第23話 偽りの手
セドリックからの返事は、翌日の昼に届いた。
『白根草の件、理解した。入手経路は南方産のものが宮廷医務局を通じて流通している。
宮廷医務局の薬品庫にある在庫記録と、実際の消費量を照合すれば、横流しの有無が分かるかもしれない。母上の症状が一時的に改善して戻る、という波があるのも気になっている。
関連があるかもしれない。S』
王妃の症状に波がある。一時的に改善して、また悪化する。
死の香の慢性微量投与だとすれば、投与のタイミングに波がある可能性がある。投与が中断すれば症状が改善し、再開すれば悪化する。
だが、エレノアの「治癒」が白根草によるものだとすると、別の可能性も浮かぶ。王妃に対してもエレノアが「奇跡」を施しているなら、白根草の筋弛緩効果で一時的に症状が緩和され、効果が切れれば元に戻る。
つまり——エレノアの奇跡そのものが、「改善と悪化の波」の原因になっている可能性。
治療しているふりをしながら、治療していない。治っていないのに治ったように見せている。
もし意図的にやっているなら、これほど残酷な構図はない。
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証拠が要る。推測だけでは動けない。
白根草の痕跡を直接確認する方法を考えた。
白根草の成分は、経皮吸収された後、六時間以内に汗腺から微量の代謝物が排出される。この代謝物は、特定の試薬と反応して青紫色に変色する。
試薬の材料は——牛乳薊の抽出液と、鉄粉。どちらも薬草園にある。
翌日、薬草園で試薬を作った。
牛乳薊の葉を石臼で潰し、布で濾す。抽出液は薄い黄色だ。
そこに微量の鉄粉を加えてかき混ぜると、液体が透明に近い淡黄色に変わった。この液を、白根草の代謝物に触れさせれば、青紫に変わるはずだ。
小瓶に詰めた。
問題は、この試薬をどうやって伯爵夫人に使うかだった。直接会う機会が必要で、かつ伯爵夫人の皮膚——手か腕に試薬を触れさせなければならない。
「カミラ」
「はい、お嬢様」
「ブランケンハイム伯爵夫人のお見舞いに行きたいの。薬草茶を持って」
「お見舞い——ですか?」
「サロンで聖女様に治療していただいたでしょう。あの後のお体の調子を、お伺いしたいの」
カミラが少し考えてから、うなずいた。
「公爵家の令嬢がお見舞いに伺うのは、礼儀に適っていますわ。お茶を持参すれば、なおのこと」
「ありがとう、カミラ。明日の午前中に、伺う手配をしてくれる?」
「かしこまりました」
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ブランケンハイム伯爵邸は、王都の東区にあった。
石造りの落ち着いた屋敷。庭に薔薇が咲いていて、門の脇に古い楡の木が立っている。
公爵家ほどの規模はないが、手入れが行き届いていた。
応接間に通された。伯爵夫人は車椅子のままだった。
車椅子。
足は——動いていなかった。
「わざわざお越しいただいて、恐縮ですわ。ヴァレンシア家のお嬢様に」
伯爵夫人の声は穏やかだったが、目の下に疲れの色があった。サロンのときより、顔色が悪い。
「お体の具合はいかがですか。サロンで聖女様に治療していただいた後——」
「ああ——」
伯爵夫人の表情が、一瞬だけ揺れた。
「あの日は、確かに足が動きました。膝が上がったのです。五年ぶりに。でも——翌日の朝には、また」
「また動かなくなった」
「ええ。聖女様のお力が、私には足りなかったのかもしれません。信仰が——もっと深ければ」
伯爵夫人が自分を責めていた。奇跡が続かなかったのは、自分の信仰が足りないからだと。
エレノアが計算しているとは限らない。だが、結果として——患者が自分を責める構図が出来上がっている。
治らないのは聖女のせいではなく、信仰のせい。完璧な免責装置だ。
「伯爵夫人。お体に失礼ですが——お手を拝見してもよろしいですか」
「手を?」
「薬草の心得が少しございまして。お手の温度と脈から、お体の状態が分かることがあります」
嘘ではない。脈診は薬師の基本技能だ。
ただし、目的は脈ではなく、別にあった。
伯爵夫人が右手を差し出した。
手を取った。冷たい手だった。
脈は弱く、やや遅い。血行不良の兆候。
左手で、そっとポケットから薄い布切れを取り出した。試薬を染み込ませた布だ。
伯爵夫人の手首の内側に、脈を取るふりをしながら布を当てた。
数秒間、じっと待った。
布を離した。
伯爵夫人に気づかれないよう、布をポケットに戻した。
「脈は少し弱いですが、悪くはありません。薬草茶をお持ちしましたので、よろしければお試しくださいませ。カモミールと蜂蜜の茶で、血の巡りが良くなります」
「ありがとうございます。お優しいお嬢様ね」
伯爵夫人の微笑は温かかった。八歳の公爵令嬢が薬草茶を持って見舞いに来たことが、純粋に嬉しかったのだろう。
申し訳なさが胸の奥に小さく刺さった。
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馬車の中で、布を広げた。
カミラが隣に座っている。布を見せるわけにはいかない。
カミラの視線が窓の外に向いている隙に、ポケットの中で布の色を指先で確認しようとした。
無理だった。指先では色は分からない。
「カミラ、少しだけ——目を閉じていてくれる?」
「え? どうしてですか?」
「おまじない。カミラに幸運のおまじないをかけたいの。目を閉じて、十数えて」
「おまじないですか? お嬢様がそんなことを——」
「いいから」
カミラが怪訝な顔をしながらも、目を閉じた。
「いち、に、さん——」
その間に、布をポケットから出して光にかざした。
青紫。
薄い、だが確かな青紫色が、布の表面に浮かんでいた。
白根草の代謝物の反応だ。サロンから二日経過した後でも、微量の代謝物が伯爵夫人の皮膚から検出された。
エレノアの「奇跡」は、白根草の経皮投与だった。推測ではない。
証拠だ。
「——はち、きゅう、じゅう。いいですか、お嬢様?」
「うん。ありがとう、カミラ。おまじない完了」
「何のおまじないだったんですか」
「秘密」
カミラが膨れた。可愛い顔だった。
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屋敷に戻り、部屋に鍵をかけた。
紙片に書いた。
——ブランケンハイム伯爵夫人の手首から、白根草代謝物を検出。——試薬反応:青紫(陽性)。
サロンから48時間後に検出。——エレノアの「奇跡」は白根草濃縮液の経皮投与で確定。
——効果は一時的(24時間以内に消失)。本質的な治療効果はなし。
——疑問:エレノアはこの偽装を自覚しているか。自発的か、強制か。
——疑問:白根草の濃縮液の供給元は誰か。
最後の疑問が、最も重要だった。
白根草の濃縮液。高純度の精製品。
十二歳の少女が独力で作れるものではない。原料の調達、精製の技術、濃度の管理。
どれも専門的な知識と設備を必要とする。
供給元の候補。
宮廷医務局——セドリックが在庫記録を調べると言っていた。ここから横流しされている可能性がある。
コルサ商会——薬物の裏流通に関与している商会。白根草の精製品を扱っていてもおかしくない。
父——ヴァレンシア公爵。毒物の専門家であり、コルサ商会の裏顧客。
白根草の精製技術は、父の知識の範囲内だ。
父が聖女に薬を供給している。その仮説が正しいなら、父は聖女エレノアを道具として使っていることになる。
聖女の「奇跡」を裏で操り、教会と宮廷の両方に影響力を行使する。
毒を売り、奇跡も売る。
父の手が、想像より遠くまで伸びていた。
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夜、ベッドの中で天井を見ていた。
エレノアの顔が浮かんだ。碧い瞳。
金の髪。穏やかな微笑。
あの笑顔の裏側に、何があるのか。
前世のエレノアの記憶をたどった。処刑台に立ったとき、群衆の中にエレノアの姿を探した。
見つからなかった。聖女は処刑に立ち会わなかった。
あのとき、エレノアはどこにいたのか。何を思っていたのか。
知りたいと思った。
敵を知ることは、戦いの基本だ。だが、エレノアに対して感じているこの衝動は、敵への警戒だけではなかった。
もっと別の何か。前世で一度も言葉を交わさなかった相手に対する、遅すぎた好奇心のようなもの。
白根草の匂いが、まだ指先に残っている気がした。
手を洗った。三回洗った。
匂いは消えた。
眠りについたのは、夜中の二時を回ってからだった。




