第21話 告白
自宅の玄関ホールに、呼んでもいない皇太子の私兵が三人いる。
それを見た瞬間、ローゼはパッと踵を返した。
全速力で屋敷の中を突っ切り、勝手口を目指す。
背後から足音と「逃げたぞ、追え!」という怒声が聞こえた。
(冗談じゃないわ、テオフィルの私兵なんかに捕まったら……!)
前世で離宮に閉じこめられた挙句に殺された悪夢が蘇る。
しかも私兵に襲わせるとはどういうことだ。
ローゼと対話する気が端からないではないか。
いや、対話するのも嫌だが、力づくであの男たちに捕まり連行されるなんて全力で拒否したい。
男たちはすぐ背後に迫っていた。
一人の手が廊下でローゼの金髪をかすめる。
辛くも身をかわし、厨房の勝手口のドアノブに手を伸ばした。
ここを開ければ庭に出る。
だがドアノブに触れる前に、背後から乱暴に腕をつかまれた。
次々と手が伸びてくる。
口を塞がれ、軽々と体を抱えられ、逃げてきた道を反対にたどり玄関から外へ運び出される。
「んーっ、んん"ーーーっ!!」
必死にもがくが、ローゼの力ではびくともしない。
家の前の道には二頭立ての黒塗りの馬車が停まっていた。
見覚えがある。
テオフィルがお忍びで使っていた、王家の紋章が塗りつぶされた非公式の馬車だ。
あれに乗ったら最後、一生日の当たる場所では生きていけない気がする。
エリアスとも、きっともう二度と会えない。
(そんなの嫌……!)
今世でも助けてくれた。
買い物の仕方を教えてくれた。
焼き菓子を買ってくれて、ローゼの作った拙い料理を美味いと褒めてくれた。
あなたを守ると言ってくれた。
初夜に愛さないと言った人が、守ると。
二度と彼を失いたくない。
黒塗りの馬車に連れ込まれる直前、ローゼは無我夢中で、自分の口を塞いでいる男の手に噛みついた。
男が呻いて手を離した隙に、思いきり叫ぶ。
「助けて、エリアス!」
晴天の下、ふっと視界が翳った。
次の瞬間には状況が一変した。
見慣れた軍靴の踵が、ローゼを抱えた男の脇腹にめりこんだ。
次の瞬間には剣の柄が別の男の背中を打つ。
支えを失って投げ出されたローゼの体がふわりと抱きとめられ。
同時に、三人目の男が反撃する間もなく蹴り飛ばされた。
ローゼは自分を抱く腕の主を見上げた。
赤い髪が夕日に輝く。
泣きそうな笑顔で名前を呼んだ。
「エリアス」
ほんの一瞬、彼はローゼのほうを見てうなずいた。
剣の切っ先を黒ずくめの男たちに向け、短く命じる。
「失せろ」
交戦の可能性など聞いていなかったのだろう。
男たちは軽装で腰に剣は佩いていない。
皇太子からは女一人を攫うだけの仕事だと言われていたのかもしれない。
三人は慌てて黒塗りの馬車に乗り込み、逃げていった。
馬車が見えなくなると、エリアスはローゼから手を離して剣を鞘に納めた。
次に、おとなしく待っていた自分の馬を撫でてやりながら厩舎に繋いだ。
それから改めてローゼを見た。
「怪我は?」
低い声に、体の底から安堵が湧き上がる。
どうしていつも助けてくれるんだろう。
「ないわ。ありがとう、助けてくれて」
「ああ……だが、もっと悪いことになるかもしれない。あれは皇太子の私兵だった」
エリアスの眉間には皺が刻まれていた。
ローゼは重い鉛を呑み込んだような気持になった。
けれど今回は、やっとつかんだ幸福を奪わせるつもりはない。
彼を見上げて言った。
「エリアス、話があるの」
二人で屋敷に入ってしっかりと鍵をかけ、スープを温め直してパンと一緒に食卓に出した。
向かいの席についたエリアスに、ローゼが真剣な表情で切り出す。
「殿下は私を婚約者に戻したいのかもしれない。聖女の力が期待したほどではなくて、私は十年間妃教育を受けてきて公務の役に立つから」
「それだけじゃないだろう。殿下はあなたに執着している。はたから見ていてもわかる」
エリアスが冷静に指摘した。
ローゼはパンを口に運ぶ手を止めた。
たしかに執着されているのかもしれない。
ものすごく歪んだ形でだが。
急に、食事が不味く感じられた。
「……とにかく、彼は非合法な形で私を攫おうとした。合法的にはできないからよ」
意外そうにエリアスが眉を上げる。
近衛騎士の妻を皇太子が横取りするなど常識的にはあり得ないが、あの皇太子ならしれっとやるだろうと思っていたのかもしれない。
ただ奪い、そして、何事もなかったかのように日常を続けていく。
それが皇太子というものであり、被害に遭った者は泣き寝入りするしかないのだと。
だがその行為を、ローゼははっきり「非合法」と言い切った。
微笑を浮かべて説明する。
「帝国法、貴族典範、皇室法、教会結婚法。全部読んだわ。皇太子といえども、教会に認められて正式に結婚した臣下の妻を奪うことはできない」
灰色の目を丸くして、エリアスが尋ねた。
「……どれも何巻もある分厚い本だろう。なぜそんなものを読破してる。それも妃教育の一環で?」
「違うわ。生き延びるために読んだの」
沈黙が落ちた。
重たい言葉の続きを促すようにエリアスがこちらを見つめている。
鼓動が速まるのを感じながら、ローゼは思い切って言った。
「私、一度死んでいるの。あなたと一緒に」
「…………は?」
それから、ローゼは彼にすべてを打ち明けた。
前世のことと、公爵家に伝わる《星影》の魔法によって死に戻った今世のこと。
もう二度と皇太子に人生を蹂躙されないための策も。
エリアスは黙って聞いていた。
長い話が終わると、腕組みをしていた彼は自分の顎に手を当てて思案顔をした。
しばらくすると、ローゼを見て言った。
「……前世で俺は、主命に背きあなたを逃がそうとして殺された、と?」
「ええ」
うなずきながらも内心ではドキドキしていた。
何をたわけたことを言っている、と怒られるか、呆れられるのではないかと。
けれどエリアスは、くっと喉の奥で笑った。
「俺ならやりかねないな」
たった一言。
だがその一言で、三年前からローゼが一人で抱えていた見えない重荷が、急に軽くなったように感じた。
まるで彼が、ひょいっと半分肩代わりしてくれたみたいに。
信じてもらえたことがうれしくて、こんなときなのに自然に笑みがこぼれた。
エリアスはその笑顔を見た。
そして突然、ガタッと立ち上がった。
テーブルを回りこみ、驚く妻の傍まで来て片膝をつく。
見上げる灰色の瞳がローゼを射抜いた。
「俺と結婚したかった?」
思いもよらない問いかけだった。
ぐぅ、と喉が詰まり、顔にぐんぐん熱が集まる。
困った。
エリアスと結婚できるように水面下で色々と手を回していたことを見透かされてしまった。
(は、恥ずかしい……! でも、その通りだから否定できないわ!)
それに、否定したくなかった。
助けに来てくれた瞬間にはっきりとわかった。
たぶん、前世で助けてもらったときからずっと。
(私は、エリアスに恋をしている)
皇太子から逃れるためだと、もっともらしい理屈をつけていたけれど。
本当はただ、もう一度人生をやり直して結婚するなら、エリアスと結婚したかっただけだ。
他の誰でもなく。
ローゼは聞き取れるかどうかという小さな声で答えた。
「…………そうよ」
ふっと、エリアスが笑みをこぼした。
思わず目が追ってしまうような屈託のない笑顔。
彼は膝をついたまま、椅子に座っている妻の手を取った。
そして、手首の内側に、そっと唇を落とした。
無防備な場所に、やわらかで温かな感触が残る。
ローゼは首まで赤く染まった。
目を上げて、彼が言った。
「守るから」
真摯な表情だった。
目のふちが赤い。
きっとこれは同情だ。
責任感の強い、騎士道精神にあふれた人だから。
押しつけられた妻とはいえ、皇太子に虐げられる姿を黙って見ていられないのだろう。
期待なんてしてはいけないのに——。
灰色の瞳に魅入られたように、ローゼはしばらくのあいだ、息をすることも忘れていた。




