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毒花令嬢は二度目の人生で復讐を選ばない  作者: 黒豆子犬


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第10話 茶会に潜む牙

 秋の園遊会は、ジークフリートが言った通りに来た。

 離宮の庭園に張られた大きな白い天幕の下、五十人ほどの貴族の子女が集められていた。名目は「次世代の交流」。実態は、親たちの権力争いを子供に代理させる品評会だ。

 私は公爵家の紋章が入った水色のドレスを着ていた。カミラが朝から二時間かけて髪を結い上げ、小さなパールの飾りを編み込んでくれた。鏡の中の自分は、どこから見ても七歳の公爵令嬢だった。


「お嬢様、とてもお綺麗ですわ」


 カミラがそう言ったとき、彼女の目が本心からの笑みで細くなっていた。この子は人を褒めるとき、嘘がつけない。目尻が下がって、口元が少しだけ歪む癖がある。


「ありがとう、カミラ。でも、今日は楽しみに行くわけじゃないの」


「存じております」


 カミラの表情が引き締まった。彼女にはすべて話してある。王子との婚約のこと、宮廷の空気のこと。七歳の子供にしては危険すぎる情報だが、カミラに嘘をつくと決めたくはなかった。

 離宮の門をくぐると、すでに多くの馬車が並んでいた。各家の紋章が馬車の扉に描かれている。獅子、鷹、薔薇、百合。私にとっては、前世で何度も目にした顔ぶれだった。

 庭園に降りた。芝生の上に白いテーブルクロスが敷かれ、銀の食器と色とりどりの菓子が並べられている。糸杉の生垣が区画を仕切り、奥にはバラのアーチが見える。空気は秋の乾いた冷たさを帯びていた。


「——あら、ヴァレンシア家のお嬢さんですの?」


 声をかけてきたのは、紫のドレスを着た少女だった。九歳か十歳くらい。巻き毛の金髪を肩に流し、扇を手にしている。後ろに二人の令嬢を従えていた。

 顔に覚えがあった。


 フローリア・ヘルムガルト。


宰相の三女。前世の宮廷では、ジークフリートの取り巻きの中心にいた人物だ。舌が鋭く、社交辞令の形をした悪意を振りまくのが得意で、何人もの令嬢を精神的に追い詰めた。


「初めまして。リゼット・ヴァレンシアと申します」


「まあ、礼儀正しいのね。公爵家のお嬢さんって、もっと堅苦しいかと思っていましたの」


 フローリアの唇が、薄く弧を描いた。後ろの二人がくすくすと笑う。


「お父様は、お薬の研究がお得意だそうですわね」


 空気が変わった。

 「お薬」という言葉に込められた含みが、芝生の上に薄く広がった。


 毒。

 ヴァレンシア家は毒殺の家系だという噂は、貴族社会では公然の秘密だ。大人たちは表立って口にしないが、子供たちは親の言葉を真似る。「あの家の娘には近づくな」「触れると毒が移る」。


「父は薬学に関心があるようです。私はまだ子供ですので、難しいことは分かりませんが」


 にっこりと笑った。七歳の笑顔。無邪気で、少しだけ照れた表情。

 フローリアの目がわずかに揺れた。予想した反応と違ったのだろう。怯えるか、怒るか、泣くか。そのどれかを期待していた顔だ。


「あら、そう。——でも、お庭の手入れはお上手なんですってね。お花を育てているとか」


 庭の情報を知っている。どこから漏れたか。使用人経由か、クラウスか、それとも父が意図的に流したか。


「えぇ。ミントとセージを育てています。お料理に使うと、カミラが喜んでくれるの」


 嘘ではない。事実の一部だけを見せる。薬草園の本当の中身を知る人間は、カミラとユーリだけだ。


「まあ、お料理ごっこ。可愛らしいこと」


 フローリアが扇で口元を隠した。侮りの色がはっきりと浮かんでいる。

 好都合だ。

 侮られている方が、動きやすい。

 子供たちはグループに分かれ、庭園のあちこちで談笑していた。私はできるだけ目立たない位置に座り、菓子を摘みながら周囲を観察していた。


 テーブルの配置換えが行われたとき、事件が起きた。

 ジークフリートが奥のテーブルから立ち上がり、こちらに歩いてきた。


「リゼット。席を移らないか。あちらの方が風通しがいい」


 王子直々の誘い。周囲の令嬢たちの視線が、一斉にこちらに集まった。

 フローリアの顔が、一瞬だけ引きつった。

 席を移る途中、背後で小さな声が聞こえた。


「——やっぱり、毒で王子を操っているのよ」


 聞こえないふりをした。

 ジークフリートの隣に座ると、侍従が新しい茶を運んできた。今度はカモミールだった。


「馬車酔いの心配はないか?」


「今日は大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


「夏の顔合わせでは、顔色が悪かったから」


 覚えていた。あの日の些細な嘘を、この少年は記憶している。

 隣のテーブルで、フローリアが仲間の令嬢たちと何か囁き合っていた。時おりこちらに視線を送り、すぐに目を逸らす。何かを企んでいる空気が、扇の向こう側から滲み出ていた。

 その「何か」は、茶菓子の時間に発動した。


 侍従が各テーブルにデザートを配り始めた。小さなタルトレットと、フルーツの盛り合わせ。私の前に置かれた皿の上に——見慣れない紫色の実が載っていた。

 他の皿には入っていない。私の皿だけに。


 ベラドンナの実だった。


 正確には、ベラドンナによく似た園芸品種のナス科の実かもしれない。見た目はほぼ同じだ。光沢のある暗紫色の球形。直径一センチほど。知らない人間が見れば、飾り付けの一部としか思わない。

 だが、私は知っている。匂いで分かる。微かに甘い、青臭い匂い。ベラドンナの実に特有の、舌の付け根を刺激する鼻の奥を突く特有の匂い。

 食べれば、腹痛、散瞳、頻脈。死ぬことはないが、園遊会の最中に嘔吐と痙攣を起こせば、「毒花の娘は自分でも毒に当たる」と嘲笑の的になる。


 フローリアが、視界の端でこちらを窺っていた。

 冷静に皿を見下ろした。実を指で摘み上げ、光に透かすように眺めた。


「殿下」


「何だ」


「この実、ご存知ですか」


 ジークフリートが皿に目をやった。


「……ベリーの一種か?」


「ベラドンナです。狂乱の毒を含む、強い毒性を持つ有毒植物の実ですわ。食べると瞳孔が開いて、心拍が乱れます」


 声は穏やかに、だがテーブル周辺に聞こえる程度の音量で言った。

 空気が凍った。

 ジークフリートの碧い瞳が、鋭くなった。


「——誰が入れた」


 私は実を皿に戻し、何事もなかったかのように微笑んだ。


「分かりません。でも、ご安心ください。口にはしておりませんから」


 フローリアの顔が、青ざめていた。扇を握る手が小刻みに震えている。

 ジークフリートが侍従を呼び、低い声で何かを指示した。侍従の表情が引き締まり、すぐに厨房の方へ走っていった。


「リゼット」


「はい」


「よく気づいた」


「たまたま、植物には少し詳しいものですから」


「七歳で、ベラドンナを匂いで判別できるのか」


「お庭で育てていますので」


 嘘ではない。薬草園にベラドンナは植えてある。解毒剤の研究用に。

 ジークフリートが、長い間こちらを見つめていた。観察でも警戒でもない、別の色が瞳に浮かんでいた。


「面白い」


 二度目の「面白い」。前回の顔合わせでも同じ言葉を使った。この少年にとって「面白い」は、好感の表明ではなく、対象を分析カテゴリに入れるという宣言なのだろう。

 面白がられることは、注目されること。注目されることは、この場では生き残りやすくなることを意味するが、同時に、標的としての価値が上がることも意味する。

 園遊会は夕方に閉会した。


 帰り際、庭園の出口で、フローリアとすれ違った。

 彼女の顔は、もう青ざめてはいなかった。代わりに、薄く引き結ばれた唇と、伏せた目の奥に燃える何かがあった。恥をかかされた側の、静かな復讐心。

 すれ違いざまに、フローリアが囁いた。


「次は、もっと上手くやりますわ」


 私は振り返らなかった。

 前世でも、この手の嫌がらせは日常茶飯事だった。毒の知識で切り抜けることは、今の私にとって呼吸と同じくらい自然な動作だ。問題は、その「自然さ」をどこまで隠し通せるか、ということだった。

 七歳の子供がベラドンナを瞬時に識別できる。その事実を、ジークフリートは「面白い」と評した。他の大人であれば「異常」と評する。


 見せすぎた。

 少しだけ、手の内を晒しすぎた。


 帰りの馬車の中、クラウスに気づかれないよう、窓の外を見ながら考えた。

 フローリアの嫌がらせは、続くだろう。だが、彼女個人の問題としてはさほど脅威ではない。宰相の娘が公爵の娘に手を出すのは、政治的にリスクが高い。次はもっと巧妙に、証拠が残らない方法で来るはずだ。


 問題は、ジークフリートだ。


 あの少年は、私の能力に興味を持ち始めている。それが好意なのか利用価値の見積もりなのか、今の段階では判別できない。

 前世では、ジークフリートが私の毒の知識を「便利だ」と認識したのが、すべての悲劇の起点だった。便利な道具は使われ、使い終わったら捨てられる。

 同じ轍は踏まない。


 屋敷に着いた。門を入り、馬車を降りる。東館の玄関にカミラが立っていた。


「お帰りなさいませ。——お顔が少しお疲れですわ。何かありましたか?」


「ちょっとした騒ぎがあっただけ。大丈夫」


「お嬢様の『大丈夫』は、あまり信用できませんの」


 カミラが困ったように笑った。

 その笑顔を見て、張り詰めていた糸が、一本だけ緩んだ。

 ユーリの部屋を覗くと、弟は寝台の上で絵本を広げていた。私の姿を見ると、ぱっと顔を上げた。


「おねえちゃん、おかえり」


「ただいま、ユーリ。今日はお薬、飲んだ?」


「うん。にがかった」


「偉いね」


 ユーリの頬を撫でた。肌の色が、一月前とは比べものにならないほど良くなっている。血色が戻り、目の下の隈が薄れ、声に張りが出てきた。


 この子がいる。カミラがいる。

 王宮で何があろうと、守るものがここにある。


 自分の部屋に戻り、鏡台の裏から紙片を取り出した。今日の記録を追加する。


 ——フローリア・ヘルムガルト。前世同様、攻撃的。ベラドンナを皿に仕込む。実行犯は使用人経由か。

 ——ジークフリートの反応速度。毒の報告に対し即座に侍従へ指示。統率力は九歳にして完成に近い。

 ——私への関心が増している。「面白い」という評価の繰り返し。要警戒。

 ——知識の露出を抑制すべき。今回は見せすぎた。


 紙片を折りたたみ、隙間に戻した。


 窓の外で、虫の声が静かに響いていた。秋が深まっている。

 次の試練が来る前に、薬草の備蓄を増やさなければ。


 明日の午後、庭に出よう。

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