表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
毒花令嬢は二度目の人生で復讐を選ばない  作者: 黒豆子犬
1章 毒花の目覚め

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/77

第17話 解毒の夜

冬至の三日前の夜に、それをやった。


計画は二週間前から練っていた。死の香の解毒法は確立されていない。


文献にもない。セドリックも知らない。


王宮の医師団はこの毒の存在すら把握していない。


なら、自分で作るしかない。


解毒剤を作るには、毒の性質を理解する必要がある。毒の性質を理解するには、毒を手に入れる必要がある。


死の香の完成品は来春まで届かないが、原材料の一つ——夜来花の乾燥花弁なら、父の地下調合室の棚にあるかもしれない。


深夜、屋敷が寝静まった時間に、地下へ降りた。燭台は持たなかった。


蝋燭の灯りは目立つ。代わりに、壁を手で辿りながら歩いた。


この屋敷で七年間暮らした足が、暗闇でも階段の段数を覚えている。十四段。


踊り場で右に曲がり、さらに八段。地下の通路に出る。


調合室の扉に鍵はかかっていなかった。父は使用人にこの部屋の存在を教えていないから、施錠する必要がないのだ。


知っている人間は、父と私と——おそらくクラウスだけ。


扉を開けると、薬品と蝋の匂いが鼻を突いた。ここで初めて、小さな蝋燭に火をつけた。


炎が揺れ、棚の瓶に光が走った。


番号で管理された瓶が並んでいる。ラベルの番号は父にしか分からない体系だが、前世のリゼットは十二歳から十六歳まで、この部屋で父の手伝いをしていた。


番号の法則は——不完全ながら、分かる。


001から099は鉱物系。100から199は植物系。


200以降は合成物。植物系の棚を探した。


南方の植物は150番台に分類されていることが多い。


棚を端から確認していく。153、154、155——


157番の瓶に、黒い粉末が入っていた。蓋を開け、匂いを嗅いだ。


甘い。花のような甘さ。


だが、花そのものではない。発酵したような、湿った土のような底の匂いがある。


これだ。夜来花の乾燥花弁を粉末にしたもの。


死の香の原材料の一つ。菌糸と合わせる前の、単体の状態。


単体なら毒性は低い。だが、ゼロではない。


高濃度で吸入すれば、軽度の嗅覚異常を引き起こす可能性がある。


瓶から少量を紙に取り、ポケットに入れた。瓶の残量が減ったことを父が気づかない程度の量。


調合室を出て、扉を閉め、階段を上った。暗闇の中を、壁を手で辿りながら。


---


自分の部屋に戻った。机の上に、準備した道具を並べた。


乳鉢。小瓶三本。


蒸留水。ガーゼ。


そして、薬草園から採取した素材。牛乳薊の種子粉末。


活性炭。カモミール精油。


ウラル甘草の根の煎じ液——これはセドリックからもらった甘草を乾燥させて煎じたものだ。


考えていた。死の香は呼吸器の粘膜から吸収される。


体内に入った毒の気は血に混じって頭へ昇り、まず鼻の感覚を狂わせる。解毒には、三つのアプローチが考えられる。


一つ目は、吸収の遮断。粘膜表面に保護層を形成し、毒素の侵入を防ぐ。


二つ目は、体内での毒素の分解促進。肝臓の解毒機能を活性化し、毒素を分解する。


三つ目は、神経系への到達阻害。毒素が嗅覚神経に結合するのを別の物質で阻害する。


完璧な解毒剤を作るには、三つすべてが必要だ。だが、今の手持ちの知識と素材では、二つ目——肝臓の解毒機能の活性化——が最も現実的だった。


牛乳薊の成分は、肝臓の働きを蘇らせる。活性炭は腹の中の毒を吸い取る。


ウラル甘草は熱や腫れを引き、肝臓を助ける力がある。


これらを組み合わせて、死の香の体内分解を加速させる解毒薬が作れないか。


問題は、検証だ。試験管の中で反応を見ることはできても、人体での効果は試さなければ分からない。


試す相手は——自分しかいない。


---


乳鉢で牛乳薊の種子を潰した。細かい粉末になるまで、十分間。


指が白くなった。活性炭を加え、蒸留水で溶いた。


黒い液体ができる。甘草の煎じ液を数滴加えると、色がわずかに茶色に変わった。


解毒薬の試作品。効果は未知数。


副作用も未知数。だが、死の香そのものを吸入するよりは安全なはずだ。


まず、解毒薬を飲む。次に、夜来花の粉末を微量だけ吸入する。


嗅覚に異常が出るかどうかを確認する。出なければ、解毒薬が効いている可能性がある。


出れば——解毒薬は無効だ。


カミラの顔が浮かんだ。


 「お嬢様の『大丈夫』は信用できません」と笑ったあの顔。


ユーリの顔が浮かんだ。


 「おねえちゃん」と呼ぶ声。


セドリックの暗い瞳が浮かんだ。


全員に黙って、一人でやる。知らせたら、止められる。


止められたら、解毒法の開発が進まない。死の香が完成する前に、対抗手段を持っておかなければ。


解毒薬を飲んだ。苦かった。


舌の奥が痺れるような苦味。牛乳薊と甘草の味が混ざって、口の中が草原になったような気分だった。


三十分、待った。解毒薬が体に吸収される時間。


その間、ベッドの縁に座って天井を見ていた。木目が十七本。


数え慣れた天井。


紙の上に、夜来花の粉末を広げた。爪の先ほどの量。


黒い粉が、蝋燭の光を吸い込んで影のように見えた。


顔を近づけた。


吸い込んだ。


最初の数秒は、何も感じなかった。鼻腔に微かな甘い匂いが通り過ぎただけだ。


十秒後。胸の奥が詰まったような感覚があった。


呼吸が一瞬だけ浅くなり、すぐに戻った。


三十秒後。嗅覚に変化はない。


蝋燭の蝋の匂い、木の匂い、自分の髪の匂い。すべて正常に感じ取れる。


一分後。甘い花の匂いが——来なかった。


五分後。何も起きなかった。


十分後。体に異常はない。


嗅覚も味覚も正常。心拍は少し速いが、緊張のせいだろう。


解毒薬が効いたのか。それとも、吸入量が少なすぎて、そもそも毒性が発現しなかったのか。


判断がつかない。だが、第一回の実験としては——生きているだけで十分だ。


体から力が抜けた。ベッドに倒れ込み、天井を見上げた。


十七本の木目。呼吸が深くなっていく。


怖かった。吸い込む瞬間、指が震えていた。


前世の処刑台の記憶が、喉の奥まで迫り上がってきていた。あの甘い匂いがしたら——あの日に引き戻される。


そう思った。


来なかった。あの匂いは、来なかった。


目の奥が熱くなった。泣きそうになって、唇を噛んだ。


七歳の体は感情の制御が難しい。前世の精神年齢があっても、体の反応は年齢通りだ。


泣かない。泣いている場合ではない。


体を起こし、記録をつけた。


---


翌朝。


起きてすぐ、嗅覚の確認をした。枕元の薬草包みを嗅いだ。


カモミール、ラベンダー、ミント。すべて正常に識別できる。


朝食の味も正常だった。パンの甘み、バターの塩気、紅茶の渋み。


すべて感じ取れる。


体調に異常はない。


「お嬢様、お顔の色がとても良いですわ。ぐっすりお休みになれたんですね」


カミラがそう言った。実際には、実験の後に崩れるように眠っただけだ。


安眠とは程遠い。だが、恐怖が一つ減ったことで、体のどこかが軽くなっていたのかもしれない。


「うん。よく寝た」


嘘ではなかった。


---


三日後、セドリックに手紙を書いた。王宮への正式な訪問はすぐにはできないから、カミラ経由で王宮の使用人に託す形だ。


内容は慎重に選んだ。


『甘草の煎じ液を試しました。肝臓の負担が軽減されるようです。


牛乳薊との併用が有効かもしれません。殿下の研究にお役に立てれば幸いです。


南方の花については、引き続き調べています。リゼット』


 「南方の花」が夜来花を指すことは、セドリックなら分かるだろう。具体的な毒の名前は書けない。手紙が人の目に触れる可能性がある以上、暗号めいた表現にならざるを得ない。


返事は四日後に届いた。セドリックの筆跡は角張っていて読みやすく、文面は簡潔だった。


『甘草と牛乳薊の併用、興味深い。母上の侍医に提案してみる。


南方の花の件は新しい情報がある。次に会ったときに話す。


S』


新しい情報。グスタフ・メルツについて、何か掴んだのだろうか。


---


その夜、紙片に書いた。


——夜来花粉末の微量吸入実験、第一回完了。解毒薬(牛乳薊+活性炭+ウラル甘草)を事前投与。


——結果:嗅覚異常なし。味覚異常なし。


身体的異常なし。——解毒薬の有効性か、吸入量不足か、判断保留。


追加実験が必要。——量を増やして再試行するかどうか。


リスクと情報価値の天秤。——トラウマへの影響:吸入の瞬間に強い恐怖あり。


処刑台のフラッシュバック。だが、実験後に恐怖が軽減した。


「知ること」が恐怖を薄める。——セドリックにグスタフの新情報あり。


次回の会合で確認。


紙片を折りたたんだ。


窓の外で、雪が降っていた。本格的な降り方だった。


明日の朝には、庭が白く変わっているだろう。


薬草園の植物たちが心配だった。寒さに弱い品種には藁を被せてある。


カミラと一緒に、先週のうちに冬支度を済ませた。


春になれば、死の香の完成品が父の元に届く。それまでに、解毒法を確立しなければ。


時間は、あまりない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ