯に、鈍い疲労感が残っている。完全に除去できたわけではない。微量の鉛は血中に残っているだろう。だが、蓄積を防ぐことはできた。


 食堂に向かう。

 父は、昨日と同じ席に座っていた。書類を広げ、朝食の皿には手をつけていない。


 私が席に着くと、灰色の瞳がちらりとこちらを見た。

 何かを探るような、品定めするような視線。


「おはようございます、お父様」


「……体調はどうだ」


 初めて、体調を聞かれた。

 前世では、こんな質問をされた記憶がない。あの頃の父は、私が毒に適応していく過程を、黙って観察しているだけだった。


「とても元気です。昨日のお食事、美味しゅうございました」


 笑顔を作る。七歳の無邪気さを装って。


 父は数秒、私の顔を見つめていた。

 それから、静かに視線を書類に戻した。


「そうか」


 それだけだった。

 だが、私には分かる。

 今朝の父は、何かを確認している。鉛白の初回投与の翌朝に、七歳の子供がどんな顔をしているか。食欲はあるか。目に濁りはないか。


 答え合わせをしているのだ。

 そして私は、その答案に「異常なし」と書いて提出した。


 パンを千切り、口に運ぶ。今日の朝食には、毒は入っていなかった。最初の一服は、間隔を空けて効果を観測するのが、父の流儀だ。前世で学んだ。


 食事を終えて、席を立つ。


「お父様」


 振り返って、一言だけ加えた。


「今日の課題も、楽しみにしています」


 父の目が、僅かに見開かれた。

 七歳の子供が「毒の授業」を楽しみにしている。そのことに、この男は——喜んでいるのか、それとも警戒しているのか。

 どちらでも構わない。

 私が従順な生徒を演じている限り、父は私を「順調に育っている道具」として扱う。その隙に、私は自分の武器を育てる。


 部屋に戻り、枕の下の布包みを確認した。

 牛乳薊の種子は、あと三回分。木炭は十分にある。硫黄粉が心許ない。


 庭に出よう。

 荒れた花壇の土を掘り返して、次の準備を始めなければ。


 手のひらを開く。

 小さな手の中に、乾いた薬草の欠片が一つ、残っていた。


 この手は、もう毒を盛るためには使わない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ