第11話 賭け
記憶を取り戻してから三年が経った。
ローゼは前世の享年と同じ十八歳になった。
その間、エリアスの父が病を得て亡くなり、エリアスは皇宮警備から皇太子の筆頭近衛騎士になっていた。
皇太子の望む可愛い婚約者でなくなり三年が経っても、ローゼとテオフィルの婚約は解消されなかった。
やはり皇室と公爵家の縁談は簡単には壊れてくれないようだ。
それとなく父の公爵にも婚約解消についてほのめかしてみたが、父は聞く耳を持たなかった。
薄々感じてはいたが、父はローゼを政治の駒としか考えていないようだった。
前世で父は一度もローゼが軟禁されていた離宮を尋ねてはくれなかったし、皇宮にローゼの安否を尋ねた様子も感じなかった。
頼みの綱は聖女だった。
前世で聖女ヘルミーネとテオフィルは、ローゼがテオフィルと結婚する前から恋仲になっていたようだ。
今世でも、ローゼは十八歳の夏に皇太子と婚姻を結ぶ予定になっていた。
じりじりと聖女の登場を待ち続け。
夏のはじめ。
ようやく、エスヴァルト帝国に百年ぶりの聖女が現れた。
「やったわ……! ついに聖女が現れた!」
その報せを聞いたとき、ローゼは内心で歓喜雀躍し、諸手を挙げて聖女ヘルミーネの登場を喜んだ。
もちろん、外面は澄ました公爵令嬢の皮を被りながら。
これまでは婚約解消に至らなかったが、聖女がいれば話は別だ。
体面を気にする皇太子テオフィルは、双方の合意によって行う婚約解消よりも、相手の非によって行う婚約破棄のほうを好むだろう。
そして皇室法によると、皇太子の結婚相手として公爵令嬢は好ましいとされるが、さらに好ましいとされるのが聖女である。
なにしろ百年ぶりの聖女なので、話題性も神秘性も抜群だ。
前世では、結婚するときまでローゼはテオフィルに恋をしていたため、テオフィルは自分を御しやすいお飾りの皇太子妃として傍に置いた。
だが今世では、記憶を取り戻した三年前から、ローゼは一貫してかわいくない態度を取り続けてきた。
美しい聖女を得たテオフィルは、喜んでローゼに婚約破棄を突きつけるだろう。
だが、婚約破棄されたあとも問題だった。
ローゼは今世こそ自由に暮らしたい。
前世でフローラから聞いた市場に行ってみたいし、掃除や洗濯や料理もしてみたい。
公爵家では使用人たちに必死に止められて実現できずにいた。
無理に実行すれば公爵令嬢としての評判を落とすことになるし、使用人たちの仕事を奪ってしまうことにもなりかねない。
だから我慢していたのだが、いつか必ずやるつもりだった。
けれどももし皇太子に婚約破棄されたら、公爵である父は外聞を気にして、すぐにローゼを他の男性貴族へ嫁がせるだろう。
傷物のローゼを押しつけられるような相手がどんな人かはわからない。
もしかすると皇太子以上に性格が悪いかもしれない。
それに、どちらにせよ貴族男性と結婚して社交界に身を置くのであれば、自由に生きるなど夢のまた夢だ。
だから、ローゼは近衛騎士エリアス・クロイツェルに白羽の矢を立てた。
エリアスは近衛騎士でありながらローゼの逃亡に手を貸してくれた人物だ。
その誠実さと高潔さは折り紙付きだし、騎士の中の花形である近衛騎士にありがちな浮いた噂は一つも聞かない。
公爵家の伝手を駆使して女性関係も調べ上げたが、見事に真っ白だった。
こんな情報もあった。
クロイツェル家は帝都の屋敷町に建つ、こぢんまりとした館だ。
周囲は屋敷町だが、ローゼの実家アルノルト家があるような貴族街とは違い、平民の家も混在している。
近くには市場があり、庶民の集う広場もある。
そこを、市井、と呼んでもいいだろう。
けれども去年の暮れに父親を亡くして以来、エリアスは通いの使用人が来る頻度を減らし、皇宮に隣接する騎士団本部の仮眠室で休むようになり、さらに父と住んでいた館にはあまり帰らなくなったらしい。
主が寄り付かなくなった館は少しずつ荒れてきているそうだ。
「完璧だわ」
公爵家の自室で紙に婚約破棄計画を記しながら、ローゼは呟いた。
使用人がろくに来ない、荒廃しかけた館。
なんて掃除のし甲斐があるのだろう。
エリアスのもとでなら、思う存分家事がしたいという自分の望みも叶えられるし、恩と負い目がある彼の役にも立てる。特定の女性の影もない。
それに、意地の悪いテオフィルは生意気な婚約者を苦しめるためだけに、ローゼにとって一番嫌な結婚相手を後釜として押し付けるに違いない。
彼の目に、ローゼは高慢な公爵令嬢だと映っているだろう。
その公爵令嬢が結婚を嫌がる相手——それは近衛騎士だった。
なぜなら「公爵令嬢ローゼ・デア・アルノルトは騎士を嫌っている」と宮廷で噂されているから。
皇太子の筆頭近衛騎士であるエリアスは、婚約破棄をされるときもきっと近くにいるはずだ。
エリアスの存在と宮廷の噂、それとテオフィルの底意地の悪さに、ローゼは自分の命運を賭けた。
そして、とある夏の日。
皇宮の温室にて。
とうとう狙い通り、ローゼはテオフィルから婚約破棄を告げられた。
笑い出したいのをこらえ、冷静な顔に焦りを浮かべる。
演技である。
「殿下、いくら聖女が現れたとはいえ、私との婚約は十年前から決まっていたことでございます。それを『解消』ではなく『破棄』されるとあっては、公爵家と私の名に傷がつき、今後、私はどなたとも結婚できなくなってしまいます…………公爵家から騎士家に至るまで、どなたとも」
テオフィルはうれしそうに口の端を上げた。
「……待て。『公爵家から騎士家に至るまで』と言ったな? 騎士は準貴族だ。公爵令嬢のおまえでも結婚できる」
ローゼは内心で快哉を叫んだ。
勝った。
賭けに勝った。
これで、憧れの町娘のように市井の暮らしを送れる。
そしてローゼは晴れて皇太子の婚約者の座を降り、騎士の妻となったのだった。




