第30話 対決①
数千の視線が一斉にローゼに注がれた。
教会による厳粛な、そして歴史的な儀式の最中に、突然立ち上がって叫んだ美しい元公爵令嬢に。
大司教とイルムヒルトもこちらを見ている。
肌がひりつくようだった。
神への冒涜と取られても仕方がない。
心臓が早鐘を打ち、喉が緊張でカラカラに乾く。
一瞬だけ、壁際のエリアスに視線を送った。
彼はまっすぐにこちらを見ていた。
そのことがローゼを安堵させ、力を漲らせる。
隣のルトガーがローゼの背中を軽く叩いた。
横を見たら、ぱちりとウインクされた。
胸の前で親指まで上げている。
イルムヒルトもローゼに不敵に笑いかけた。
まるで『さあ、やっちゃって』とでも言っているかのように。
思わず笑みがこぼれそうになった。
慌てて表情を引き締める。
ローゼは前を向き、礼拝堂中にしっかりと通るように声を出した。
「神聖な儀式の最中に発言することを、どうぞお許しください。ですがこれは、聖女様の大切なお命をお守りするための発言です」
一拍置いて続けた。
「そのパンには、毒が入っています」
空気が揺れるほど、礼拝堂がどよめいた。
ローゼはさらに、それを煽るような発言をした。
「毒を入れたのは、テオフィル皇太子殿下です」
礼拝堂内が騒然とした。
ガタッと、テオフィルが立ち上がった。
いつもの余裕のある薄笑い。
だが、口元が少し引きつっている。
「アルノルト公爵令嬢……いや、クロイツェル夫人。あなたは自分が何を言っているかわかっているのか? このような神聖な場でくだらない世迷い言を……」
「世迷い言ではございません。私の申し上げていることが真実だと、今から証明いたします」
冷たく切り返し、つかつかと前に歩み出た。
困惑する大司教と、膝をついたままこちらを見守るイルムヒルトの傍まで行く。
ローゼはドレスの隠しから、銀の平皿を取りだして掲げた。
真新しい銀色が全員からよく見えるように。
「これは新品の銀食器です。皆様もご承知の通り、銀器には特定の毒を入れると反応する性質があります。おそれながら大司教様、その毒の混入された聖餐を拝借させていただきたく……ありがとうございます」
大司教は聖別されたパンを素早くローゼに渡した。「毒の混入された」と聞いては、それ以上持っていたくなかったのだろう。
ローゼはパンを受けとり、銀の皿の上に載せた。
そして、隠しから小さな匙を取りだし、白いパンを皿にこすりつけるようにすり潰した。
銀の皿はみるみるどす黒く染まった。
それを、礼拝堂中の人が見えるように、頭上高く掲げる。
「ご覧ください。この禍々しく黒く変色した銀の皿を。毒が入っていたという証拠です」
集まった人々は暴力的なまでの怒号をあげた。
近衛騎士隊が動いた。
黒い騎士服が一斉に皇太子を取り囲む――捕らえるのではなく、群衆から守るために。
実際、礼拝堂を埋め尽くす民衆の目に浮かんでいるのは、テオフィルへの強い憤りだった。
民衆は知っていた。
皇太子テオフィルが十年ものあいだ皇太子の婚約者として妃教育を受けていた公爵令嬢ローゼ・デア・アルノルトとの婚約を破棄したこと。
さらに高貴な生まれのローゼを辱めるかのように近衛騎士に下賜したこと。
そして、聖女を自分の婚約者にすげ替えたこと。
しかもその聖女ヘルミーネがまったく聖務を果たさず、皇帝の病を癒やすこともできないのに、皇太子の寵愛を受けて帝国臣民の血税を使い皇宮で遊び暮らしていることも。
それだけではない。
市井に暮らす彼ら彼女らは、このごろ巷で、金目当てに配偶者や親や祖父母を毒殺する者が後を絶たないことももちろん知っていた。
その上で大半の善良な人間は、そうした利己的な動機のために毒を使い目的を遂げようとする犯罪者たちを憎んでいた。
このような市民感情を見越した上で、ローゼは儀式中に声を上げたのだった。
そして今や、この場にいる人々の心を完全に掴んでいた。
反対に、テオフィルは強烈なブーイングに晒されていた。
彼は余裕の笑みなどかなぐり捨て、近衛騎士の壁のあいだからローゼに怒鳴り散らした。
「ふざけるな、無礼にもほどがあるぞ! 私がやったという証拠がどこにある!」
「あら、証拠ならもちろんございますわ」
「……は?」
ローゼの澄ました返事に、テオフィルの顔色がサッと変わる。
悪い予感がしたのかもしれない。
彼がごみのように捨て、悪ふざけで近衛騎士に与えた公爵令嬢からこのように追い詰められ、なおかつ平然と「証拠ならもちろんございますわ」などと吐かれたのだ。
さぞ嫌な気分になっていることだろう。
少し目尻の垂れた美しい顔立ち――かつてローゼが恋したが今は少しも魅力を感じないその皇太子の顔に、大きく「待て」「何をするつもりだ」「やめろ」と書かれているような気がした。
けれど、もちろん手を緩めたりはしない。
ローゼはパチンと指を鳴らして合図をした。
すぐに聖壇のうしろの扉から、盆を持った一人のメイドが出てきた。
金茶色の髪と瞳。
そばかすの散った顔。
懐かしい、大好きなメイド。
前世で離宮に軟禁されていたときも力になってくれた。
フローラである。




