第34話 木漏れ日の昼食会
夏の木漏れ日が、庭のテーブルと料理の上にくっきりした光と影を落とす。
聖女の儀式から一か月後。
クロイツェル家の庭で、ささやかな昼食会が開かれていた。
仕事の休みを合わせて来てくれたのは、近所の商人ルトガーと、皇宮の掃除メイドのフローラ、このたび正式に新たな聖女となったイルムヒルト。その弟のザシャも一緒だ。
テーブルには冷たいレモネードとエールとワインが用意され、客はめいめい好きな物を注いで飲んでいた。
たっぷりのグリーンサラダと、豆の冷製スープ、エビとカニのフリッターも置かれていた。
ザシャはすでに口いっぱいにエビを頬張っている。
ヒマワリ色のドレスにエプロンをつけ、金髪を結い上げたローゼがメインディッシュを運んできた。
「お料理ができたわ。たくさん食べてね!」
運ばれてきたのは鶏の煮込みに魚のグリル、それからこんがりと焦げ目のついたミートパイ。
大皿に載った熱々の美味しそうな料理に歓声が上がる。
ローゼの胸が、じんと熱くなった。
つい先日までは水のようなスープや、黒焦げなのに中が生焼けの肉を食卓に出していた。
それがまさか、こんなに立派な料理を作れるようになるなんて。
――まあこれは、クロイツェル家の家事手伝いのペトラが朝からつきっきりで指導してくれたおかげなのだが。
そのペトラが、エリアスと一緒に焼き立てのライ麦パンを運んできた。
「さあさあ皆さん、パンも焼けましたよ。ほら、ぼっちゃんも座って」
「ぼっちゃんはやめてくれ」
テーブルにライ麦パンを置きながら、エリアスはばつが悪そうにペトラに言った。
ローゼはクスッと笑った。
エリアスは常に冷静で頼れる騎士だ。
けれど彼の父の代からクロイツェル家に仕え、昔から世話をしてきたペトラにとっては、いつまでもかわいい「ぼっちゃん」なのだろう。
笑われたエリアスは少しむっとした顔でローゼを見た。
彼女のために椅子を引きながら、小声で言う。
「……笑うな」
「笑ってないわ」
ローゼは澄ました顔でエリアスの隣に座った。
ペトラも空いている席についた。
エリアスがローゼのグラスにレモネードを注ぐ。
それから一同を見渡し、エールの入ったジョッキを掲げて立ち上がった。
彼は白シャツに黒のベストとズボンというラフな格好だったが、袖口には今日も、盾に月桂樹というクロイツェル家の紋章が入ったカフスボタンをつけている。
緑の風が吹いて赤髪がなびいた。
皆の注目を浴びながら、エリアスは朗々とした声で言った。
「先日の聖女の儀式での協力を感謝する。ダミアン殿下が正式に立太子され、俺が近衛隊長に任命された。今日はその祝いだ。存分に飲み、食べてくれ」
客たちが笑顔で拍手した。
隣で誰よりも大きな拍手をしているローゼに、エリアスは腰を下ろしながら言った。
「あなたからも一言」
「え、私?」
いきなり振られて戸惑ったが、客の視線はすでにローゼに集まっている。
やや緊張しながら立ち上がった。
妃教育で受けたスピーチの授業を思い出しながら、口を開く。
「こほん……この度は皆様にお集まりいただき、光栄至極にござ」
「ローゼ、硬いわ」
向かいの席のイルムヒルトが笑顔で言った。
ローゼはハッとした。
そうだ。
ここは皇宮でも社交場でもない。
前世、フローラに話を聞いて夢にまで見た市井の、気の置けない友人たちと囲む食卓。
ちなみにこの狭い屋敷町、ここにいる全員が顔馴染みらしい。
ローゼはフローラをちらりと見た。
あの懐かしい、明るい笑顔でこちらを見ている。
今世ではまだ彼女とは数えるほどしか会話をしていない。
もちろん前世の話もしていない。
けれども、きらきらした金茶色の瞳はローゼの知っているフローラと同じで、こうして一緒に食事ができるということが信じられないくらいうれしい。
しかも、自分が作った料理でもてなせるなんて。
イルムヒルトとザシャ、ルトガー、ペトラも、笑みを浮かべながら待っていた。
公爵令嬢でも皇太子の婚約者でもない、飾らないローゼ自身の言葉を。
それは、すぐ隣で自分を見守っているエリアスも同じのようだ。
自分らしく、ただ気持ちを伝えるだけでいい。
ローゼは先ほどとはまったく違う気分で皆を見回して、にっこり笑った。
「……みなさん、いつも本当にありがとう。私はこの町で暮らせてとても幸せです。今日はペトラさんと美味しいお料理を作ったので、たくさん食べていってね」
大きな拍手をもらった。
顔を赤くしながらも、ほっとして腰を下ろそうとした。
ところが、エリアスが「乾杯も」と耳打ちしてきた。
花を持たせてくれる気らしい。
ふたたび立ち上がり、グラスを持ち上げる。
少し考えてから、ローゼは笑顔で乾杯の音頭を取った。
「明るい未来に」
「明るい未来に」
皆が唱和し、そこここでグラスやジョッキを合わせる澄んだ音が響いた。
食事が始まると、話題はやはり先日の聖女の儀式でのことになった。
あのあと、皇太子テオフィルは皇宮の地下牢に収容され、それからほどなくして辺境の塔に送られたという。
ローゼが前世で閉じこめられていた離宮よりも、ずっと寂しい場所に。
帝国法により皇族を処刑することは禁じられているため、おそらく彼は残りの長い生涯をその塔で送ることになるのだろう。
偽聖女ヘルミーネは大聖堂の外で軍務卿の部下の帝国兵に捕まり、やはり地下牢に入れられていた。
彼女は教会裁判によって裁かれた。
神聖な存在である聖女を不当に騙り帝国を乱したこと、聖職者であるカリエール司祭を脅迫したこと、テオフィルを唆し国庫から金を着服したこと、結果的に皇帝の健康を損ねたことなどが重く受け止められ、極刑が下った。
公開処刑が行われる丘には、稀代の悪女を一目見ようと、帝都内外から多くの人が押し寄せたそうだ。
その話題になると、自然、昼食会の空気は重くなった。
沈んだ雰囲気を一変させるように、ルトガーがエールを飲みながら明るく尋ねた。
「ところで、イルミは聖女様になったんだろ? なんで皇宮に住まないんだ? せっかく贅沢な暮らしができるってのに」
「だって、皇宮って広くて豪華すぎて落ち着かないっていうか……人間の住むところだと思えなくて」
「わかるわ。どこもかしこも装飾過多でぎらぎらしていて、逆に生活感は皆無で全然くつろげないわよね」
カニのフリッターをつまみながらローゼが大きくうなずくと、その隣でミートパイを切り分けていたフローラも話に加わった。
「本当にそう。貴族の女性たちは笑っちゃうほど裾の長いドレスを着ないといけないし、私たちお掃除メイドはそのために床をいつもピカピカに磨いておかないといけないの」
「うぅ、聖女のローブもものすごく裾が長いのよ……いつか足がもつれて転ぶんじゃないかと思うわ」
イルムヒルトも、スプーンでスープを掬っていた手を止めて呻いた。
頬杖をついたルトガーがにやにやしながら、行儀悪くフォークを振り回す。
「へへっ、転んだらダミアン殿下に助けてもらえばいいんじゃねえの? 皇族は聖女と結婚するものなんだろ?」
「そ、そうと決まってるわけじゃ……私は殿下より二つ年上だし……」
イルムヒルトはほんのり頬を紅潮させた。
それを見た周囲の人間が、獲物を見つけた目つきに変わる。
新聖女と新皇太子のあいだに、何やら特別な感情が生まれているのは間違いなさそうだ。
「あらやだこの子ったら! 二つくらいなんでもないわよ。むしろあの気弱なお坊ちゃんなら、あんたくらいしっかりした姐さん女房がちょうどいいんじゃない?」
ばしっとイルムヒルトの背中を叩きながら、ペトラがさらりと不敬なことを言う。
フローラがくすくす笑った。
「今ごろ皇宮では話が進んでるんじゃない? だって、ダミアン殿下がイルミを見る目、すっごく熱いもの」
「ちょっと、フローラ」
「え、イルミお姉ちゃんケッコンするの? でんかのこと、すきなの? あいしあってるの!? ねえねえ!」
「やめて、ザシャ!」
真っ赤になって両手で顔を押さえたイルムヒルトを見たエリアスは、ジョッキを置いて静かに言った。
「ダミアン殿下は誠実なかただ。結婚したら幸せになれるだろう」
空気が変わった。
冗談半分にイルムヒルトをからかうのではなく、皆で彼女の幸福を願う、温かい空気に。
ローゼもほほえんでうなずいた。
「そうね。ダミアン殿下なら、きっと大丈夫」
イルムヒルトはエリアスとローゼを見て、はにかんだほほえみを浮かべた。
かわいい。
好きだ。
誰よりも幸せになってほしい。
――でも。
こっそり、隣にいる夫のエリアスの横顔を見た。
彼から『俺と結婚したかった?』と聞かれたときの、まっすぐなまなざしを思い出す。
それから、『全部片付いたら、あなたに言いたいことがある』と言ったときの、あの真剣な口調を。
ちり、と胸に火花が散るような痛みを感じた。
もしかしたら――夫のエリアスは、イルムヒルトのことが好きだったのかもしれない。
それなのにローゼは自らの保身のためだけに卑怯な手を使い、皇太子の主命を利用して、エリアスの妻になった。
はっきりとエリアスにそう言ったわけではないが、聡い彼はローゼが前世のことを話したときに察しただろう。
だから、『俺と結婚したかった?』と聞いたのだ。
高潔さを重んじるエリアスは、ローゼに失望したかもしれない。
そしてすべてが片付き、ローゼを皇太子から守る必要がなくなった今――主命によって無理やり成されたこの結婚を、終わらせようとしているのかもしれない。




