第22話 反転攻勢
夕食のあと、二人はテーブルの隣同士に座って今後の対応を考えた。
食器は下げられ、代わりに温かい茶と紙とペンが置かれている。
ローゼは紙に書いて今の状況を整理した。
これ以上、テオフィルの好きにさせないように。
「まず、殿下は私との婚約を破棄して聖女ヘルミーネを新しい婚約者にした。でもヘルミーネの癒やしの力は思ったほどではなく、また私を取り戻そうとした……たぶん、離宮にでも閉じこめて、一生皇太子妃の仕事をさせるつもりなのでしょうね」
体面を気にする皇太子テオフィルが、一度婚約破棄したローゼをふたたび婚約者に戻すことは考えにくい。
だが今の婚約者のヘルミーネは癒やしの力を発揮できておらず、妃教育も受けていないので当然皇太子妃としての実務能力はない。
だからせめてその実務能力を持つローゼを手元に置いておこうということだろう。
あとはおそらく単に、ローゼへの嫌がらせのために。
隣に座り、テーブルに片腕をついて体ごとこちらを向いているエリアスが、紙に書かれた名前を見ながら言った。
「離宮か、あり得るな。あそこには滅多に人が来ない」
「……知ってるわ」
前世では半年ものあいだ閉じ込められていたのだ。
来る日も来る日も鳥の声と葉擦れの音だけを聞いて過ごしていた。
侍女のフローラと話すことが唯一の楽しみで、彼女から聞く市井の暮らしを胸が焦げるほどうらやんだ。
うつむいてペンを止めたローゼの顔を、エリアスが覗きこんだ。
「大丈夫か」
「だ、大丈夫よ」
近い。
顔も近いし、膝も触れ合うほど近くに座っている。
なぜか向かい側ではなくすぐ隣に。
エリアスの顔を見られない。
ローゼの頬が熱を帯びる。
うつむくと金色の髪で赤い顔が隠れるのが救いだった。
だが、頬杖をついたエリアスは手を伸ばし、ローゼの髪を耳にかけた。
耳に触れた大きな手の感触に、思わずビクッと体を震わせる。
あわあわと唇を震わせながら抗議の表情でエリアスを見ると、彼は平然と言った。
「書くのに邪魔だろう」
「邪魔じゃないわ……!」
むしろ必要だった。
だがもう一度髪で顔を隠すわけにもいかないので、ローゼは咳払いをして、無理やり話を続けた。
「……一度失敗したからといって、殿下が諦めるとは思えないわ。でも私は二度とあの人の思い通りにはなりたくない」
「皇太子を止める、か……策があると言っていたが」
「ええ、一つ」
ローゼは紙の上に、新たに名前を一つ書き足した。
イルムヒルト・ブランシュ、と。
エリアスが目を見開いた。
「イルミ……? どういうことだ」
「彼女が癒やしの力を持っていることは知っている?」
「ああ。俺も父も、任務で怪我をしたときに何度か治してもらった。とても頑固で、礼をしようとしても絶対に受け取ってくれないんだが」
エリアスは、ふっと笑みを浮かべた。
ふいにローゼの胸がふさがった。
仲がいいのね、と軽く流せばいいのに、唇が動かない。
もしも本当に二人が特別な関係で、自分がエリアスと結婚したことでそれを邪魔をしていたのだとしたら、立ち直れないからだ。
(……駄目よ。今はそんなことを考えている場合じゃないわ)
唇を引き結び、余計な考えを追い払った。
イルムヒルトの名前に大きく丸をつけて、エリアスを見上げる。
「イルミは聖女なのかもしれない」
「なんだと?」
「イルミはヘルミーネと友達だと言ってたわ。ヘルミーネのほうから聖女の判定を受けに行こうと誘われたと。結果、ヘルミーネが聖女でイルミはハズレだった。……でも、もしその判定が不正だったら?」
「不正……司祭が買収されていたということか」
「ええ。あるいは、脅迫されていたか」
客観的に見て、今現在ヘルミーネは癒やしの能力を十分に使えておらず、イルムヒルトはローゼの指の怪我を簡単に治してしまった。
本当はイルムヒルトのほうが聖女で、判定の時点でなんらかの不正が行われていたのだとしたら。
「でも、もしそうだとしても殿下は簡単に間違いを認めないと思う。体面に傷がつくのを嫌がる人だから」
「たしかに。あの方は自分の非を決して認めないだろうな……」
その言葉には、去年から近衛騎士としてテオフィルを傍で見てきた者の実感がこもっていた。
彼は宙に向けていた目線をローゼに戻した。
「では、イルミに皇宮へ同行してもらい、癒やしの力を見せるか? 彼女が了承すればだが」
「ええ。もしもイルミが本物の聖女なら皇帝陛下の病を癒やせるはずよ。そしたら殿下が偽物の聖女を婚約者にしたことになり、本物の聖女を連れてきて陛下をお救いした私たちには、簡単に手出しできなくなるはず」
私たち、という言葉を使うのには少し勇気が必要だった。
ローゼとエリアスを夫婦として括るような言葉だ。
エリアスは前世でも今世でも巻きこまれただけであり、一緒にするなと怒られるかもしれない。
けれど、彼はしっかりとローゼの話を聞いてくれていて、茶化したり嫌がったりするそぶりは微塵もない。
その顔に励まされたように続ける。
「だけど、その前に証拠を集めたいの。殿下に目を背けさせず、ヘルミーネが言い逃れできないような確固としたものを」
「証拠ね。どこで集めるんだ?」
エリアスの言葉には、いつまた皇太子の手の者が差し向けられるかわからない切羽詰まった状況にもかかわらず、どこか妻の話を楽しむような響きがあった。
そして自分でも驚いたことに、ローゼもまたこの状況を楽しんでいた。
前世とは違い、閉じ込められて外の世界に憧れているだけの無力な自分ではない。
己の力と才覚で皇太子との結婚を回避し、憧れだった市井に身を置いている。
それに、誰よりも頼りになるエリアスが傍にいる。
今なら皇太子と戦える。
ローゼはにっこり笑って言った。
「妃教育を受けていたあいだ、大聖堂の司祭様には、ずいぶんお世話になったの」




