表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私を愛さないと言った騎士との案外幸福な結婚生活  作者: 岩上翠


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/36

第4話 洗濯物

 そのとき、廊下の窓から庭が見えた。何か白いものが動いている。

 洗濯物だった。

 今日は使用人のペトラが来る日ではない。

 エリアスは早足で階段を下り、勝手口から庭に出た。


 そこそこ広さのある庭いっぱいに、大量の洗濯物がはためいていた。

 家じゅうのタオル、テーブルクロス、枕カバーにシーツ――そのうち、紐にかかっている白い大きなシーツがもぞもぞと動いた。

 まるで子どもの絵本に出てくるお化けのように。

 中から声がする。


「やだ、これどうなってるの?」


 無言で、その蠢く白い布を見やった。

 たしかに中からローゼの声がした。

 近くには大きな籠が置いてある。

 小柄な彼女はシーツを取り込もうとして、なぜかすっぽりと中に取り込まれてしまったらしい。

 不慣れなのだろう。


 エリアスは手を伸ばした。

 洗濯ばさみを外し、シーツをひょいと紐から外す。

 中から、金髪がぼさぼさになったローゼが出てきた。

 いきなり目の前に現れたエリアスにぽかんとしている。

 無防備な顔だった。


「……あ」

「何をしている」


 冷静に尋ねられて、彼女はすっと背筋を伸ばした。

 公爵令嬢として培った威厳をもって返事をする。

 髪がぼさぼさだったので台無しだが。


「布類を洗って干していたのよ」

「なぜそんなことを」

「いいお天気だったから」


 エリアスは空を仰いだ。

 たしかにいい天気だ。

 夕焼けが眩しい。

 言われるまでは天気のことなど考えもしなかったが。

 視界の端に自分の肌着まで干されているのが映り、エリアスはわずかに耳を赤くした。


「……あなたがそんなことをする必要はない」


 必要以上に冷たい声が出た。

 ローゼは眉を下げた。


「迷惑だった?」

「迷惑ではないが」


 乱れたままのローゼの金髪を直そうと手を伸ばしかけ、下ろした。

 つい手が伸びたが、そういえば気軽に触れるべきではない。

 ローゼはエリアスの袖に目を留めた。


「カフスボタンの大きさが合ってないわ」


 エリアスの動きが止まる。

 彼女は躊躇せずその袖に触れた。


「これでは小さすぎて落としてしまいそう。他には持っていないの?」

「問題ない」


 ぱっと彼女の手を振り払った。

 その勢いが強くて、ローゼは目を丸くした。

 気まずい沈黙が広がる。

 エリアスは彼女に背を向け、高い場所にかかっている洗濯物を取りこみはじめた。

 手伝うつもりのようだ。

 動きはぎこちないが、背が高いので少なくともシーツに呑みこまれるようなことはない。

 ローゼも黙って残りの洗濯物を紐から外し、籠に入れた。

 庭じゅうに干されていた洗濯物は、二人で取りこむと、案外早く片付いた。


 籠を抱えて勝手口から屋内に入ったエリアスは、ぎょっとした。

 ふと見た厨房に、食材が溢れかえっていたからだ。


 瓶入りの粉、袋に入った豆。

 塩漬けの肉と魚、籠いっぱいの卵。

 塩に蜂蜜にスパイス類、オリーブ油にワインビネガー。

 野菜も、キャベツにタマネギ、カボチャ、カブ、ニンジン、ビーツ、フェンネル……二人暮らしでは到底食べきれないような量だった。


「祝宴でも開くつもりか」


 思わずエリアスが漏らした言葉に、ローゼは顔を赤くした。


「買い物に行ったら、市場の店主さんたちがたくさんおまけしてくれたの。配送もしてくれて」


 厨房の隅には、金貨の入った布袋が無造作に置いてあった。

 ――あれを使ったのだろうか?

 普段使いの食材に金貨。


 市場の店主たちは釣りに困って配送までしてくれたのかもしれない。それにしたってボロ儲けには違いないが。

 エリアスは「市場で買い物すらできるか怪しい」という妻への見解を改めた。

 買い物ならできる。

 金はうなるほど持っている元公爵令嬢なのだから。

 ただ、相場をまったく知らないのが問題だった。


 夕食はローゼが作った。

 メニューは燻製肉のスープと、市場で買ったパン。

 肉は表面が黒焦げで、スープは水のようだったが、緊張の面持ちでじっとこちらを見つめるローゼの顔を見ると正直な感想を述べるのは躊躇われた。

 初めて作ったのだろう。

 エリアスはパンをちぎって食べて飲み下し、短く言った。


「悪くない」


 嘘は言っていない。

 少なくとも、パン屋で買ってきたらしいパンはごく普通のパンだった。


 エリアスの言葉を聞いたとたん、ローゼの顔に、ふわりと笑みが浮かんだ。

 その笑顔に、エリアスの灰色の目が釘付けになった。

 昨夜と同じ、屈託のない笑顔。


 それは蛍の灯のようにすぐに消え去った。

 けれど目を凝らせば、彼女の頬にはまだ、笑みの温もりが残っているようにも見える。

 ローゼは水のようなスープをひとさじ掬って呟いた。


「やっぱりあなたは優しい」


 エリアスは耳を疑った。

「やっぱり」とはなんだ。

 ローゼとは主命で結婚をするまで、ろくに会話を交わしたこともなかったのに。


 そもそも彼女は騎士が嫌いだ。

 エリアスだろうが他の騎士だろうが、宮廷では視界に入っただけで不快そうに眉を歪め、扇で顔のほとんどを覆っていた。

 そんな相手に「やっぱりあなたは優しい」などと言われる覚えはない。


 だがローゼはそれきり黙って食事をしたので、エリアスも何も言わずに、残りのスープとパンをたいらげた。

 厨房には、使われなかった食材がまだ大量に残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ