表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
毒花令嬢は二度目の人生で復讐を選ばない  作者: 黒豆子犬
2章 社交界の毒と蜜

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/33

第29話 王妃の目覚め

薬草茶の処方を始めて三週間が経った。


週に二回の納品を続けている。毎回、西庭園の東屋で王妃の目の前で茶を淹れ、まず自分が飲み、それから王妃に差し出す。


手順は変えない。信頼は、手順の一貫性から生まれる。


王妃の体に、変化が現れ始めていた。


「リゼット。今朝——朝食の味が、少しだけ分かったの」


東屋のテーブル越しに、王妃がそう言った。


「味覚が戻ってきましたか」


「全部ではないわ。パンの味は分からない。でも——バターの塩気と、苺ジャムの酸味は感じた。ほんの少しだけど」


塩味と酸味。味覚の回復は、刺激の強い味から戻る傾向がある。


甘味と旨味はまだ先だろう。だが、回復の兆候が出ていること自体が重要だった。


牛乳薊の肝機能強化が、死の香の毒素の排出を促し始めている。完全な解毒ではない。


毒の投与が続いている限り、体内の毒素をゼロにすることはできない。だが、排出速度が投与速度を上回れば——症状は改善に向かう。


「陛下。もう少し続けましょう。味覚が戻ってくるなら、嗅覚の異常も改善する可能性があります」


「あの甘い匂い?」


「はい。あの匂いが——お体の不調の原因と関係しているかもしれません」


直接的には言わなかった。「毒を盛られている」とは。


まだ、そこまでは踏み込めない。王妃が動揺すれば、周囲に悟られる。


毒の投与者が警戒して手段を変える。


段階を踏む。まず症状を改善し、王妃の体力を回復させる。


その上で、真相を伝える。


---


侍医長カスパールは、不機嫌だった。


王妃の症状が改善し始めたことで、カスパールの立場は微妙になっていた。二年間治せなかった症状が、八歳の少女の薬草茶で改善している。


それは侍医長の面目を——どころか、存在意義を揺るがすものだった。


「ヴァレンシアの嬢ちゃん」


西庭園から医務局の前を通りかかったとき、カスパールが廊下に立っていた。恰幅のいい体を揺らし、白い髭を撫でながら、こちらを見下ろしていた。


「侍医長殿」


「王妃陛下のご機嫌がよろしいそうだな。お前の茶のおかげだと」


「恐れ入ります」


「一つ聞く。お前の処方に、何が入っている」


「牛乳薊の抽出液、ウラル甘草の煎じ液、活性炭の微粉末。以上です」


「それだけか」


「はい。成分表をお渡しすることもできます」


カスパールの目が、鋭くなった。


「嬢ちゃん。お前の処方が効いているのは認める。だが——何が起きているか、お前には分かっているのか」


「何が——」


「王妃陛下のご病状が改善すれば、喜ぶ者もいるが、困る者もいる。宮廷は——そういう場所だ」


カスパールの声が、低くなっていた。


この男は——知っている。


王妃の病が自然のものではないことを。誰かが意図的に病ませていることを。


知っていて——手を出せずにいる。


「侍医長殿は——」


「余計なことは言うな。老人の独り言だ」


カスパールが背を向けて歩き去った。白衣の背中が、廊下の奥に消えていく。


あの男は、味方にも敵にもなりうる。今の段階では——見守ることしかできない。


ただ、完全な無関心ではなかった。「困る者もいる」と警告してくれたのは、微かな善意か、それとも自分自身の保身か。


---


王妃の改善は、宮廷の中で少しずつ話題になり始めていた。


サロンで、ヘルムガルト夫人が言った。


「最近、王妃陛下のお顔色がよろしいとか。ヴァレンシア家のお嬢様の薬草茶のおかげですって?」


銀髪の宰相夫人の目は、穏やかに笑っていた。だが、穏やかさの裏に情報収集の意図が透けていた。


「わずかな改善に過ぎません。まだまだこれからです」


「ご謙遜を。八歳の宮廷薬師なんて、前代未聞ですわ。お父上もお喜びでしょう」


父。


その名前が出た瞬間、背中を冷たいものが走った。


父は——まだ、何も言っていない。宮廷薬師見習いの任命について、父から直接のコメントはなかった。


それが、逆に怖い。喜んでいるのか、警戒しているのか。


沈黙の裏で、何を考えているのか。


---


三日後、王妃から呼び出しがあった。


いつもの東屋ではなく、王妃の私室だった。侍女に案内されて奥の部屋に入ると、王妃が寝台の端に座っていた。


表情が、いつもと違っていた。嬉しそうだった。


目に光があり、頬に血の色がある。


「リゼット。今日は特別な報告があるの」


「何でしょう」


「昨日——歩いたの。庭を。一人で」


「一人で——」


「侍女を断って、自分の足で。東屋まで。往復で三百歩。息は切れたけれど——歩けた」


三百歩。


二週間前まで、王妃は五十歩で休憩が必要だった。それが三百歩に伸びている。


体力が回復している。


「陛下——」


「嬉しいの。こんなに体が動くのは、もう何ヶ月ぶりか分からないわ。セドリックに話したら、あの子——」


王妃の声が、詰まった。


「あの子が、泣いたの」


セドリックが泣いた。あの氷のような表情の少年が。


「母上が歩いたと聞いて——黙って、じっと立っていて、それから——涙がぽろっと」


王妃の目からも、涙が溢れていた。


「あの子が泣くのを見たのは、三歳の頃以来よ」


私も、泣きそうだった。


だが、泣くわけにはいかなかった。薬師は泣かない。


患者の前では。


「陛下。改善は続いています。ですが——」


「ですが?」


「油断はできません。お体の回復を——快く思わない方が、宮廷にはいるかもしれません」


王妃の表情が、わずかに曇った。


「分かっているわ。——カスパールにも、似たようなことを言われた」


カスパールが王妃にも警告していた。あの男は、やはり何かを知っている。


「陛下。今後、薬草茶の処方を少し変えます。解毒の成分を強化しつつ、体力の回復を促す配合に切り替えます」


「任せるわ、リゼット。もう——あなたを信じているから」


王妃の手が、テーブル越しに私の手を握った。


前回より、握る力が強くなっていた。


---


帰り道、セドリックが門まで来ていた。


暗い紫の瞳が——少しだけ、赤かった。


「泣いたの」


「……誰から聞いた」


「王妃陛下から」


「母上は余計なことを」


セドリックが視線を逸らした。耳の先が赤い。


「泣いて、いいと思うよ」


「……」


「お母上が歩けるようになったんだから。嬉しいでしょう」


「……うるさい」


セドリックが足早に去っていった。


その背中が——いつもより少し軽く見えた。


---


屋敷に戻り、紙片に書いた。


——王妃の改善報告。味覚の部分回復、歩行距離の増加(300歩)。


——薬草茶の効果が継続している。死の香の毒素の排出が投与速度を上回り始めた可能性。


——侍医長カスパール:状況を把握している。直接的な協力はないが、敵ではない。


——リスク:改善が目立ちすぎると、投与者が対応を変える。処方の変更を急ぐ。


——セドリック:泣いた。


最後の一行は、記録として必要ない情報だった。


でも、書いておきたかった。あの少年が泣いたこと。


母親の回復を聞いて涙をこぼしたこと。


それは——この戦いが正しい方向に進んでいる証だから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ