第10話 魔法
前世の記憶を取り戻して以来、ローゼは以前のような純真無垢な少女ではいられなくなった。
それまでは、公爵家の姫として蝶よ花よと大切に育てられ、純真無垢な薔薇のつぼみのようだった。
それが、常に何かを思案しているような表情を浮かべ、なぜか小難しい魔法書や法律書を読みふけるようになり、あんなに夢中だった婚約者の皇太子に会いたがらなくなった。
同時に、その瞳からは星のような金色の斑点が失われ、ごく普通の青い瞳となった。
たしかに死んだはずの自分が、三年前に戻った。
この事象は、公爵家の古い血によるものかもしれないとローゼは考えていた。
非常に古く由緒正しい家柄であるアルノルト公爵家は、古の魔法使いの血を引いていると言われている。
記憶を取り戻してから、ローゼは憑りつかれたように魔法書を読み漁った。
その中の一節にはこう書かれていた。
——古の魔法使いの中には《星影》の魔法を体に宿す者がいる。これは死に戻りの魔法で、術者は不慮の死から一度だけ時間を巻き戻すことができる——
「……これよ。絶対にこれ。間違いない」
公爵家の広い書庫で分厚い魔法書にかじりつきながら、ローゼは呟いた。
前世の記憶を取り戻したとたん、瞳の中の金色が消えたことにも納得がいく。
青い瞳の中の金の星は、先祖返りの証であり、魔法そのものだった。
そして、一度しか使えないその魔法は、今回の使用によって消えてしまったのだろう。
ローゼは知らぬ間に自分を救ってくれた古の先祖の血に、心から感謝した。
それから、ローゼは法律書にも手を伸ばした。
帝国法。貴族典範。皇室法。教会結婚法。
何十冊もある難しい本を、朝も夜もひたすら読みふけった。
皇太子から逃げる方法を探すために。
テオフィルとは二度と絶対に結婚したくない。
だが十五歳の今、自分はすでに皇太子の婚約者になってしまっている。
一番いいのは皇太子に婚約を解消されて自由になることだが、性格のねじ曲がったテオフィルがすんなりとそれを許すとは思えない。
前世で自身に離婚歴が付くのを嫌がった彼は、婚約を解消することもおそらく嫌がるだろう。
それに今現在、テオフィルはローゼのことを気に入っていた。
ローゼの瞳の金色が失われてしまったことを残念がっているようだが、それだけで婚約をどうこうする気はないようだった。
ならば、嫌われるように仕向ければいい。
ローゼはこれまでの、他人の目には愛らしく映るだろうふるまいをやめた。
笑顔をやめ、浮ついた言葉や社交辞令を言うのをやめた。
そして今までとは真逆の、毅然とした、一見気位が高く近寄り難そうにも見える態度を取るようになった。
これまでさかんに行っていたお茶会や夜会といった社交もすっぱりとやめた。
代わりに、妃教育を熱心に受けるようになった。
周囲の人たちは驚いたが、やってみると案外楽しかった。
元々、公爵令嬢なのに愛想を振りまき過ぎるのはよろしくないと妃教育の教師たちに言われていたのだ。
一般的にはこのくらいがちょうどいいのかもしれない。
妃教育に専心すると、皇太子のテオフィルよりも、第二皇位継承者として帝王教育を熱心に受けている第二皇子のダミアンと接する機会が増えた。
黒髪に青い瞳のダミアンは、兄とはまた違ったタイプの美男子だった。
小動物系、と言っていいかもしれない。
常におずおずと控えめな態度だが、思慮深く聡明で、声は大きくないが周囲をよく観察し状況を正しく理解する。
ダミアンは兄の婚約者であるローゼを実の姉のように慕っていた。
ローゼもダミアンをかわいがっていた。
あの冷酷な兄に殺された記憶を持つ今では、よけいに優しい弟がかわいく思える。
テオフィルではなくダミアンが皇太子だったらいいのにと思って、一度さりげなく「皇太子になりたくない?」と聞いてみたことがある。
だが彼はぶんぶんと首を横に振って「とんでもない。兄上を蹴落とすなど考えられません」と即座に否定した。
ローゼもテオフィルにはもうなるべく関わりたくないので、気持ちはよくわかる。
だからその話は二度と持ち出さず、自分のことに集中することにした。
公爵令嬢らしく落ち着いたふるまいをするようになったローゼだが、近衛騎士を目にしたときだけは体がすくんだ。
前世で自分を——そして巻きこむ形でエリアスを——殺した近衛騎士だけは、どうしても直視できなかった。
近くにいると顔が強張り、動悸が激しくなり、逃げるように遠ざかってしまう。
エリアスは自分を助けようとしてくれたのだが、逆にそれでまともに顔が見られなくなった。
あまりにも申し訳なさ過ぎて。
しばらくすると、宮廷に「皇太子の婚約者は騎士がお嫌いのようだ」という噂が立った。
その噂はおおむね合っていた。
テオフィルは変化を遂げた婚約者への興味を、急速に失っていった。
彼は勉強や鍛錬が嫌いで、かわいいものや癒やされるものが好きだった。
だから、かわいくなくなったローゼに困惑し、機嫌を取って元に戻そうとし、瞳のことなら気にするなと鷹揚なところを見せた。
しかしローゼは元の自分に戻ることを拒んだ。
そもそも瞳の金色が失われたのはテオフィルのせいである。
それに、前世のような屈辱と軟禁生活と非業の死を繰り返すなんて絶対に嫌だった。
テオフィルも酷いが、彼の正体に気づかずにうかうかと結婚し、幸せな未来を夢見ていた自分の愚かさにも腹が立った。
二度とあんな思いをするのはごめんだ。
早く聖女が登場してテオフィルを誑かしてくれないかと待ち望み、聖女に関しても、文献を何冊も読んだ。




