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私を愛さないと言った騎士との案外幸福な結婚生活  作者: 岩上翠


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第28話 嵐が来る前に②

 居間の空気が凍りついた。

 ルトガーが続ける。


「皇太子は使われていない小部屋の棚にそれをしまったと、俺の知り合いの、掃除担当のメイドが言っていた」

「……なぜ毒だとわかったの?」


 ローゼはルトガーに尋ねた。

 疑っているわけではないが、ここは慎重を期す場面である。

 彼はニヤッと笑った。


「俺もそう思ってメイドに聞いたんだ。そしたらなんと、そのメイドが前に働いてた屋敷の夫人も同じ毒を買っていた。それで夫をやっちまったんだとさ」

「へ?」

「夫人は軽率にも菓子の棚にそいつを隠しておいたから、メイドはばっちり見て覚えていたらしい。舶来の青い色硝子でできたその毒の小びんと、禍々しいラベルの文字を」

「そんなことあるの……?」


 ローゼは開いた口が塞がらなかった。

 まるで小説の中の物語のようだ。妻が夫を毒殺し、メイドがその毒を目撃していたなんて。

 たしかに現在帝国内では毒殺が頻発している。

 新聞は連日そうした事件を書き立て、人々はあの事件は夫が怪しいとか、いや愛人の仕業だとか、はたまた遺産狙いの息子がやったとか、あることないこと噂しているくらいだ。

 毒が小道具として登場する推理小説も、飛ぶように売れている。


 イルムヒルトはごくりと唾を呑んでルトガーの話に耳をそばだてている。

 エリアスはどことなく落ち着かない様子で脚を組み替えている。

 胸中穏やかではいられない話題だ。

 皇太子の件とは関係ないが、ローゼは身を乗りだして聞かずにはいられなかった。


「それで、その夫人はどうなったの」

「ははは! 安心しろ、夫人は捕まった。そのメイドの証言が決め手だったそうだ」


 居間に安堵の空気が広がった。


「よかったわ……いえ、よくないけれど……皇太子はおそらく、イルミに毒を吞ませようとしているのね」

「!」


 イルムヒルトはまさに毒を呑んだかのような苦しげな表情を浮かべた。

 それからブラウスの胸のあたりを握り、血の気の引いた唇を開いた。


「……毒を入れるとしたら、聖女の儀式の聖餐だと思います。祝典の食事は食べなければ済むけれど、司祭様から賜る聖なるパンは、聖女は必ず食べないといけないから……」


 エリアスが腕を組み、眉間を寄せた。


「聖女が倒れたところで天罰だとわめき、外国人傭兵を使ってローゼと俺、それからカリエール司祭あたりも拘束して、まとめて偽聖女を立てようとした罪をかぶせて口封じ——というところか。殿下がやりそうなことだ」

「きっとそうね。聖女の儀式には貴族も民衆も集まるから、誰も見ていないところで手を下すよりも人心を掌握できる」

「へぇ、さすがは皇太子様だな。演出まで考えてやがんのか。怖い怖い」

「そんな……どうすれば……」


 淡々と物騒な会話をする三人を前に、毒殺計画を聞いたイルムヒルトは震えあがった。

 聖女に認定され、これからはパンに困らずに生活できると喜んでいたのが一転、その命が風前の灯火だというのだから怯えるのも当然だ。

 しかも敵は自国の皇太子である。

 帝国臣民が皇帝の息子から命を狙われる。

 普通に考えて恐怖でしかない。

 けれど、ローゼはその恐怖の経験者だった。

 実際に殺されてもいる。

 二度とそんなことはさせない。

 自分にも、他の人たちにも。


 ローゼは立ち上がり、「ちょっと借りるわね」と紙とペンとインク壺を持ってきてテーブルに置き、考えながら書き始めた。


「私たちがやりたいことは、イルミをきちんと本物の聖女の座に就けて皇帝陛下の病を治してもらい、その功績によって、横暴な皇太子が私たちに手を出せないようにすることよね」


 箇条書きにしながら口に出して言い、他の三人を見た。エリアスもイルムヒルトもルトガーも、同意を示すようにうなずいた。

 ローゼも軽くうなずき、また続きを書く。


「問題は、皇太子がイルミの聖餐に毒を入れるかもしれないという点と、外国人傭兵部隊の存在ね。……毒をすり替えるという手もあるけれど、そしたら殿下は別の手を使って同じことをするでしょう。ここで決着をつけてしまいたいわ」

「殿下にあえて毒を入れさせ、その罪を問うつもりか? だが、どうやって?」


 エリアスの指摘に、ローゼはしばし考えこんだ。

 テオフィルを罪に問う方法。

 相手は毒などという小説のような方法を使ってくるらしい。

 それなら、こちらも——。

 ローゼの顔に、パッと笑みが閃いた。


「そうだわ、証拠を残してもらえばいいのよ! お掃除メイドに協力してもらいましょう」

「証拠?」

「お掃除メイド?」

「なんの話だ?」


 エリアスたちがぽかんとしている前で、ローゼは猛然と紙に文字を書き始めた。

 それをルトガーに渡す。


「これでどう? そのメイドはやってくれそうかしら?」


 紙に書かれた文章を読んだルトガーは、ニヤリと笑い、紙を指ではじいた。


「ああ、あいつに任せれば間違いない。喜んで片棒を担いでくれるだろうよ」

「よかった。それからイルミ、あなたにも協力してほしいことがあるの」

「ええ、なんでも言って!」

「ありがとう。あとは……エリアス、宮廷で会わせてほしい人が三人ほどいるんだけど、繋いでくれるかしら」

「もちろん。誰に会いたい?」


 それからしばらく、ローゼは皆に作戦を伝え、協力を取りつけた。

 話し合いを終えるとルトガーは自分の家に帰り、エリアスは残ってブランシュ家とともに夕食を囲んだ。

 普段は資金繰りに奔走しているブランシュ男爵も帰宅して、にぎやかな食卓となった。


 ローゼは男爵からエリアスたちの子どもの頃の話を聞き、たくさん笑った。

 特に、近くの水路でイルムヒルトと遊んでいたエリアスがザリガニに指を挟まれ、全然取れなくて痛いのにやせ我慢をして日が暮れるまで指にザリガニをぶらさげたまま過ごした、という話が気に入った。

 彼はその頃から気概のある子どもだったようだ。

 ちなみにザリガニは、水に浸けたら取れたらしい。


 夕食が終わりクロイツェル家に帰るエリアスを、ローゼは門まで見送った。

 夏の夜は明るく、遠くの山の端にまだ金色の残照が引っかかっている。

 門まで来ると足を止め、エリアスが振り向いた。

 赤髪と端正な顔が薄闇の色に染まっている。

 自分の髪と顔もきっと同じ色だろう。

 ローゼはエリアスにほほえみかけた。


「それではよろしくね、エリアス」

「ああ……」


 エリアスはローゼを見下ろした。

 何か言いたいことがあるが、言うのを躊躇っているような()

 どうしたのかしらと思いながら見上げていると、彼がゆっくりと口を開いた。


「全部片付いたら、あなたに言いたいことがある」

「言いたいこと……?」


 エリアスはローゼを見つめたまま、小さくうなずいた。

 胸がざわめいた。

 なんだろう。

 すごく気になる。

 気になるけれど、わざわざ「全部片付いたら」と言っている以上、今は聞いても教えてくれないだろう。


(——もしかして、イルミのことかしら? 本当はエリアスは彼女のことが好きで、やっぱり私と離婚したいとか?)


 それは十分ありえそうな気がした。 

 誠実で責任感が強いエリアスは、主命とはいえ、一度妻にしたローゼを簡単に放り出すことはできないだろう。

 でも、こうして毎日ブランシュ男爵家に来てイルムヒルトを顔を合わせているうちに、彼女への恋心が再燃し、これ以上ローゼと夫婦でいることが耐えきれなくなったのかもしれない。


 それなら、解放してあげてもいい。

 この作戦がうまくいき、テオフィルを無力化できたら、もうエリアスという盾はいらなくなる。


 ローゼはエリアスのことが好きだった。

 けれども、もし彼が本当はイルムヒルトを想っているのだとしたら、一緒にいてもつらいだけだ。


 エリアスはローゼを「守る」と言ってくれた。

 きっとそれは誰よりも騎士らしい彼の、単なる騎士道精神の発露なのだろう。

 でも、それだけで十分だ。

 前世は巻き添えで死なせてしまった。

 今世は絶対にそんなことにはさせない。

 生きていてくれれば、それで——。

 ローゼは知らぬ間にうつむいていた顔を上げて、にっこり笑った。


「……わかったわ。終わったら聞かせてね」

「ああ」


 エリアスもかすかにほほえんだ。

 その微笑の奥で彼が何を考えているのかは、段々と深くなる宵闇に紛れて見えなかった。




 そして数日が経ち、聖女の儀式当日。

 皇太子テオフィルとの因縁に決着をつける日が来た。

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