第24話 王妃の庭
セドリックが手筈を整えてくれた。
王宮の西庭園。王妃アーデルハイトが体調の良い日に散歩をする場所だ。
限られた者しか入れない区画で、一般の貴族が立ち入るには王族からの招待がいる。
招待状は、セドリックの名義で届いた。
『母上がヴァレンシア家のお嬢様にお会いしたいと仰っている。週末の午後、西庭園でお茶をご一緒にどうかと。
セドリック』
カミラが封書を読み上げたとき、目を丸くしていた。
「王妃陛下が——お嬢様に?」
「セドリック殿下の口添えだと思う」
「でも、王妃陛下から直接のお招きですわ。これは大変な名誉で——」
「うん。大変な名誉で、大変な賭けでもある」
カミラが首を傾げた。
「賭け?」
「行けば分かるよ」
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西庭園は、王宮の他の庭園とは空気が違っていた。
石畳の小道が、低い生垣の間を縫っている。薔薇ではなく、薬草が植えられていた。
ラベンダー、カモミール、タイム、セージ。庭園というより、薬草園に近い構成だ。
驚いた。王妃の庭園に、薬草が植えてある。
「セドリック殿下」
小道の先に、セドリックが立っていた。黒い上着に白いシャツ。
いつもと変わらない暗い表情だが、今日は目の下の隈が薄い。少しは眠れているらしい。
「来たか」
「お招きに感謝いたします」
「堅い挨拶はいい。——母上は東屋にいる。体調は——悪くない日だ」
「悪くない日」
「良い日とは言えない。でも、歩ける日だ」
セドリックの声が、一瞬だけ揺れた。母親の体調を「歩ける日」と「歩けない日」で分類している。
それが日常になっている少年の声だった。
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東屋は白い石造りで、屋根に薔薇が絡んでいた。テーブルの上に茶器が並び、侍女が二人控えている。
王妃アーデルハイトが、椅子に座っていた。
痩せていた。舞踏会で遠くから見たときより、近くで見るとその痩身が際立った。
頬の肉が落ち、鎖骨が浮き出ている。ドレスの襟元から覗く首は細く、皮膚の下に青い血管が透けていた。
だが、目は生きていた。
深い青の瞳。セドリックと似た色だが、セドリックの目が氷だとすれば、王妃の目は冬の湖だった。
凍っているように見えて、その下に深い水が動いている。
「ヴァレンシア家のお嬢様ね」
声は、予想より力があった。
「リゼット・ヴァレンシアと申します。お目通りの栄誉を賜り、深く感謝申し上げます」
「堅苦しいのは好きではないの。座って」
王妃が微笑んだ。その微笑に、作為がなかった。
疲弊した体から発せられる、穏やかな光。王妃という地位ではなく、個人としての温度がある笑顔だった。
向かいの椅子に座った。セドリックは少し離れた場所に立ち、庭園の薬草を眺めている。
距離を取って、会話を見守るつもりらしい。
「セドリックから聞いていますわ。薬草に詳しいのですって」
「少しだけですが」
「少しだけ? あの子が人の能力を認めるのは珍しいことよ。『少しだけ』で済むなら、わざわざ私に会わせたりしないわ」
王妃の観察力は、セドリック以上かもしれない。穏やかな言葉の中に、核心を突く鋭さがあった。
「——恐れ入ります」
「この庭のことは、気づいた?」
「はい。薬草が植えてあります。ラベンダー、カモミール、タイム、セージ。配置が薬効を考慮した区分けになっています。鎮静系と消化系が分けてあって、風通しの良い場所に防虫効果のあるタイムを——」
言いかけて、止まった。喋りすぎている。
王妃が目を細めた。
「続けて」
「……失礼いたしました。つい、興が乗ってしまいまして」
「いいえ。嬉しいの。この庭を見て、薬草の配置に気づいた人は初めてよ。——実はね、この庭は私が設計したの。二十年前、王宮に嫁いできたばかりの頃に」
王妃自身が。
「陛下は——薬草にお詳しいのですか」
「詳しい、とは言えないわ。嫁ぐ前、故郷の修道院で少しだけ学んだ程度。でも、植物と向き合う時間が好きだった。この庭だけは、私の自由にさせてもらっているの」
王妃の目が、庭園の緑を見つめていた。遠い日の記憶を辿るような視線だった。
「リゼット。あなたのお父上は——」
王妃の声のトーンが、微かに変わった。
「はい」
「ヴァレンシア公爵は、植物に詳しい方でしょう。——別の意味で」
心臓が、跳ねた。
王妃は知っている。少なくとも、ヴァレンシア家の「事業」の一端を知っている。
毒の家系だということを。
「陛下——」
「怖がらなくていいの。あなたを責めているのではないわ。親の罪を子に問うほど、私は愚かではありません」
王妃の声が、柔らかかった。断罪ではなく、理解だった。
「ただ——知っておきたかったの。あなたが、お父上と同じ道を歩いているのか。それとも」
それとも。
その先を、王妃は言わなかった。待っている。
私の言葉を。
セドリックが、庭園の隅で背を向けたまま立っていた。動かない。
だが、耳は確実にこちらに向いている。
「陛下。私は——薬を作りたい人間です。毒ではなく」
声が、自分の予想より小さかった。八歳の声帯は、感情に揺さぶられると制御が難しくなる。
「薬草を育てて、処方を考えて、人の体を楽にする方法を探しています。それが——私のやりたいことです」
王妃がじっと見つめていた。深い青の瞳が、私の目の奥を覗いている。
嘘を探しているのか。真意を量っているのか。
長い沈黙の後、王妃が口を開いた。
「いい目をしているわね」
その一言に、力があった。
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茶を飲みながら、王妃の体調について聞いた。
「もう二年になります。最初は倦怠感だけだったの。それが——味が分からなくなってきて。食事が辛い。何を食べても、紙を噛んでいるようで」
味覚の喪失。
死の香の第二段階の症状と一致する。
心臓が冷えていく。
「嗅覚に——異常はありませんか。甘い匂いが常にするとか」
「そう。よく分かるわね。半年ほど前から、花の匂いがするの。部屋にいても、廊下を歩いていても。甘い花の匂いが、いつも鼻の奥に」
第一段階の症状が、半年以上前から出ている。そして第二段階に移行している。
王妃は、死の香を慢性的に投与されている。
膝の上で、手を握りしめた。爪が掌に食い込む。
「陛下。お許しをいただけるなら——私に、陛下のお体を診させていただけませんか」
王妃が驚いた顔をした。
「あなたが? 八歳のお嬢様が?」
「薬草の処方だけです。医師の領分は侵しません。お体の状態に合わせた薬草茶を、お作りしたいのです」
王妃が、セドリックの方を見た。
セドリックが振り返った。暗い紫の瞳が、母と私を交互に見た。
「——信じてもいいと思う」
セドリックの声は、普段と同じ温度だった。だが、その一言に込められた重みは、十歳の少年のものではなかった。
王妃が、私に向き直った。
「分かったわ。リゼット。あなたに——任せてみます」
任せてみる。
その言葉の裏には、「もう他に頼れるものがない」という意味が透けていた。宮廷医師は匙を投げかけ、聖女の奇跡も効果がなく、体は日に日に衰えていく。
八歳の公爵令嬢に賭けるほど、王妃は追い詰められている。
「必ず——お力になります」
声が震えた。
カミラがそばにいたら、「お嬢様、お顔が硬い」と言っただろう。硬いのではない。
怖いのだ。
前世で守れなかったものを、今世で守ろうとしている。失敗すれば、同じ結末が待っている。
王妃は死に、リゼットは処刑される。
だが——守ると言った。セドリックのバルコニーで、「全部」と言った。
嘘にはしない。
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帰りの馬車で、カミラが言った。
「お嬢様、王妃陛下は——お体が、よくないのですね」
「うん」
「お嬢様に何かできるのですか」
「分からない。でも——やってみる」
カミラが私の手を取った。温かい手だった。
「お嬢様のお薬は、ユーリ様を治しました。きっと、王妃陛下にも」
カミラの信頼は、根拠のない信頼だった。「お嬢様ならできる」と、ただそう信じている。
ユーリの治療と、王妃の治療は、難度がまるで違う。ユーリは父による毒の投与を止めれば快方に向かった。
王妃は、毒の投与源を特定して止めた上で、すでに蓄積した毒素の解毒をしなければならない。死の香の解毒法は、まだ確立されていない。
だが、カミラの温かい手を振りほどく気にはなれなかった。
「ありがとう、カミラ。頑張るよ」
「はい。——お嬢様なら、大丈夫ですわ」
大丈夫かどうかは分からない。だが、一歩を踏み出した。
王宮の門をくぐるとき、振り返った。西庭園の方角に、王妃の東屋の白い屋根が見えた。
あの屋根の下で、薬草を愛する一人の女性が病と闘っている。
あの人を、殺させない。
拳を握った。爪が掌に食い込んだ。
痛みが、決意を固めてくれた。




