表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私を愛さないと言った騎士との案外幸福な結婚生活  作者: 岩上翠


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/36

第35話 ずっと一緒に

 昼食会が終わったのは夕方近くなってからだった。

 客たちは礼を言いながら笑顔で帰った。

 片付けを手伝ってくれたペトラも、皿を洗い終わったら帰っていった。


 夏の陽は長い。

 窓からまだ明るい光が射す厨房で、エリアスと並んで皿を拭く。

 動くと腕が触れそうな近さだ。

 先ほどから心臓がうるさい。

 エリアスがこちらを見た。


「ローゼ」

「はい」


 名を呼ばれた。

 思わず皿を落っことしそうになったが、すんでのところで掴んだ。

 ドキドキしながら、隣に立つエリアスを見る。

 彼は拭き終わった皿を台に置きながら、どこか歯切れ悪く言った。


「今日の料理、全部美味かった」


 ローゼは目をぱちくりさせ、それから、にこっと笑った。


「よかった。ペトラさんに教わりながら作ったの。結構上達したのよ」

「ああ、すごいな。見違えるように上達してる」

「ありがとう……」


 そこまで言われると、最初が絶望的にひどかったみたいでちょっと悲しい。

 だが、実際にひどかったので文句は言えない。

 エリアスはローゼのほうを向いたまま黙りこんだ。


(……これは)


 ローゼは察した。

 彼は話をしようとしているのだ。

『全部片付いたら、あなたに言いたいことがある』と言っていた、あれを、今。


(いいわ――別れ話でもなんでも、受けて立とうじゃない)


 ローゼ・クロイツェル。

 名門公爵家に生まれ、皇太子の婚約者として十年間の妃教育を受けてきた。

 そして現在は、誇り高き近衛騎士の妻である。

 何を言われようと、取り乱してみっともなく醜態を晒したりなど決してしない。

 姿勢を正し、まっすぐにエリアスを見上げた。


 一見鋭く近寄りがたいが、本当は温かな灰色の瞳。

 今日は無造作に下ろし、額にかかって顔立ちを少し幼く見せている、綺麗な赤髪。

 誰よりも頼りになる広い肩。

 おそらくローゼを傷つけまいと言葉を探し、言いたいことを言いあぐねている、憂いを帯びた表情。

 何かを考えこむように顎に添えた、筋張った大きな手。

 伏せた目元に影を落とす睫毛。

 形のいい鼻梁と頬骨のあたりは、うっすらと日焼けしている。

 左の耳には小さなほくろ。


 駄目だ。

 全部好きで。

 ローゼはくしゃりと顔を歪めた。

 泣く一歩手前の顔で口を開く。


「……嫌よ。離れたくない」

「は?」


 思わず本音がこぼれてしまった。

 エリアスは意表を突かれたという風にぽかんとした。

 ローゼの顔がみるみる紅潮する。

 だが止まらなかった。

 もう元公爵令嬢のプライドも何もない。

 皿をぎゅっと握りしめたまま、唇を震わせてみっともなく縋った。


「別れるなんて言わないで、エリアス」

「言わないが。なんの話だ」

「……え? 違うの?」


 涙の幕の張ったローゼの青い瞳が、一転して期待にきらきらと輝きだす。

 今度はそれを見たエリアスの顔が赤くなった。

 手で隠すように口元を覆って目をそらし、呻くように言う。


「…………可愛い」

「なっ」

「無理だ。もう我慢できない」

「我慢って」


 エリアスはローゼの手から皿を奪い、近くの台にゴトッと置いた。

 次の瞬間。

 ローゼは彼の腕の中にいた。

 小柄な体が、すっぽりと騎士の夫に包まれている。

 遅れて状況を理解すると全身が熱くなった。

 かまどにくべられた薪のように。


「え、え、……エリアス?」

「絶対に離さない」


 背中をかがめ、ローゼの耳に唇を寄せて囁く。

 まるで、心臓に直接吐息を吹きかけられているかのようで。

 彼の顔を見られない。


「あなたに言いたいことがある」

「……ええ」

「結婚式の夜、俺はひどいことを言った。『愛することはない』などと……テオフィル殿下にそう言えと命じられた。だが、主命とはいえ、あなたを傷つけた」


 エリアスと結婚した夜。

 彼はローゼの寝室に来て、『主命ゆえ結婚しましたが、俺があなたを愛することはないでしょう』と告げた。

 言われた花嫁よりも、言った彼のほうがよほど苦しそうな顔をして。

 それを、ずっと気にしていたというのか。

 ローゼは彼の背中をそっと抱いた。


「……もういいわ。愛してなくても、あなたは夫として私を守ってくれた」

「…………」


 ギリ、と彼が奥歯を噛んだ音が耳元で聞こえた。


「よくない」

「え」

「あなたにそんな風に誤解されたままでいるのは耐えられない」

「誤解って」

「愛さないわけがない……愛している、心から」


 そう言うと同時に体を離し。

 エリアスは厨房の床に跪いた。

 膝が汚れるのも構わず、下からローゼを見上げる。

 いつもは涼しげな目元と耳が赤い。

 彼は、一秒たりとも目をそらせないほど真剣な顔をして、ローゼに告げた。


「すまなかった。愚かな虚言を吐いた俺を許してほしい。そして改めて――俺に、あなたを愛する権利を与えてもらえないだろうか」


 ローゼは大きく目を見開いたまま動けなくなった。

 話はわかった。

 愛しているから愛させてくれ。

 つまりはそういうことを言われたような気がする。

 頭では理解したが、心が追いつかない。

 青い瞳を瞬かせ、エリアスに尋ねた。


「愛してるって本当に? なぜ? いつから」

「聞きすぎだ」


 彼は首筋まで赤くなった。

 それでも目はそらさず、跪いたまま、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「最初は、公爵令嬢で皇太子の婚約者なのに軽く扱われ、それでもいつも平然としているあなたを見て、気の強い人だと思った。だが、結婚してみたら全然違って……帰ったら洗濯物に絡まっていたり、暖炉掃除をしてカフスボタンを見つけてくれたり、なんでもない焼き菓子を喜んだり……色々な顔をするあなたが可愛くて、目が離せなくて……もっと見ていたくなった」


 灰色の瞳がローゼを映し、言葉を尽くして気持ちを伝えてくれる。

 橙色の西日が差し、厨房の食材も、エリアスの姿も金色に染まっていて綺麗だ。

 ここだけ時間が止まっているかのようだった。

 だがローゼの頬は熱く、心臓がどくどくと暴れていた。

 呼吸も忘れて彼を見つめ、その言葉を一語一句漏らさずに聞こうとしている。

 エリアスもローゼを見つめ返した。


「……段々あなたに惹かれていくと同時に、俺はテオフィル殿下の命令に従うことができなくなっていった。近衛騎士が皇太子の命令を聞かないなどありえない。それでも、殿下があなたを取り返すと言ったときには、勝手に体が動いていた」


 テオフィルが私兵をクロイツェル家に差し向けたときのことだろう。

 ローゼを攫おうとした黒ずくめの男たちを、馬を飛ばして駆けつけたエリアスが一瞬で倒してしまった。

 思い出すだけで胸が騒ぐ。


「あのときのあなたは、本当に格好よかったわ」

「そうか」


 短く答え、エリアスは口の端を片側だけ上げた。

 どきんとローゼの心臓が飛び上がる。

 あれは、自分に魅力があると知っている男の笑い方。自信家だ。

 そうでなければ、主命に背いて妻を助けになど来ないだろうけれど。

 彼は笑みを消すと、熱のこもったまなざしをローゼに向けた。


「あなたはテオフィル殿下に勝った。もう脅威はない。俺の力などもう要らないかもしれない。それでも、俺はあなたの傍にいたい。可愛い顔も強気な顔も弱ってる顔も全部見たい。あなたを守りたい――俺の生涯をかけて」


 エリアスが手を差し伸べた。

 金色の西日が射す厨房で、ローゼだけを見て。


「俺と結婚してほしい」

「はい」


 早かった。

 即答だった。

 ローゼはエリアスの手を両手で握った。

 前のめりに。

 満面の笑みで彼に答える。


「私もあなたが好き。大好き。他の誰でもなく、あなたがいいの。ずっと一緒にいて」


 ローゼは矢継ぎ早に愛の告白をした。

 エリアスが目を丸くした。

 頬の赤味が一段増す。

 それから、彼は喉の奥で低く笑い、立ち上がった。

 ぐっと顔を近づける。


「……本当に? なぜ? いつから」

「~~~っ!」


 ローゼは茹るように真っ赤になった。

 仕返しをされている。

 さっきローゼが言ったことを、そのまま。


 エリアスは妻の顔を見ると、愛おしげに目を細めた。

 その顎に手をかけ、上を向かせる。

 鼻先が触れるほど顔を近づけて。

 ローゼに甘く囁く。


「あとで聞かせて。時間はたっぷりある」

「……ええ」


 唇が重なった。


 最初は、かすかに触れるように。

 けれどすぐに、深く熱い口づけに変わった。


 金色の光は少しずつ移ろい、厨房には夜の気配が忍び寄っている。

 けれど、それを気にする必要はなかった。

 これから長い長い時間を共に過ごすことになるのだ。

 愛を伝えあうこともキスをすることも、何度でも、いつでもできる。

次回、最終話です!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ