第24話 あの日
ローゼはカリエール司祭ににっこりとほほえみ、優しく語りかけた。
「もちろんそれは存じておりますわ。私に神学を教えてくださった司祭様ですもの。疑ってなどおりません」
「……ローゼ嬢……いや、クロイツェル夫人。そう言っていただけるとありがたいですね。私も少し、取り乱してしまったようだ」
司祭が座り直して苦笑した。
エリアスは感心したようにそのやりとりを眺めた。
それからローゼに目線だけで「ごめん」と伝えた——ような気がした。
ローゼは「気にしないで」という意味を込めて軽く頷き、司祭に向き直った。
「いいえ。ですが近頃、ヘルミーネ様の聖女の力に翳りが生じているとお聞きして、少し心配で……」
眉根を寄せてローゼがそう言うと、司祭は膝の上の拳を握りしめた。
その様子をちらりと見て、さらに畳みかける。
「……聖女判定が出なかったイルムヒルトは、よく弟の面倒を見る優しい子ですが、お父上の男爵の事業が傾き家計が苦しいと聞いております。逆に、ヘルミーネ様はまるで皇宮の女王のように振る舞っていらっしゃるとか……言っても仕方のないことですけれど、聖女判定の結果が反対に出ていれば、神様も、帝国の大勢の人たちも喜んだのではないかと」
司祭の拳が強く握りこまれ、太い血管が浮いた。
あと一歩だ。
ローゼは背筋を伸ばしまっすぐに司祭を見て、静かに尋ねた。
「司祭様にお尋ねいたします。聖女判定の際に、何があったのですか?」
「……おお、神よ……」
司祭は両手を握り合わせ、祈るように額を押しつけながら呟いた。
眉間には深い皴が刻まれている。
ローゼとエリアスは黙って待った。
しばらくすると、司祭は顔を上げてこちらを見た。
目が赤い。
彼は逡巡を振り切るように首を左右に振り、ローゼを見た。
「これも神の思し召しでしょう…………あの日、私は聖女の判定を偽りました。ヘルミーネは、まがいものの聖女だ」
ローゼとエリアスは揃って息を呑んだ。
矢継ぎ早に質問を投げかけたくなる気持ちを抑え、一つだけ尋ねた。
「なぜ、そのようなことを?」
司祭の顔が苦悩に歪む。
「ヘルミーネは……あの毒婦は、私を脅迫したんだ。判定には偽の水晶を使え、ヘルミーネが水晶に手をかざしたら赤い硝子玉とすり替えろ、さもなくばおまえの家族はただでは済まない——と。ただの脅しではないというしるしに、私の息子夫婦の寝室の枕をめった刺しにして……息子たちには、赤ん坊が生まれたばかりなんですよ」
「……なんてひどい」
聖職者本人ではなく、その家族を盾に脅すなど、聖女のやることではない。
聖女どころか、もう堅気の人間ですらない。
エリアスと市場に行ったとき、「ここには近寄るな」と教えられた路地裏を思い出した。
ヘルミーネが住んでいたのは市場の近く。
だとしたら、路地裏にたむろしていた怪しげな連中とつながりがあってもおかしくない。
ローゼは隣に座る夫を見た。
帝国騎士団所属の彼は、犯罪への対応にも慣れているはずだ。
エリアスは頷き、放心したようにテーブルを見つめる司祭に声をかけた。
「カリエール司祭、そのときの証拠品は残っていますか」
「ああ。ヘルミーネが置いていった偽の水晶と赤い硝子玉だけ、物置の隅に放り込んである。ボロボロにされた枕はすぐに捨てたよ……気味が悪いから」
「無理もありません」
エリアスが司祭を慮るように言った。
さきほどのうかつな失言を反省しているのかもしれない。
思わず笑顔になりそうになるのをこらえ、ローゼは毅然としたまま彼に尋ねた。
「エリアス、真実を言ったことで司祭様やご家族に危害が及ばないようにしたいの。騎士団でご家族を保護することはできる?」
「もちろんだ。一両日中には護衛を派遣する。カリエール司祭もご安心ください」
堂々と請け負ったエリアスは誰よりも頼もしく見えた。
ローゼだけでなく、カリエール司祭までが眩しそうに彼を見つめたのも無理はない。
それから、必要があればしかるべき場でさきほどの証言をしてもらうこと、証拠品の偽の聖水晶と赤い硝子玉を提出してもらうこと、そして後日イルムヒルトの聖女判定をやり直してもらうことを司祭に約束してもらい、二人は大聖堂を出た。
外はだいぶ日が高くなっていた。
薔薇窓を振り仰ぎながら、エリアスが呟くように言った。
「……カリエール司祭、肩の荷が下りたような顔をしていたな」
「そうね。真面目なかただから、ずっと気に病んでおられたのでしょう」
エリアスはじっとローゼの顔を見つめた。
視線に気づき、頬が薄い桜色に染まる。
「な、何よ」
「いや……俺は司祭を責め立てることしか考えていなかったが、あなたは柔らかさと正しさで司祭の心に訴えかけ、真実を手に入れた。……やはり、高潔な人なのだなと」
その言葉はローゼの胸を突いた。
高潔。
前世でも、エリアスはローゼのことをそう形容して、皇太子の命に背き助けてくれた。
女性に使う誉め言葉としては少々色気に欠けるその一言は、公爵令嬢という身分と十年間の妃教育を否定された挙句、離宮に半年も放置されてずたぼろになったローゼの心をどれだけ救ってくれただろうか。
そして今また、同じ言葉をくれた。
今度は夫として。
彼が前世から少しも変わっていないことと、同じように自分を認めてくれたことが、たまらなくうれしい。
ローゼは笑みを弾けさせた。
「ありがとう、エリアス」
天頂の太陽のような笑顔を見たエリアスは、一瞬、言葉を失った。
それから、敵を前にしたときよりも素早く踵を返し、せかせかと玩具の兵隊のように歩きだした。
彼は早口で言った。
「次はどこへ行くんだ。今日中にできるだけ済ませよう。俺が非番のうちに」
「え、ええ、そうね」
急にどうしたのだろうと戸惑いながら小走りで追いつき、ローゼはエリアスと共に次の目的地に向かった。




